ナムツォ・ツアー

     
    まだ空が薄暗い午前6時半、4人は、ジョカン前に集まった。
    すでにランドクルーザーも到着しており、いつでも出発できる状況だ。

    今日は1泊2日で、ラサから約170km離れたところにある、聖湖ナムツォへと行ってきます。
    ナムツォとは、チベット語で“空の湖”という意味であり、湖面海抜4,718m、面積は、琵琶湖の約3倍の広さ、1920Iもある、大きな湖です。

    このツアーの参加者の内、2人は、僕とtinaさんだが、もう2人集めるのには、苦労しました。
    スノーランドやヤクホテルの掲示板に“ツアー参加者募集”というチラシを貼り、募集したが、出発日時が合わなかったり、一緒に行っても楽しくなさそうな人だったり、などなど残り2人が、集まらなかったが、偶然、スノーランドの売店でネットをしていた、上海在住の日本人女性2人と話すことになり、話しの流れで一緒に、ナムツォ・ツアーへと行くこととなった。

    そして今回のツアーの、ランドクルーザーやガイドを手配してくれたのは、チベット語、英語が堪能なtinaさんだった。前回の山奥の尼寺のときもそうだったが、tinaさんに世話になりっぱなしです。

    遊牧民のヤク

     僕達4人とガイド兼ドライバーの5人を乗せたランクルは、青蔵公路を北上。
    ゴルムドから来た僕にとっては、懐かしい道路を走っている。
    朝日に照らされた高原には、ヤクや羊が点在している。
    「こんなにもキレイな風景やったんや。」
    あの時の僕は、気が立っていて、そんな余裕はなかった。

    やがて、これまた懐かしい、ドライブインのような街(ダムシュン)に着き、納木錯(ナムツォ)と書かれた看板を左折し、山道へと入っていった。
    舗装されていない悪路が続き、標高も上がってきている。
    周りの山の風景も雪が積もっていて、草原には、ヤクや遊牧民のテントを見えるが、とても寒そうです。
    車の中も少しずつ冷えてきた。

    ドライバーとtinaさんが話しをしていた。
    どうやら、遊牧民のテントへ行ってみようと言うことらしい。
    そして車は停車し、僕達は外に出て、遊牧民のテントへと向かったが、外はメチャクチャ寒くて、風が強く、雪が地表を舞い、歩くのがツライ状態だ。

    左:遊牧民とテント 右:羊の群

     高原には、数多くのヤクが、岩のように座っている。テントの側には、食用にするのだろうか?つながれた羊が1匹と、まだ番犬にもならないほどの、ぬいぐるみのような、小さなチベット犬がいる。
    僕達がテントに近づくと、男が二人、近寄ってきて、テントの中へと案内してくれた。
    中には、男が一人、座っている。
    どうやら、男3人でのテント生活らしい。

    明かりは、テントの天井付近から差し込む、太陽光だけで、埃が宙を舞っている。
    テントの中央には、ストーブがあり、煙突が天井を突き抜けている。
    ヤクの毛で作られた毛布に僕達は座り、バター茶と羊の干し肉、それにパンを少し、いただいた。
    女性が3人いることもあってか、男達は、ご機嫌で、男の俺にも優しくしてくれて、タバコをもらった。
    テントの中は、暖かかったが、外に出ると、一段と寒さが応える。

     車は、再び走り出し、そして峠で停車。
    峠には、タルチョがはためき、ヤクの頭蓋骨が置いてあったりしていた。
    外に出たが、遊牧民のテントに行ったときよりも寒く、冷たくて、息が出来ない。
    僕は、風に背を向けて、息をして、そして振り返り、写真を撮っていた。
    峠からは、氷に閉ざされた、ナムツォが見えたが、青みを帯びた所もあり、ゆっくりと溶けだしているのだろう。

