エキゾチック廈門

     雨の日の移動はめんどくさいですが、バスに乗ってしまえば、どってことない。
    泉州の宿からバス停までの道の途中、道端のお粥屋台で朝食(2元)。やっぱり、朝のお粥は最高だ。
    僕はバスターミナルに着くと、すぐに廈門行きのバス切符を購入した(19元5角)。
    泉州から廈門までは、バスで2時間ほどの距離なので、バスの本数は多く、20分に1本の割合で発車していた。

     ボロバスに揺られること、予定通り約2時間で廈門(アモイ)に到着。
    バスを降りた僕が真っ先に向かったのは食堂です。とりあえず先に腹ごしらえって感じです。
    1つの皿にご飯とおかず3品をのせた料理です。(5元)
    こういった食堂での飯も少し飽きてきましたが、止めるわけにもいきません。
    宿泊費がどうしても高くなるので、こういうところで節約しなければ。

     しかし、初めて訪れた街での宿探しは、ガイドブックに載っていた一番安い宿に向かうことにしたが、僕が利用したのはタクシーでした。
    僕としては、宿探しなんかに時間を費やしたくない。というのが正直な気持ちだ。
    重たいリュックを背負って、安宿を探し歩き回るのは、時間の無駄だ。

    しかし!ガイドブックに載っていた宿はすでに存在していないらしく、宿探しに時間を費やすハメに。
    何軒か見て回りましたが、やはり70元や80元の部屋には外国人の僕は宿泊出来ないらしい。
    結局、1泊=150元の宿にチェックインしました。

     宿を出て、しばらく歩き、大通りを横切ると、目の前はもう海です。
    その向こうには、『コロンス島』が見えます。
    『コロンス島』は、20世紀初頭に共同租界地となり、日本を含めたアジアを植民地化していった国々の領事館などが建っていた島です。
    僕は岸のベンチの上に立ち、コロンス島を見つめた。
    そういや上海のバンドからも、こうやって浦東新区を眺めたものだなぁー。

    なんて思い出していましたが、こっちの方が、エキゾチックです。対岸のコロンス島にはビルはなく、タイムスリップしたようだ。
    きっとコロンス島へ行くと、もっともっと異国情緒を感じることができるのであろう。
    コロンス島はわずかにライトアップされてきました。
    明日は、そのコロンス島へ行く。

     そして僕は郵便局の近くの通りへやって来た。
    道全体が市場となっているこの通りは、食堂や屋台やガラクタ屋などなどが、ひしめき合っています。
    僕はここのくだらないガラクタ屋で、ライター&ライトを購入。
    このライトをお札に向けて、照らすとお札から数字が浮かび上がるのだ。
    これが本物札と偽札の見分け方らしい。
    おまけとして、使えるかわからないライト用の電池も4つ、付けてもらいました。

    廈門にて

     僕はまたブラブラと歩き、暗闇の脇道へ行ったり、また戻って来たりとを繰り返した。
    それにしても、廈門の夜は何で?こんなに虫が多いのでしょうか?
    羽根アリのような虫がたくさん飛び交ってます。街灯や店の灯りの周りには、たくさんいます。
    僕の服にも、ひっついているし、顔にも当たる。廈門の人々も蝿叩きを持って、苦戦してます。
    どれくらいかと言うと、『世界丸見えテレビ』に出せるくらいです。
    これもエキゾチック?

     宿へ帰ると、ここにも羽根アリがいます。
    部屋は戸締まりしていたので、大丈夫だった。僕は今後の進路を考えながら地図を眺めたり、考えこんだりしていた。

    明日、晴れると良いのになぁー。

     そして翌日の朝、目が覚めて時計を見ると「へっ!5時半!」早起きをするつもりでいたが、こんなに早くに起きてしまうとは。部屋の窓から外を見てみると、今日も雨。
    僕が中国へ来てからというもの、曇や雨の日が多いので、ほんとイヤになります。
    コロンス島へ行くのも、ためらってしまうような天気ですが、今日1日はボケッとして、明日の天気に賭けるほど、滞在費や時間的余裕もない。
    テレビの天気予報も今日は雨みたいなことを言っている。

    「まぁ、こういう日もあるか」と僕は予定通りコロンス島へ行くことにした。
    宿を出発し、カメラをぶら下げ、ブラブラとフェリー乗り場へ向かって歩いていると”ドッカーン”と僕の目の前で、バスとバスの衝突事故。
    突っ込んだバスのフロントガラスが割れ、運転席がグニャっと曲がっている。
    もう一方のバスは、側面がへこんで、客席側のガラスが割れている。
    周囲は瞬く間に、バスの乗客と現場を見ようと駆けつけた野次馬達が入り乱れています。
    やがて軽傷の運転手がバスから降りてきて、警察に保護された。
    現場は依然と混雑しており、車が渋滞しております。

