カンゼ・ゴンパをコルラする。

     朝6時半に起床。今日、カンゼ(甘孜)を出て、デルゲ(徳格)へ向かうつもりでいたので、準備は万端。そして、気合充分。
    昨日買っておいた、朝食用のパンを食べ、さらにはトイレまで済まし、元気良く、宿の人にも「ありがとう」と別れも済まし、とても気分良く、宿の隣にあるバスターミナルへと行き、切符売り場で次の行き先地の「デルゲ」と言った。

    とここまでは、良かったのですが・・・なんと切符が「没有」(無い)である。

    昨日、デルゲ行きのバスを確かめたところ、毎日午前8時のバスがあると聞いていたので、わざわざ30分前にここに来たのに。
    係りの人が電話で確認をしてくれたが、あいにく本日の“康定〜徳格”に行くバスは、すでに満席らしく、途中乗車になる人の分の切符はないらしい。

    まぁ、ないのなら仕方がないと、せっかく準備万端な状態なので、少しでも先へ進みたいと思っているので、進路を変更し、「セルシュ(石渠)」行きのバスは?と聞いたが、石渠行きのバスは、すでに出発してしまっていた。
    今から、先へ進みたければ、午後3時に出ている、馬尼干戈(マニカンコ)行きのバスしか、もうない。
    俺は、切符売り場の人に「明日の石渠行きのバスは?」聞くが、明日も満席らしく、「没有」と一言。
    明後日なら、切符はあるようだが、俺はどうしようか悩んでいたので、切符は買わず、それに今日の移動も諦めて、先ほど気分良くチェック・アウトした宿に、再チェック・イン。

    カンゼの朝の風景

    このあと外へ出て、バスターミナル前にたむろしている、トラック運チャンや普通車運チャンに、いろいろと聞いて回ったが、トラックはラサ(拉薩)方面がほとんどで、普通車はセルシュ(石渠)へ行ってくれるが、値段が800元(約1万円)と、とてつもない金額をふっかけてくる有様で、この日は、明後日の石渠行きのバスに乗れることを祈り、俺は、カンゼへ来てから、まだ一度も行ったことがない、カンゼ・ゴンパへと向かった。

     カンゼ・ゴンパには、2日ほど前に、近くまで行ったが、街の上にあるゴンパが、あまりにも遠く感じたので引き返したが、今日は、ヒマなので行ってみたいと思います。

    俺が泊まっている宿から、15分ほど歩けば、チベット人の住宅街へと着き、ゴンパはさらにその先に位置している。
    すれ違う人達に「こんにちは。」や「タシデレ。」と挨拶をしながら、麓から見上げるカンゼ・ゴンパを目指した。途中、中国人の一団と遭遇。彼等は、民族衣装を着ている(彼等にとっては、普段着)カムパのスケッチをしたり、写真を撮っていた。
    カンゼ・ゴンパに近付くに連れて、ゴンパ行く、地元の人達とも出会い、3人のチベタンが俺をゴンパへと案内してくれた。

     見上げると、長い階段が・・・
    俺は3人に「トゥジェチェ(ありがとう)」と言い、コンクリートの長い階段を登り始めた。
    しばらくすると、二人の僧侶が俺に向かって、「ハロー!」と言いながら、手招きをしている。
    ハァ、ハァと息を切らしながら、やっと二人の所へとたどり着き、挨拶をした。
    「タシデレ、ンガ、リピン(こんにちは、俺、日本人)」中国人と見間違えられることが多い俺は、チベタンに会うと、だいたい、こんな感じで挨拶をしている。

    カンゼゴンパを見上げる。

     僧侶達と一緒に、僧坊の屋根を歩き、ここから見える雄大な風景の写真を撮った。
    屋根と言っても、日本のような瓦屋根ではなく、平らな土壁なのです。
    そこには、穴が空いていて、もしかしてこれって!と僧侶達に向かって、ウンコ座りをすると、二人は笑いながら、「そうだ、そうだ。」と言う。
    体内から排出されたモノは、穴から溝へ落ち、やがて雨によって流されるという仕組みだそうだ。
    どうりで、この辺の道は、臭いわけだ。
    大自然の営みに、身を委ねるような、水洗トイレだが、ただ単に下へ流れ落ちるだけなので、モノの最終的な行き先が気になったが、深く追求しようとは、思わなかった。

    二人の僧侶に案内されて、門をくぐると、そこには桜が満開の庭に、数人の僧侶が芝生に腰を下ろし、本を読んだりしている。なんて優雅で、落ち着いた空間なんだ。と、しばらくこの空間に酔っていたが、そんな酔いは、すぐに醒めた。
    先ほどまで読書をしていた僧侶達は、俺を見つけるやいなや、俺の方へと寄ってきて、写真を撮ってくれとみんなが言い寄ってくるので、桜をバックに記念撮影大会となってしまった。

    さらには、俺が持ってきている本にも興味を示し、集団で経をあげている写真を見つけると、「すごいな、これ。」と言う感じで、みんな見ている。
    オマエ等も僧侶やろ!なんで、この写真で感動してんねん!なんて思ってしまった。
    そして、チベット国旗が写っている写真を見つけると、ここだ!と親指を立てて、GOODのような仕草をしていた。

