本格的にインド(ダージリン〜ブッダ・ガヤー)

     朝8時過ぎのジープに乗って、ダージリンを出発した。
    チベット文化圏を離れるのは、名残惜しいが、別にこれが最後じゃないので、寂しいなんては、思わない。
    それどころか、次なる地が、インドの低地だと思うと、暑さに耐えられるのか?インド人ばっかりの本格的にインドだと考えると、そっちの不安の方が、大きい。

    荷物をいくつかダージリンから、日本へ送ったはずなのに、俺のリュックは、まだ重いです。
    また、このリュックの中には、ジンが入っています。しかも瓶2本!
    次の目的地、ブッダ・ガヤーは、仏教の聖地なので、こんなところで、酒なんか売っていないだろう。
    なんて考えた俺は、出発前日にチョウラスタの酒屋へ行き、ジンを2本購入。
    なんか、酒の密輸をしている気分です。
    酒なんて、止めてしまえば良いのですが、一人旅には、酒が必要なときもありますので、そう固いことは仰らずに。
    でも、これがなくなったら、本当に止めよう。

    ダージリンにて

     さて、ジープは、霧の森の中を走っている。途中にトイ・トレインとすれ違った。
    当初は、これに乗って、シリグリまで行く予定だったが、さすがに6時間は、遅すぎるので、ジープにした。
    標高が下がると、霧が晴れ、青空が広がりだした。山の斜面には、まだ茶畑が広がっている。
    タルチョを立てている民家もまだ、チラホラ見えた。

    そして、ついにジープは、チベット文化圏を抜け出し、低地に舞い降りた。
    「ついに下界に来たか!」俺は、そんな心境だった。
    景色は、まだ茶畑らしき畑が広がっていて、ジープは、茶畑の間を突っ切るような道路を走り抜ける。
    風が気持ちよく、気分爽快で暑さは感じなかったが、シリグリの街に入り、スピードが遅くなると、やっぱり暑いと感じた。

     シリグリに到着し、リュックを背負って、ジープから降りると、「いらっしゃい!」って感じで、インド人の客引き達が、次々と声を掛けてくる。
    「ついに来たか、インドの洗礼が!」なんて思ったが、カンボジアでもミャンマーでも、こんな感じだったような。

    俺は、シリグリに滞在する気は、全くなく、今日中に出発したかったので、客引きを振りきり、バスのチケット売り場へ行って、そこのオッサンに「ブッダ・ガヤー」と言うが、あいにくシリグリから、ブッダ・ガヤー行きのバスは無く、その手前のガヤーまでなら有ると言われたが、もう満席だと言われてしまった。
    オッサンが「パトナー行きなら有る、そこからガヤーへ行けば良い。」と言うので、そうすることにして、俺の側にいた少年が、チケットを買いに行った。
    少年にまかせて、ボッたくられたらイヤやなーと思っていたが、バスチケットは195Rs(約500円)だったので、特にボッてそうもない。

    左:2回目の休憩の朝焼け 右:河原の風景(ブッダ・ガヤーにて)

     出発まで、荷物を何処かに預けたいと言うと、今度は兄ちゃんが、俺を近くの旅行会社まで案内してくれて、そこにジンが2本入った、リュックを置くことが出来た。
    何かインド人は、ただのお節介かもしれないが、みんな親切だ。ネパールで旅人から聞いた話とは、全然違う。荷物を置かせてもらっている旅行会社のオッサン達も、親切だった。

    出発まで、まだ5時間もあるので、昼ご飯を食べに食堂へ向かうが、「暑い。」暑いです。
    ほんまに溶けて無くなりそうなくらい、暑いです。
    旅を始めてから、4ヶ月ほど、低地から離れていたので、この低地の暑さが、かなりこたえた。

     食堂に着き、マトンカレー(30Rs)を注文した。
    スプーンを出されたが、断って、久しぶりに手で食べてみることにした。
    手で食べるようになったのは、ネパールのカトマンドゥからで、それまで手で食事をしたことは、なかったが、手で食べ始め、慣れてしまうと、食べ物を口へ運び、口に入った感覚が柔らかく、すっかり病みつきになってしまい、もうスプーンと言う道具は、いらなくなった。

