プロローグ-上海にて-

    “ブッブッーーー!ブォブォーーー!”
    中国随一の大都会、上海に到着して一夜が明けた。
    福州路近くにある宿の表通りには、車、バイク、自転車の群が途絶えることなく、俺の目の前を通り過ぎてゆく。そして、その群から鳴り響く、けたたましいクラクションの音や、人々の声。
    俺は、この騒音のようなざわめいた、この音が好きだ。
    人や物が行き交う光景と、この落ち着きのない音が、俺にアジアへ来たと感じさせる。
    「また旅が始まったな。」

    日本よりも少し肌寒い3月下旬の上海に身を置き、
    ウルサイほどにエネルギッシュな光景を見て、俺は再び旅に出たことへの実感を得た。

    そんな上海の朝の風景を見ながら、南京路へ向かって、歩き出した。
    なんか日本にいるときよりも肩の力が抜けているような気がするし、妙に落ち着く。

    旅しているときの俺と、日本であくせく働いていたときの俺と、どっちが俺の日常なのだろう?
    どっちが、俺の本当の姿なのだろうか?
    そんな風に思えるほど、俺にとっては、日本と海外の差は大きく開いている。

    上海にて

     俺が、日本で金を貯めてはアジアへ旅に出ると言う生活を始めて、今回が4回目の旅です。
    日本に滞在している間は、何も変化も刺激もなく、黙々と生産ラインのように日々、同じ事を繰り返し、ただ旅に出るためだけに、金を貯めていた。

    そして今回の旅のスタート地点の上海には3回目だ。
    上海一の繁華街、南京路も来るたびに何かが変わっている。
    昨年、南京路を見渡せた歩道橋が、地下道へと変わり、なくなっていた。
    そして数十メーターおきに店舗を連ねる外資系のファーストフード店も、また増えたようだ。
    来るたびに記憶が塗り替えられてゆく街、上海。

    過去を振り返るヒマもなく、猛スピードで加速を続ける上海に多少の怖さを感じるが、
    そんなこと旅人の俺が考えてもどうしようもないと、地下鉄の駅へ行き、慣れた手つきで切符を買い、大阪の地下鉄に乗るような感じで、俺はごく当たり前のように、電車に乗り込み、上海駅を目指した。

     上海駅は、昨年のSARSの時とは違い、人民のるつぼと化した、活気がある上海駅に戻っていた。
    あれから10ヶ月。日本同様、中国にもSARSと言う言葉の面影はなくなっていた。
    俺は、昨年とは違い、人民が群がっている切符売り場へと行き、「明天、成都。一个人。」と言って、次の目的地、いや今回の旅の本当のスタート地点である、『チベット文化圏』の入口の街、成都への列車の切符を買った。

    上海、外灘(バンド)の夜景

     今回の旅のテーマは『チベット文化圏』です。
    そのチベット文化圏への玄関口でもある街が、四川省の省都、成都。
    旅のルートとしては、成都から、チベットの街、ダルツェンド(康定)、カンゼ(甘孜)など、
    チベット東部のカム地方の街を通り、ジェクンド(玉樹)を通り、西寧からチベットの聖都、ラサ(拉薩)へ行くと言うルートを考えています。

    ネパール、インドへも行くつもりですが、当面の目標は、ラサを目指すことです。

     チベットへの旅は、昨年に芽生えたのではなく、旅を始めた当初から、行きたいと思っていたが、環境の厳しさや、ヒッチハイクや闇ルートなどと言う、中国政府の目をかいくぐるような旅をしなければならないことが、俺にとっての障害となっていたが、昨年(2003年)チベットの文化に初めて触れ、これまでの旅で訪れた東南アジア、中国とは、違った独特な文化が、時間と歴史を通り越し、根強く息づいていることに、強く惹かれ、見てみたいと思ったことや、昨年は、ビザや経済的な事情で断念したラサへの憧れも強く持っていたので、今回は何が何でもチベットの世界へ行ってみたいと思っていた。

     チベット文化圏の旅は、環境がかなり厳しいと言うことは、昨年の旅で経験済みなので、いつも出発の時には軽いリュックが、今回は衣服が詰め込まれているため、パンパンに膨れあがっていた。
    そのため、昨夜は重いリュックを背負っての宿探しが出来ず、結局、昨年と同じ宿に泊まることにしたが、なんと部屋も昨年と同じでした。
    そして、10ヶ月の時間の経過で、さらにこの部屋はボロくなっていた。

    あの宿にも上海にも長居はしたくはなかったので、「明日の成都行きの切符が取れてよかった。」とホッと胸をなで下ろし、上海駅を後にした俺は、再び地下鉄に乗って、人民公園へと戻り、上海美術館を見学し、南京路のカフェで、珈琲を飲みながら、観光もせずに、日本から持ってきた小説を読んでいた。

     夕食の中華風クレープと小さな餃子が入っている湯(スープ)を食べ終え、宿へ戻り、ほとんど出し入れをしていないリュックから、ガイドブックを取り出し、「チベットへ、ラサへ早く行きたい。」と思いながら、ガイドブックを眺めながら、眠りについた。

     そして翌日の夜、膨れあがったリュックを背負い、前には小さなリュックを掛けた俺は、押さえることが出来ない、衝動にかき立てられるようにして、19時48分発の成都行きの列車に乗り込んだ。
    いよいよチベットへの旅が始まる。