    僧侶達とカンゼゴンパ

     カンゼ・ゴンパは3階建ての近代的な造りの建物と伝統的な建物の二つに分かれていて、俺が僧侶に案内されたのは、近代的な造りの1階。そこは、数多くのタンカ(仏画)が飾られている部屋で、タンカの大きさはA2〜B2くらいの大きさで、どれもが独特な色使いで、鮮やかで、繊細な線で描かれていた。

    写真を撮っても良いか?と尋ねたが、撮影禁止だったので、残念。
    賽銭箱に1角(1元=約14円の1/10)を入れて、この部屋を後にした。

     次は、別の僧侶に伝統的な建物を案内された。
    そして、この建物の一室に案内され、俺はたまげた。
    そこには、おびただしい数の刀、槍、そして銃が、所狭しと壁一面に飾ると言うか、立てかけてある。
    いくら旧式とは言え、これだけの武器を見ることや、ましてや触ることなど、日本ではあり得ない。
    もしかしてこれらの武器で、中国軍(人民解放軍)と戦ったのかと思うと、結果は火を見るよりも明らかだったはずだ。

    また、この部屋には、ここにいる今まで見てきた僧侶達とは、あきらかに雰囲気が違う、気品なんてものが少し漂うような、僧侶がイスに座っており、信者が何か書かれた紙を僧侶に渡し、水差しから手のひらに水を受け取り、その水を舐めて、残りを額にあてていた。
    そして僧侶は、何か書かれた紙を信者へと返し、信者はお布施の5元札を机に置き、3元のおつりを取っていった。
    それを見ていた俺は、やっぱ金やから、シビアですねー。なんて思ってしまった。
    この後、二つほどの部屋を案内されてから、外へと出た。

    カンゼ・ゴンパからの眺め

     外へ出ると、目の前には、筆舌し難いほどの素晴らしい景色が、待ち受けていた。
    青い空に、風任せの雲がたなびき、そして雪を抱いた山脈が連なり、その下には大地が広がり、街があり、そして土壁のうす茶色のチベット住宅街が真下に広がり、その上に俺がいる、カンゼゴンパがある。
    しばらく俺は、この風景をただ、ただ、眺め続けた。
    「今日、カンゼを発たなくて、良かった。」そんな風に思えるほどの素晴らしい景色だったが、しばらくすると、やがて、空と山の境界線が、風任せに動く雲の群に、かき消されてしまった。

     ゴンパを後にして、壁にはヤクの糞が張り付け干されている、住宅街を抜けて、再び街へと戻った。
    それにしても、ここカンゼは、海抜3,310mという高所のため、歩いているとすぐに息が切れるし、乾燥しているので、喉もすぐに渇く。おかげで、596ml入りのペットボトルの水を飲み干してしまった。

    この4日間、チベタンとも遊べたし、ゴンパにも行けたし。
    これでカンゼは、思い残すことがない。




    野良犬が闊歩する街、セルシュ

     朝6時半には起き、7時にはバスターミナルへ行き「切符は?」と聞くと、係りの人は「まだわからない。」と返事をする。俺は、この「まだわからない。」と言う言葉が、あまりにも確信がない、どうでもいいような言葉に聞こえたので、一度、部屋に戻り、荷物をまとめ、出発できるように準備をした。

    俺の予想じゃ、今日の石渠(セルシュ)行きのバス切符は、取れないという予想だ。
    今日、石渠へ行けなければ、このまま徳格(デルゲ)へ行くと決めた。
    デルゲ行きのバスは、午前8時なので、まだ時間は十分にある。切符は、あるか分からないが。

    そして、30分後、再びバスターミナルへ行くが、イヤな予感が的中!
    本日の石渠行きのバス切符は「没有」である。康定ですでに満席らしく、甘孜の人達の分は、ないらしい。
    なんか、メチャクチャに腹が立ってきました。ほんなら、甘孜にいる人は、どっこも行かれへんやんけ!
    俺の隣で、デルゲ行きの切符を買おうとしていた、中国人の兄ちゃんも「没有」と言われ、膝を崩して、うなだれていた。「クソッ!デルゲ行きもないのか。」ほんまに、どっこも行かれへんな。
    どうせ、明日のバス切符も没有だろう。と、俺は、昨日と同じように、バスターミナル前にたむろしている、
    トラックや普通車のオッチャンの所へ行った。

    セルシュへ行く途中の風景

     とりあえず、見た目がボロそうなので、値段が安そうな感じがした、トラックのオッサンに「石渠、多少銭!」と聞いてみた。オッサンは、俺が「セルシュ」と言ったことを確認して、一人のオッサンを呼んだ。
    そのオッサンは、昨日、俺が値段を聞いたときに、800元とぬかしやがった、オッサンやんけ。
    しかし、このオッサンは、なんと「石渠、200元」と言うではないですか。
    「200元!」と俺が言い返すと、このオッサンは、後にいた中国人を二人連れてきて、3人で一人、200元だと言う。
    どうやら、この二人の中国人も石渠へ行きたいが、バスの切符が取れなかったため、このチベタンのオッサンと値段交渉していたようだ。
    乗車する人が増えると、一人あたりの金額が下がるので、俺にとっても、二人の中国人にとっても好都合な話だった。俺は、二人に「石渠へ行くの?」と確かめて、即決!
    200元払って、今日、石渠へ行くことに決めた。