    食後、1時間ほどシリグリの街をブラブラと歩いた。
    シリグリは、交通の要のような街で、ここから北は、シッキム、ダージリンへ。
    東は、アッサムのデスプールやブータン国境の街、ジャイガオン。
    西は、これから向かう、パトナーやガヤーなど。
    南は、コルカタ行きなど、シリグリには、数多くのバスやジープが停車していた。

    ブータン国境の街、ジャイガオンとブータン側の街、プンツォリンには、興味があったが、またシリグリに戻ってこなければならないのが、イヤだったし、先へ進みたいという気持ちが強かったので、行くのは止めた。
    暑さのためあまり歩けず、冷房が効いたスーパーで、休んだりしていたが、荷物も気になることだし、旅行会社へ戻ることにした。

    ブッダ・ガヤーの街並み

     バスは、夕方5時に出発予定だったが、約2時間遅れの、午後7時にやって来た。
    それまでの2時間、僕達乗客は、荷物を抱えたまま、バスが停車するガソリンスタンドで、ただバスを待ち続けた。やっと来たか。と言う思いで、バスへ乗り込んだ。
    インドの長距離バスに乗るのは、今日が初めてだったが、ネパールのバスよりも乗り心地が良く、テレビまで付いていた。
    バスは、パトナーへ向かって走り出したが、車内は暑く、窓を開けていないと、汗が噴き出す。
    シリグリに着いた時は、ほんまにダージリンに引き返そうかと思ったくらいだった。
    4ヶ月ぶりの低地に、かなりマイっている。

     1回目の休憩は、午前0時頃だった。
    広場の中に、裸電球がぶら下がった、木造の食堂があり、そこでチャパティとカレーを食べた。
    ヒンディー語が全く解らなかったが、バスの中で隣に座っているインド人青年が、値段を英語で教えてくれたりして、助けてくれた。

    夜明けの景色は、とてもキレイだった。
    空は、白と紫に近い青のグラデーションの中、黒い影のように木が立っていて、灰色の雲は、まるで広角レンズで覗いたように、奥行きが感じられた。
    そんな景色見ながら、チャイを飲んだ、2回目の休憩だった。

    バスは再び走り出し、やがて日は昇り、朝となり、僕はインドの朝の風景を目の当たりにした。
    川沿い、または草むらには、人々がしゃがみ込んでいる姿が、チラホラ見える。
    これってもしかして!カトマンドゥで、インドからやって来た旅人にさんざん聞かされていた光景だ。
    インドはトイレがあって、ない国。
    トイレがないと言うのは、便器がないことで、あると言うのは、大地がトイレと言うことだ。
    これは、シッキムやダージリンでは、決して見ることがなかった光景で、僕はこの時、やっとインドに来たんだと、変に実感してしまった。
    文化が変わり、やっと国が変わったと感じた。

    ブッダ・ガヤーにて

    やがて、遠くにそれなりの高層建築も立つ大きな街が見えた。
    隣の青年が、あれがパトナーだと教えてくれたが、バスは、パトナーの街には入らずに、その手前の広場のようなバスターミナルに停車した。
    この移動中、ずっと親切に接してくれていた青年が、僕をガヤー行きのバスまで連れて行ってくれた。
    ほんとありがとう。もし、彼が悪人だったら、インドに対する印象が、ものすごく悪くなっていたに違いない。

     パトナーからガヤーまでのバスチケットは50Rsだった。
    ここまで、ほとんど眠っていなかったこともあって、車内では、ずっと眠っていた。
    寝ぼけたまま、ガヤーに着くと、すかさず、オートリキシャーが寄ってきた。
    本当は、安いバスで、ブッダ・ガヤーまで行きたかったが、さすがに疲れて、眠たかったので、どうでもよくなり、値段交渉もほとんどせずに、80Rsで、オートリキシャーに乗った。

