音さえも眠る夜〜ランタン・ゴンパ

     俺は、眠ったり、目が覚めたりを繰り返していた。
    時間は、チベットでは、まだ夜中になる、午前6時。
    分厚い布団を払いのけて、俺は外へ出た。
    外へ出ると、目の前の空には、真っ黒な空に星達が広がり、音という音が何も聞こえない。
    その光景は、静寂に満ちていた。

     ここは、チベット、ルンドゥプ(林周)の街から、2時間と少しほど歩いたところにある、尼寺。
    ここに着いたのは、昨日の昼頃だっただろうか?
    早朝のまだ空が薄暗い7時に、tinaさんと宿の下で待ち合わせ、ラサ東バスターミナルから出ている、林周行きのバスに乗り込んだ。

    行き先は、ルンドゥプ(林周)にある、ランタン・ゴンパと、さらに奥にあるという尼寺。
    tinaさんは、以前そこへ行ったことがあり、今回も行くと言うことで、俺も一緒に行くことになったが、これまでのチベットの旅で、人里離れたゴンパ(寺院)へ行くのは、これが初めてのことなので、昨日からすごく楽しみにしていた。

    バスの中で、昨日、中国系スーパーで買った、パンとソーセージ、それにマヨネーズで、サンドイッチを作り、それを朝食にした。
    道中、道が悪いところが数カ所あったが、バスは、1時間半ほどで、ルンドゥプ(林周)の街に着いた。
    街と言っても、大きな街ではなく、一本の通り沿いに、商店や食堂が並ぶだけの、小さな街だ。
    そして俺達は、tinaさんの以前の記憶をたよりに、ランタン・ゴンパがある村へ向かって、歩き出した。

    ランタン・ゴンパへ向かう途中

     青く澄んだ空に緑の木々が、太陽に照らされ、光を放ち映えている、美しい並木道を歩いているが、美しいと思えたのは、上を向いて歩いているときだけで、下を向けば、木の根本や地面には、ビニール袋やプラスティックのゴミが、土に返ることなく、蓄積されている。
    現在のチベットの社会問題そのままの風景だ。

    並木道の両側には、畑が広がり、耕耘機で土を耕している人など、畑仕事をしているチベット人家族。
    ここは、標高3,500mを超えていると思うが、山の麓に広がる畑、畑に巡らされた水路、流れる水の音。
    これだけ見ていると、日本の田舎の風景と、あまり変わりはない。
    土と共に生きている人達は、世界共通なのだろうか?

     歩き出して、数十分経った頃、道というものが、存在しなくなり、小さな池のような水たまりが、時には川のようにつながっていたりと、二人の行く手を遮った。
    二人は、迂回をしながら、進んでいたが、やがて通りかかったトラックに乗せてもらい、苦もなく、ランタン・ゴンパがある村の手前まで行くことが出来た。

    左:ランタン村にて子供達 右:僧侶とランタン・ゴンパ

     この村は、ランタン・ゴンパのチョルテンと同じ、クリーム色をした家屋が、いくつか集まっている、小さな村。村には、もうすぐ水道が引かれるのであろう、村の道のいたるところに水道管が設置されている。
    そして、水道管を設置するために掘り起こされた土は、一箇所に集められ、小さな山となり、子供達の遊び場になっていた。

    俺とtinaさんは、まるで給水タンクにも見える、チョルテンを目指し、ランタン・ゴンパに入った。
    境内にも、水道工事の資材が置かれている。
    そして、3人の僧侶が、二人の前に現れて、お堂の扉を開けてくれて、僕達を案内してくれた。
    バターランプの明かりで照らされた、油乳くさい臭いのする、薄暗いお堂だった。

    tinaさんは、以前、ここへ来たときに撮った写真を持ってきていたので、それを僧侶に見せると、写真に写っている僧侶のもとへと案内してくれた。
    tinaさんと僧侶の約1年半ぶりの再会が実現し、僧侶の部屋へ行き、お湯を飲みながら、僧侶とtinaさんは、チベット語で、楽しそうに話している。俺は、その会話をtinaさんに訳してもらいながら、聞いていた。

    チベット自治区内では、公にダライ・ラマ14世の写真を掲げては、ならないと聞いていたが、僧侶の部屋には、たくさんのダライ・ラマ14世の写真があった。
    「ここは、個人の部屋だから、かまわない。」と言っていた。
    1年半ぶりの再会を済ました後、僧侶に見送られながら、ランタン・ゴンパを後にして、僕達が向かったのは、ここから更に奥にあるという、尼寺。


    ランタン村にて




    音さえも眠る夜〜山奥の尼寺

     ランタン村を出ると、石がゴロゴロと転がる、荒涼とした大地が広がり、そして山のような岩は、大昔、地面と地面が衝突して、隆起したままの状態で、地層を表面に表したまま、そびえている。
    荒涼とした大地の地表には、高地に住む、ネズミのような小動物の巣穴が、いくつも空いていて、僕達の目を盗むかのように、チョロチョロと巣穴からでては、動き回り、また巣穴へ潜り込んでいる。

     tinaさんの記憶では、あともう少しで着くと言うことだが、それらしき建物は、どこにも見あたらない。
    二人は、赤い地表を、さらに奥へ向かって歩いた。
    その先には、更に石がゴロゴロとした大地が広がり、視界が開けてゆき、ゴンパが姿を現した。
    こんな所に、ゴンパがあるなんて。ほんと、人里離れた、ゴンパだ。