    峠から見えたナムツォ

    峠を下ると、一気にナムツォが見えてきた。
    「青い、メッチャ青い、青すぎる。」湖畔は、すでに氷が溶けて、青い空と肌色の大地の間に、空の色よりも青い湖が、果てしなく、一直線に続いていた。
    そんな風景を見続け、車は走り、テント村がある湖畔へ到着した。

     僕達が、ナムツォへ行った時期は、ちょうど中国のゴールデンウィークにあたり、日本と同じ時期にある。
    そのため観光地のナムツォには、観光客目当てに、多くの簡易宿泊所のテントが出現している。
    僕達も、その中の一つのテントに泊まることになる。
    テントの中には、毛布と布団が敷かれたベッドが4つ置いてあり、1ベッド=50元だと言うが、僕達は値引きの交渉をして、1ベッド=40元にしてもらった。

     僕とtinaさんは、外へ出て、湖畔を歩いた。
    雪を抱いた山脈の下に、まるで海のように広がり、小さな波が絶えることのない、青々とした湖、ナムツォ。
    岸には、おびただしい数のタルチョがはためき、聖なる湖、ナムツォをたたえている。
    岩場には、いくつかの洞窟があり、岩には、オム・マニ・ペメ・フムと刻まれていて、ルンタと呼ばれる正方形の紙が数多く貼ってある。また、うっすらとだが絵が描かれている所もあった。

    左:洞窟のようなゴンパの中 右:文字が刻まれた石

    マニ石が積まれた、マニ塚とチョルテンが建っている所では、僕は、目を閉じ、耳を澄まして、ナムツォが奏でる、波の音と風の音を聞いた。
    ナムツォの波の音よりも先に、風が先に耳に当たり、“コォォー”と聞こえ、風が止むと、“ザザッー”と波の音が聞こえた。そして、チョルテンの尖端に付けられた鈴の音が“カラン”と乾いた音を出していた。

    岩にへばり付いたような、小さなゴンパにも行った。
    人は誰もいない。ゴンパの中は、自然の洞窟で、そこに祠などが置かれている。
    天井も自然の岩肌で黒く、そこには、どうやって取り付けたのだろうか?白いカタが、まるで氷柱のように垂れ下がっていた。

     夕食は4人で、食堂へ行き、中華料理を食べたが、値段は、ラサの倍くらいしました。
    場所が場所だけに、この値段設定には、納得せざる得ない。
    夜になると、テント内は寒い。
    僕は、持ってきた寝袋をベッドの上に敷き、中に入り、寝袋の上には、毛布と布団を掛けた。
    これで暖かい。寝袋を持ってきて正解でした。
    夜空は、キレイだったが、月が明るすぎた。月が明るいと、星が見えないことを知った。
    それでも、僕達4人を楽しませるのには、充分な天体ショーだ。

    ナムツォ

    眠りにつこうとするが、なかなか寝付けず、朝の8時になった。
    寒い!ベッドから出たくない。しかし、野外トイレに行きたいので、起きなければ。
    しかたない、外へ出るかという感じで、外に出ると、朝日に照らされた、ナムツォと背後の山脈が、メチャクチャキレイで美しい。
    トイレを済まし、歯を磨いて、僕は、湖に向かって歩き出した。
    足下には、観光客が捨てた、ビンやペットボトルなどのゴミ、それと動物の骨と死体が散乱している。
    僕は、近くにあった骨を蹴った。
    骨は、予想通りの音がした。僕が蹴った骨は、石に当たり、“カラン”という音がして、割れた。
    ナムツォの青さは、昨日よりも増して、青かった。

     午前11時。僕達は、昨日来た道を戻り、ナムツォを後にした。
    ラサに着くと、何故かホッとする。
    もうラサに来て、2週間が経った。




    セラ、デプン、ガンデン

     セラ、デプン、ガンデンとは、ラサ観光を代表するゴンパ(寺院)の名前です。
    ラサをはじめ、チベットには、たくさんのゴンパがあります。
    そのため、チベットの観光地と言えば、ゴンパが中心になってしまう。