    通りには、簡素な作りの売店やチャイ屋が立ち並び、色鮮やかなサリーなどの衣装を着た、人々が通りを歩いている。「うわっ、インドだ。」
    スピードを上げた、オートリキシャーは、インドの大地を風を切るように走り、その風を受けた僕の体は、疲れや眠気も吹き飛んだ。バスで行ったならば、この風を感じられなかったんだと思うと、オートリキシャーにして良かった。

    ブッダ・ガヤーにて

     そして、やっと目的地のブッダ・ガヤーに到着した。
    1泊2日の移動は、さすがに疲れたが、まだ宿探しという、難関が待ちかまえている。
    ガイドブックに載っている、宿へ行くが、「今は、満室だ。2時間後にまた来てくれ。」と言われたが、待つ気はないので、次へ行きましょう。
    何処へ行こうかと、悩んでいると、インド人が近寄ってきて、宿へ連れて行ってやると言われ、着いていくことにした。
    ここが、今泊まっているゲストハウス、『ラヴィ・ゲストハウス』1泊=180Rsでトイレ、シャワー付き。
    管理人は、大阪弁を喋るインド人のオッサン。
    日本語の本もたくさん置いてあるので、久しぶりに読書三昧したいと思う。

     やっと身も落ち着き、次はお腹を満たそうと、近くの食堂で、チーズチョウミンとスープモモ(チーズ焼きそばと水餃子)を頼むが、何故か、すぐにお腹がいっぱいで、チョウミンは残すし、スープモモは、ほとんど食べられなかった。

    部屋に戻るが、疲れているはずなのに、眠れない。
    暑いからだろうか?
    密輸のように、持ち込んだジンを飲み、なんとか眠るようにした。




    旅人の何気ない日常(ブッダ・ガヤーにて)

     ブッダ・ガヤーに来て、5日目の朝、インド人に「タシデレ」と挨拶されました。
    そして次は「こんにちは」と言われ、少年からは、「アンニョハセヨ」と挨拶されました。
    左腕に数珠をしている僕は、チベット人に間違われたり、顔は薄い韓国、中国系なので、間違えられたりして、純粋に日本人に見られることが少ない。

    アジア(ここではインド)では、日本人が良くしてしまう動作、曖昧な返事や意味のない微笑みが、インド人にとって、カモにされることが多いが、物事をハッキリ言う韓国の人達は、そういうことが無く、インド人には、苦手な人種らしく、カモにされることが、あまりないらしいので、こんな顔をしている僕は、ここでは、チベット、日本、韓国と使い分けをして旅してみよう。

     朝食は、広場近くのフジヤ・レストランで、トーストとプレーンオムレツ。量は、多くはないが、食べきるのに時間がかかった。
    ブッダ・ガヤーに来てからずっと、食が進まず、ジュースか水ばかり飲んでいる。
    原因は、この暑さだ。

    午前9時、太陽が大地を照りつけて、もう暑いです。
    ゲストハウス前の広場を歩くが、牛のウンコとゴミが混ざった生ぬるい風が、鼻につく。
    この暑さで、この臭いは、ガマンができないので、息を止めて、歩いて切り抜けたが、それにしても暑い、通りを歩いていても、暑いし、立ち止まると、もっと暑い。

    ブータン・ゴンパの前にて

     ブッダ・ガヤーは、ブッダが菩提樹の下で、瞑想をして悟りを開いた場所で、仏教徒にとっては、聖地なのです。そして、ここには世界の仏教国の寺院が建立されております。
    そんな所なので、ブッダ・ガヤー2日目に僕は、寺院巡りをしました。

     ゲストハウスから、広場を抜けると、お土産やなどが並ぶ通りがあり、その近くにマハボディー寺院がある。
    その敷地内に、ウワサの菩提樹があるが、ここは、あとから見ることにして、僕が最初に訪れた寺院は、チベット寺院だ。
    今回の旅は、チベットなので、やはり気になり、一番最初に行ってしまった。
    チベット寺院と言っても、チベット本土にあるようなゴンパではなく、ネパールで見ていたような近代的なゴンパで、床には大理石が敷いてあった。