     すぐさま、部屋へ戻り、チェック・アウトをして、リュックを背負って、チベタンのオッサンの車まで行き、甘孜を出発。お金は、600元のうち、200元を先に払い、この金でガソリンを入れた。
    「サヨナラ、甘孜。楽しすぎたぜ。」と、バスよりも座り心地が良い、乗用車のイスに座り、甘孜の街を眺めた。次に行く、石渠という街は、どんな街なんでしょうか?
    毎日、毎日、バス切符が取れない、石渠とは?ガイドブックによると、小さな街と書いてあるが、ここ1、2年で、大きな街に変わったのだろうか?

     車が走っている間、中国人のオッサンが、タバコやお菓子をひっきりなしにくれるので、口を休ますヒマがない。車は、2時間ほどで、マニカンコへ着き、あっさりと通り過ぎた。
    マニカンコ、数軒の家が、立ち並ぶだけの、とても小さな街?というか、村と言うか、ほんま何もない。
    俺は、「行かなくて良かった」と思った。

    車は、かなりのスピードで走り、凍てついた小川沿いの道を走っている。
    それにしても、山がキレイだ。いくつかの村を通り過ぎた車は、大草原をひた走る。
    なだらかな草原には、チベットでは、お馴染みの風景、ヤクや羊が放牧されている。
    そして、甘孜を発ってから、約6時間後の午後2時、石渠に到着した。
    さすが、バスの倍ほどの金額を払っただけあって、速いし、乗り心地も良かった。

    石渠(セルシュ)の街並みなど

     ここまで来るのに、苦労したが、俺の期待を裏切り、石渠は小さな街です。
    なんか力が抜けてきた。それくらい脱力感に襲われた。
    ボケッとしているわけにもいかないので、オッサンに200元を払い、宿を探した。
    一軒目に行った宿が、見た目が汚く、廊下も臭くて、そのくせ値段が80元もする、人を馬鹿にしたような宿だったが、どうせ1泊だけなので、どうでもよくなり、ここに泊まることにした。

     昼ご飯を食べに、宿の人に教えてもらった、この宿の隣にある、酒楼(レストラン)に行った。
    なんか、高級そうな感じがする所だったが、炒飯は肉入りで10元(140円)でとても美味しかった。
    飯を食べながら、俺はガラス越しに、外を眺めていた。
    なんて、野良犬が多い街だろう。

    ゴミが溢れた、用水路に頭をつっこんだり、ゴミ箱をあさったりと、今、視界の中には6匹の野良犬がいる。
    そして、この野良犬の全てが、凶暴で、体がデカイ、チベット犬だから、恐くてたまらない。
    店員曰く、昼間は、人間には手を出したりしないが、夜になりと一変するらしい。

    犬の会話から始まった、二人の女性店員との、会話&筆談は、いつしか自己紹介へと発展し、中国ではやっているらしい、QQという、チャットのようなモノの番号を教えてもらったり、メールアドレスを交換したりと、なんか楽しい。そして次は何処へ行くのか?と聞かれたので、明日はジェクンド(玉樹)へ行くと言い、
    そして、ジェクンド行きのバス切符を今から、買いに行きたい。と言うと、
    店員の一人が、電話で男友達を呼び、その男友達のバイクに乗せてもらい、切符売り場へと行き、無事に切符を買うことができた。

    部屋にて

     男友達と店員に、礼を言った後、石渠唯一と思われる、目の前の大通りをカメラをぶら下げ、歩いた。
    石渠(セルシュ)は、海抜4,090mに位置する、小さな街だが、この大通りを貫くように、道が造られ、家や商店が建ち並び、街は拡大している途中です。
    通りの向こうには、チベット住宅街があり、さらには、草原が広がっている。
    そして、通りの両側の溝には、所狭しと野良犬が溢れていて、メチャクチャ恐いです。
    人々は、チベット人がほとんどだと思うが、俺が今まで見てきた様子とは、少しだけ違います。
    タウ、カンゼなどで、よく見かけた赤や黒のダシェーという髪飾りを巻いているひとは、おらず、毛皮の帽子をかぶっている人が多い。
    それと、これは今まで見てきた中での共通のことだが、みんな民族衣装のチュパは、バチッと着ているのに、
    足下は、ゴム長靴だったり、ビジネスシューズだったりと、非常に似合ってなくて、それがまた微笑ましい。

     一通り街を歩き、部屋に戻るが、息がなかなか整わない。
    標高4,090mのセルシュは、歩いているだけでも、すぐに息が切れる。
    3,300mのカンゼでは、ここまでは、ならなかったのに、さすがに4,000mを越えると、キツイものがある。

    夕食は、昼飯を食べたレストランへ行き、チンジャオロースとご飯を食べた。
    さぁ、明日はジェクンド(玉樹)だ。