     セラ・ゴンパへ行ったのは、ラサに来て、まだ最初の頃。
    初めはバスで行くつもりだったが、街中から8kmとガイドブックに書いてあったので、歩いてでも行ける距離なので、周りの風景も見たかった僕は、ラサの街を北上し、色拉南路、色拉北路をひたすら歩いた。
    しかし、周りの風景は、僕が期待していた、チベットの伝統的な風景は、ほとんど無く、ただ、だだっ広い道路の両側に中国的なコンクリート造りの無機質な商店があったりするだけだった。
    あまりにも景色が、楽しくなかったので、かなり距離を感じて、セラ・ゴンパに到着。

    ここの入場料は55元(約800円)は、高すぎる。
    チケット売り場のチベット人女性が、「ごめんなさい。」と、あやまっていたが、ラサの主要建築(寺院)の入場料は、ほんまに高すぎます。

    セラ・ゴンパの敷地は、広くて歩いて見てまわるには、時間がかかった。
    ガイドブックには、コルラ(巡礼)の順番が書いてあったりしたが、僕は適当に見学していた。
    僧侶は、とてもフレンドリーな人が多く、話しかけてくれたりもして、昼の1時から、大堂で僧侶達がお経を読むから、と教えてくれた。

    セラ・ゴンパ

    1時を少し過ぎた頃に、僕は大堂に入ると、すでに大勢の僧侶が座り、経を読んでいる。
    それが終わると、各自、懐から木のコップを出し、小僧達が走り回りながら、熱いバター茶を注いでまわっていた。駆け出しは、どの世界でも大変なのですね。

    僕は、その他にもいくつかのお堂を見てまわったが、ガイドブックを見たりはしなかったので、お堂の名前は分からなかったが、建物の白い壁と黒の窓枠、緑の木々、それに青空とのコントラストが、非常にキレイだった。

     帰りは、バスで戻ったが、これもまた巡礼バスだったため、途中、新しい感じがするゴンパへ寄った。
    このゴンパのお供え物は、白酒(中国の焼酎)だったため、境内は酒臭く、建物の中へ入ると、あまりの酒臭さに、酔っぱらってしまいそうなくらいだった。
    こんなゴンパもあるのか?と、僕はセラ・ゴンパへ行ったことも、すっかり忘れてしまうくらい、インパクトのあるゴンパだった。


    セラ・ゴンパにて、お堂の中と、お堂の扉

     デプン・ゴンパへ行ったのは、ラサ到着から、12日目。
    北京東路から出ているバスに乗って、ラサから12km北西にある、チベット最大の僧院、デプン・ゴンパへ。
    ゴンパに着くと、入口付近には、たくさんのアクセサリーなどの露店がでている。
    ここは、神聖な寺院でもあるが、観光地であることを実感させられてしまう。

    ここも入場料が、55元だったが、「どこも、どこも高すぎる!」と文句を言うと、10元値下げしてくれて、45元になった。
    さすが、最大の僧院だけあって、敷地は広大です。

    僕は、マニ車を回したり、写真を撮ったりしながら歩いていた。
    本堂の前の広場のような所では、小豆色の袈裟をまとった僧侶達が、集まって、問答をしている。
    周囲は、僕のような観光客が、大勢、取り囲んでいる。
    それを見終えた後、各お堂を見てまわったりしたが、デプン・ゴンパ、広すぎます。

    デプン・ゴンパの巨大なタンカ

    それでも、せっかくこんな所に来ているのだからと、頑張って、お堂を見学し続けていたが、そんな時、事件が起きた。
    チベットのゴンパの階段は、ほとんどが石で出来ている。
    そんな石段は、人々が歩き、時間の経過で磨きが掛かり、さらには、ヤクのバターがこぼれて、一回りも二周りも磨きが掛かってい箇所もある。

    僕は、そんな階段に気を付けて歩いていたが、お腹が空いて、気が緩んでいたのだろうか?
    滑って、階段から落ちてしまい、背中と腕を思いっ切り打った。
    メチャメチャ痛かったです。