    柵があって、仏像には近づけなかったが、柱などの装飾は、サリーを身にまとったインド人よりも色鮮やかな印象を受けた。
    チベット文化圏を離れて、まだ数日だったこともあり、懐かしいとは思わなかったが、このクソ暑い低地にチベットの寺院が建っていることに、嬉しさ以上に違和感を感じてしまった。

    左:広場にて 右:チベット寺院にて

     ブータンの寺院は、シッキムのゴンパと外見は似ていた。
    地理的にも隣国なので、似るものなのだろうか?中は、壁が平面的な壁画ではなく、浮き彫りのような立体的な壁画になっていて、それは今まで見たことがなかった。
    ブータンの寺院は、どこもそうなのだろうか?
    タイや中国の寺院も行ったが、タイはタイらしく、中国は中国らしい、外観をした寺院だった。

     マハボディー寺院は、寺院巡りの最後の方に行ったが、高さが52mある仏塔は、工事中のため、足場が組まれたりしていて、全貌を見ることが出来なかった。
    菩提樹の麓には、各国の仏教徒が集まっていたりしている。
    白い服を着た人達など、端から見ていると、変な集団にしか見えない。
    そんな人から、僕は、落ちていた菩提樹の葉っぱをもらってしまった。
    今も、その葉っぱは、日記帳に貼っています。

     ブッダ・ガヤーには、日本の寺院もあり、やはりここが、一番落ち着きます。
    やっぱ、日本人は日本人なんだなと感じてしまった。
    座禅もできるようなので、体験してみることにした。
    ただ、ボーッと座っていただけだったが、なんか、心が和んだ。
    日本でも、機会を作って、やってみるのも良いかも。

    ミャンマー寺院付近

     ミャンマー寺院の近くに橋が架かっていたので、渡り、対岸の村へ行った。
    大きな川に架けられた、コンクリート製の橋は、なんとなく新しく感じたので、最近になって出来たのだろうか?橋を渡っているときの風が、ものすごく心地よかった。

    対岸の村は、スジャータ村と言う名前だと、僕に付きまとっている少年達から聞いた。
    小さな仏教遺跡と畑が広がる村で、歩いていて気持ちが良かったが、木や葉っぱが、大きい。
    少年達の写真を撮ったりして遊んだ後、何か、学校のような所に連れてこられた。

    そこは、日本人が関与している学校のようで、寄付してくれと言われたが、断るが、かなりシツコイ。
    あまりのシツコサに、50Rsだったか、寄付したような。
    最終的は、悪い気分で、ここを後にしたような気がする。

    こんな風に、ブッダ・ガヤーに来て、街を歩き回ったのは、到着した翌日のみで、3日目、4日目は、暑さに負けてしまい、ずっと部屋で読書をしていた。

    左:スジャータ村の遺跡らしい 右:子供と教室らしい場所

     さて、5日目の今日、バラナシ行きの列車の切符を買いました。
    切符を買いに行く道のりも、暑くて、溶けて無くなりそうな感覚だ。
    インド人は汗をかいていないのに、俺だけ病気みたいに汗ドッパーとかいてます。
    おかげで水分の取りすぎで、体調も崩してしまいました。
    列車は、早朝5時15分発です。何で、こんなに早いのでしょうか?がんばって起きなければ。

    部屋へ戻り、コーラを飲みながら、再び読書の続きを始めた。
    もう暑くて、出歩く気なんて、全くありません。
    こんな感じで、1日の大半は、部屋で読書をしています。
    夕方、すこし涼しくなると、ネット屋へ行ったり、多少、散歩する程度だ。
    出歩くこともあまりなかったので、日記に書くことも、何もない。
    暑さに負けてしまって、水分の取りすぎで、下痢になり、ただの引きこもりとなった、僕のブッダ・ガヤーでの何気ない日常。

    しかし、明日はバラナシへ行きます。
    もっと暑そう。ほんでもっと臭そう。

    スジャータ村にて