    曇り空の下、菜の花畑が広がる上海〜成都間の車窓風景




    成都のチベタン商店街

     上海から、列車で39時間17分。日数にして2泊3日の移動を終え、午前11時10分に四川省の省都、成都に到着したが、
    それにしても、ものすごく腹が痛い。
    原因は、きっと車内で飲んだ、ビールに間違いない。
    列車に乗った初日の夜、これからの旅を想うと、興奮が冷めやらぬ俺は、酒でも飲んで眠ろうと、どこかの駅のホームで買ったビールを飲んだら、油っぽいと言うか、変な味がしたので、少ししか飲まずにトイレに捨てたが、その時からずっと腹が痛い。
    眠るどころか、車内では数十分おきに、トイレへと駆け込む始末であった。

     そんな状態で成都に到着したため、予定していた都江堰への小旅行を取りやめて、すぐさまタクシーに乗って、昨年もお世話になった『濱江飯店』へ。そして、すぐさまトイレへと駆け込んだ。
    数十分おきにトイレへ行くという行動が、しばらく続き、結局この日は、どこへも出歩くことがなかった。
    いままでの旅の中で、こんなにも腹が痛くなったことはなかった。

     そして成都に着いて2日目の昼過ぎ、お腹の調子も良くなり、約10ヶ月ぶりに成都の街を歩いてみた。
    成都は、昨年と同じように、道路工事中や建築中が多く、いったい、いつになったら、これらの工事が終わり、街は正常化するのでしょうか?と思ってしまう。

    古い建物や路地を壊し、巨大なビルやマンションを建て、広い道路を造ってと、現代の中国の特徴である、“何処へ行っても同じ”ような街作りが行われています。

     そんな特徴のない街中の、古くからある観光地、『武侯祠』の近くに、とても個性的な通りがあります。
    通りの名前は知らないが、標識や店などのいたるところにチベット文字が書かれており、
    久しぶりに異文化に触れたことに、俺は、少しばかり興奮し、『チベタン商店街』と俺は勝手に名前を付けました。

    成都の街中の商店街

    この大きな通りの両側には、回族(イスラム)の食堂も見かけたが、チベット食堂やチベット仏教関係のお店や、その他のチベタングッズの店が並んでおり、小豆色の袈裟をまとった僧侶も数多く歩いていたし、地理的にカムパと呼ばれる、チベット東部の地域、カム地方の体格がガッシリした男達もたくさんいる。
    商店から流れている音楽は、チベットの音楽だろうか?
    なんか、この通りだけ、空気感が違う。
    俺が、昨年に訪れたチベットの街とは、違って、賑やかだ。

     せっかくのチベット文化が垣間見られる場所なのだから、チベタンなら誰でも飲む、
    国民的飲料、バター茶を飲んでみようと、俺は一軒の食堂の前に立ち止まった。

    ガラス戸の窓には、チベット文字で何か書かれている。きっとこれはメニューなのだろうと、ガイドブックに載っている、チベット文字と、ガラス戸に書かれたチベット文字を見比べていたら、ガラス戸が“ガラッ”と開き、中から、体格の良い、そして、厳ついオッチャンが現れた。

    「何だオマエは?ムッ、日本人か?」と言う感じで、厳ついオッチャンは、俺が持っているガイドブックを覗き込み、「これは肉と言う文字だ。そしてこれは、」とガラス戸の文字とガイドブックの文字とを照らし合わせ、俺に教えてくれる。
    そんな見かけは、怖そうだが、愛想のいいオッチャンに対して、「バター茶を飲んでみたい。」と身振り手振り、そしてガイドブックの会話集を使って伝えた。

     そんな俺をオッチャンは快く、店内に入れてくれて、俺を色彩豊かな、敷物が敷かれた、椅子に座らせた。
    そして俺の目の前に差し出されたのは、ポットに入ったバター茶だ。
    最初に味見程度でいいから、少しだけ飲んでみたいと言ったつもりだったが、通じてないのか、そんな少量のバター茶なんか、チベット文化では出さないのか、わからないが、出された以上、飲むしかない。


    オッチャンが、コップにバター茶をゆっくりと注ぐ。
    白よりも少し茶色い液体が、コップに注ぎ込まれた。恐る恐ると言うような感じで、俺はコップを手に取り、バター茶を一口、“ゴクリ”と飲んだ。

    オッチャンは、俺に「おいしいか?」と尋ねてきたので、一応は、「おいしい。」と答えたが、実はかなり不味く、治りかけの下痢が加速しそうな勢いを感じるくらいマズイ。吐きそうです。
    チベタンは、こんなものを毎日、30杯、40杯と飲んでいるのか!
    俺はバター茶を飲んだ瞬間、これからのチベットへの旅に対して、かなりの不安を抱いた瞬間だったが、オッチャンを始め、店内の人達は、俺の表情を伺い、楽しそうに笑い、かなり好意的だった。

    結局、最初に注がれたバター茶を飲み干すことも出来ずに、ギブアップ。
    不味くて、もう飲めないし、においを嗅ぐのも嫌だ。
    オッチャンに「ありがとう」とチベット語で言い、お金を払おうとしたら、オッチャンは俺に「お金は要らないよ。」と、とても嬉しそうな顔をしながら言って、握手を求めてきた。
    俺はオッチャンと握手をしながら、「トゥジェチェ(ありがとう)」と感謝を込めて言って、店を後にした。

     きっとオッチャンは、日本の若者がチベットの文化に興味を抱いていてくれてることに対して、嬉しかったのだろう。と俺は思っている。俺が、このオッチャンだったら、きっと同じ様にしていたと思う。
    チベットと言う国は、存在しないが、文化はちゃんと存在している。
    早くチベット文化圏へ入りたいです。

    夜、雨が降ってきた。