    そんなこともあり、この広すぎるデプン・ゴンパを歩く気にもなれず、一目山に出口へと向かい、食堂で洗面器に入れられた、モモ(チベット風餃子)を食べて、再びバスで、ラサに戻った。

    左:デプン・ゴンパの問答の様子 右:参道にて

     ガンデン・ゴンパへ行ったのは、ナムツォ・ツアーから戻ってきて、2日後だった。
    この頃から、風邪なのか、体調が悪くなってきた。
    昨日の夕食後の帰り道に、吐いたり、なかなか、熟睡することも出来ない。
    そんな中、早朝5時半に目が覚めた。昨日よりも体調が、いい感じがしたので、僕は、ジョカン前から出ている、ガンデン・ゴンパ行きのバスに乗った。

    午前6時40分に出発したバスは、約1時間半後、ガンデン・ゴンパに着いた。
    ガンデン・ゴンパは、ラサから約45km東に位置する、チベット仏教ゲルク派(※)の総本山。
    ここは、まるで城塞のようだ。日本の城で言うならば山城のような場所に造られている。
    その景観は、ジェクンドのジェグ・ゴンパよりも圧巻だった。

    バスを降りた僕は、一人、山道の巡礼路を歩いていたが、いつしかチベット人家族と歩くようになった。
    山の上には、巡礼者が結んだタルチョがはためき、僕もチベット人家族と同じように、タルチョを買って、結びつけた。巡礼路は、まるで登山をしているようだったが、眺めは、とてもすばらしく、いく筋にも分かれた川と広大な大地が見渡せた。1時間ほど、山道を歩き、いよいよお堂へ。

    ガンデン・ゴンパにて

    ガンデン・ゴンパは、あの文化大革命で、ことごとく破壊された寺院で、現在(2004年)再建中であり、まだ廃墟となっているところも多い。それでも、たくさんの建物があるので、僕は、チベット人家族と一緒にいくつかのお堂を見てまわった。

    お堂の中は、どこも薄暗い。これがチベットのゴンパなんですが、写真が撮れません。
    僕もチベット人家族と同じように、賽銭の1角を置いたり、白いカタを買って、女人禁制のお堂に捧げたりして、参拝していた。

    8時半頃に始まったお参りは、12時頃には終わり、家族と一緒にゴンパの食堂へ行き、みんなでトゥクパを食べたが、このトゥクパを全部食べたのは、僕だけで、他の人は、乞食のオッチャンに残りをあげていた。
    家族の一人は、インスタント・ラーメンを買い直して、食べていたので、乞食のオッチャンに残りをあげるのが、ここの習慣ではないことは、わかったが、そんなにマズイか?
    僕には、美味しく感じましたが・・・

     帰りのバスは、午後2時。途中、タクツェのゴンパにも寄り、ラサに戻ってきたのが、午後4時。
    シャワーを浴びて、一人で飯を食べに行くが、体調の悪さが、ぶり返し、しんどくて食べられない。
    午後9時に停電があり、これを機に寝た。

    ガンデン・ゴンパ

    (※)チベット仏教には、4つの宗派があります。

    1、「ニンマ派」8世紀にインド僧のグル・リンポチェが興した。
      4つの宗派の中で、一番古い。

    2、「カギュ派」転生ラマの制度を最初に導入した宗派。
      宗主のカルマパ17世は、2000年にインドに亡命。

    3、「サキャ派」11世紀、クン氏がツァン地区サキャにサキャ寺を創建したことが始まり。
      転生ラマ制度ではなく、世襲制。
      寺院は赤銅色に白と黒のストライプが施されているのが特徴。

    4、「ゲルク派」15世紀に成立した、最も新しく、最大の宗派。
      ダライ・ラマ、パンチェン・ラマもゲルク派に属する。
      最も戒律に厳しく、妻帯を禁じられている。
      セラ寺、デプン寺、ガンデン寺、タシルンポ寺、クンブム寺、タール寺が六大寺院。