    左:廈門コロンス島にて 
    上:コロンス島にある旧日本領事館

    中国は交通ルールを守らない人達が多いです。
    信号の意味や見方を知っているのでしょうか?なんて疑ってしまいます。
    泉州でも軽トラックが電柱に激突しているのを見たし、これから先も何度か事故や事故寸前を見ました。
    ほんと、信号は守らなければイカンよ!中国人。
    痛い目をみるのは、自分なのだから。なんて思ってしまいました。

     僕は渋滞している車をすり抜け、事故現場の向かいにあるフェリー乗り場へ向かった。
    コロンス島へ行くフェリーは行きは無料で帰りは有料なのです。
    僕を含め、たくさんの観光客を乗せたフェリーはコロンス島に到着。
    久しぶりに欧米人も数人見ました。廈門は欧米人も来てみたいと思う、エキゾチックな街なんですね。

     フェリーを降りた僕は、とりあえず、適当にブラブラと歩いてみることにした。
    どの店にも同じような物が売っていそうな、お土産街を抜け、僕は古い洋館が建ち並ぶ道へと歩いていった。
    コロンス島は、各国の領事館があっただけあって、古い建物がたくさん残っていますが、全部ボロボロ。長い間、手入れはされておらず、壁がはがれ落ちたり、崩れたりしております。
    廃墟のようにも思われたが、ベランダからは洗濯物が干されていたりと、誰かが住んでいるらしく、残念なことに中に入ることはできない。
    これが、時代と時間の経過なんでしょうが、僕として過去を腐らせないで欲しい。
    旧日本領事館も今や誰かの家です。

     僕はそんな洋館達を眺めながら、コロンス島の細い道をブラブラ歩いていた。
    そしていつしか僕は廈門最大の観光名所、『日光山』の前へと来ていた。
    『日光山』は、コロンス島の最高峰の岩山です。
    入場料は60元。入ろうか?どうしようか?迷いましたが、天気が少しだけ回復したので、ここからの景色を見てみよう!と入場。
    巨大な岩をテキトーに重ねたような、日光山に登るのは汗だくものでしたが、頂上からの景色は、60元払って、ここに来た甲斐がありました。
    近くから見ると、ボロボロで朽ち果てた家々も、こうして高いところから見ると、なんて美しいのでしょう。
    イタリアのフィレンツェを彷彿させるような赤い瓦が、見事に空と海に調和している。
    いやー、マジ来て良かった。

    日光山から見たコロンス島と廈門の街

     日光山の後は廈門博物館へ。ここも日本軍の侵略を受けたのか。
    東南アジアや中国の博物館などに入ると、日本軍の侵略の事が必ず展示されている。
    このような事があったという事実を知らないのは、日本人だけかもしれない。
    僕達からすれば、昔の事だが、日本人として、知らないというのは、いかがなもんでしょうか?

    廈門博物館を出ようとしたら、とても綺麗な女の子がいたので「写真を撮ってもいいですか?」と声をかけ、カメラを構えると、他の人が俺のカメラのレンズに手をやり、「ダメ!ダメ!」と言って来ます。
    どうやら彼女は中国の芸能人らしい。僕はスタッフに撮影を拒否され、意気消沈でここを後にした。
    さらに、追い打ちをかけるように、小学校前で子供達の写真を撮ろうとしたら、クソババアに怒鳴られた。
    子供達もビックリして逃げてしまった。

     今まで写真を撮っていて、こんなにも嫌悪感を抱かれたことなどなかっただけに、さっきの二つの出来事は、僕にとってはとてもショックなことだった。
    さらには、コロンス島から戻ってきた後、郵便局へ行ったら、「ここじゃない。あっちだ。」
    「バスに乗ってEMSへ行け」だのたらい回しにされ、きれいに梱包した荷物は、グチャグチャにされるし、と踏んだり蹴ったりです。

    夕方、夕日がキレイだったら、もう一度来てみよう。とアモイ島へ着くと、大雨だ。
    アカンわ。なんか廈門には嫌われているようだ。ぜんぜん良いことがありません。

    このように、小さな苛立ちが積み重なり、僕は廈門が嫌いになりかけていました。
    「明日、廈門を出よう。もういいだろう。」と僕は、長期滞在予定の廈門を2日で出る決心をして、バスターミナルへ向かい、明日の行く予定ではなかった、汕頭(スワトウ)行きのバス切符を購入した。
    さよなら廈門。