    僕達二人から、ゴンパが見えるように、ゴンパの人からも、僕達の姿が見えて、手を振っている。
    僕達も手を振り返し、そしてゴンパへと、ゆっくりと歩みを進め近づいていった。

     迎え入れてくれた尼僧と共に、ゴンパの中へ入り、ゴンパの厨房の椅子に座り、出来たてのバター茶をいただいた。バター茶というものは、こういう道のりを得て、飲むのが一番、美味しいかもしれない。

    山奥の尼寺全景

    太陽の光が、どんよりと射し込んでいる厨房には、ストーブのような釜戸があり、その脇には、バター茶を作るときに使う道具、ドンモが置かれ、鍋などの調理道具が、黒くすすこけた壁に掛けられ、または置かれていて、その隣のは、水道がない、このゴンパに、一番重要な水瓶がある。
    柱には、カタと呼ばれる、白いスカーフや数珠が掛けられている。

    tinaさんが、尼僧と話しをしている。どうやら、今夜は、ここに泊まれるようだ。
    バター茶を飲み終えた僕達は、部屋へ案内してもらった。
    このゴンパ内の一番高いところに位置する、この部屋には、3つのベッドが置かれている。
    窓から差し込む太陽の光は、薄いカーテンによって、淡い光となって、部屋全体に注いでいた。

     俺は、ゴンパに泊まると言うことは、もっと自然な状態に近いものかと思っていたが、嬉しいことに、俺の想像は、大きく裏切られた。
    部屋に荷物を置いた二人は、外へ出て、丘の上にある、お堂を目指して歩き出した。

    地層がむき出しになった山に囲われるように、ゴンパが建ち、空は青く、雲は白く、とても近く、手を伸ばすと、触れるのではないかと思ってしまうほど近い。
    風は、少し冷たく、日に焼けた二人の顔を冷やす。
    お堂からは、二人が通ってきた道なき道、荒涼とした大地と、遠くには、さっきまでいた、ランタン・ゴンパがある村が見えた。

    左:ドンモで作ったバター茶を魔法瓶に入れているところ。右:尼僧

     僕達が散策しているのを横目に、尼僧達が、大きなステンレスかアルミ製の水瓶を背負い、水くみに出かけたが、このゴンパにも、もうすぐ水道が引かれるようで、大地には、水道管が通る道が、掘られている。
    ここに水道が通れば、尼僧達は、重労働の水くみに行かなくてよくなる。

    青い空に白い雲、連なる山と大地、そしてゴンパ。その全てを照らす太陽と、流れるように吹く冷たい風。
    それ以外、何もない。
    この何もない、清く汚れのない風景に出会えたことが、すごく嬉しくて、僕は少しの間、立ち止まった。
    これがチベットの風景なのか。
    ビルが乱立していて、先が見えない日本の都会とは違い、どこまでも、なだらかなこの風景が、とても優しく見える。

     日が傾き始め、少し肌寒くなり、ゴンパの部屋へ戻り、インスタントコーヒーを飲んでいると、尼僧が食事を運んできてくれた。野菜と豚肉を煮込んだものと、白ご飯。
    僕達は、一応、カップラーメンとソーセージを持ってきていたのですが、尼僧のお言葉に甘えて、食事をいただいた。これがまた、美味しくて、お代わりまでしてしまいました。

     食後は、ゴンパ内を歩いたりしていた。
    敷地内では、数人の男が尼僧と共に、家を建てていた。
    石を積み上げた壁に、角材で入口と窓枠を作り、隙間には、粘土状の土を刷り込んでいた。
    平らな屋根には、薄い石を数枚重ね、ひさしを造っている。
    屋根の上には、男と尼僧が数人乗っており、それに石と土が乗っている。


    すごい重量が掛かっているのが分かるが、屋根は抜け落ちない。落ちれば、それはエライことになりますが。
    ボケッと見ているのも、なんなんで、粘土状の土が入った袋を屋根に放り投げる作業をやらせてもらった。
    無事、1回目で屋根に載せることが出来て、みんなから拍手!
    けっこう、重かったので、ほんま1回で載せることが出来て、良かった。

     日も暮れかかった夕方になると、カメラを持っている、僕達二人の前に、尼僧達が次々と現れて、ちょっとした撮影会となった。尼僧達は照れ屋だったが、尼僧といえども女性であり、彼女たちが数人集まると、はしゃぎだし、各自ポーズを決めている。
    俺は、尼僧達を笑わせる事に、一生懸命になってしまい、ほとんどシャッターを切っていない。
    tinaさんは、暗いお堂での撮影も頼まれてしまい、「多分、ほとんど撮れていない。」と言っていた。

     完全に日が暮れて、夜になると、4人の尼僧が僕達の部屋にやって来て、話しをしたり、歌合戦をしたりと、楽しい一時を過ごすことが出来た。tinaさんとも、日本での事などを話したが、外へ出て、夜空を見上げると、日本での二人の愚痴っぽい話しなんて、どうでもよくなり、ちっぽけなこ事なんだと思ってしまうほど、雄大な夜空だった。

    夜空は、雲が多くて星は、ほとんど見られなかったが、いくつもの雲が重なり合ったように見える雲は、月明かりに照らされ、まるで何かの生き物のように、風になびき、うごめいているようだった。
    そんな夜空に、二人は、ただ、ただ圧倒されていた。
    部屋には、尼僧が電気コードを持ってきてくれて、裸電球の灯りを点してくれたが、僕達はロウソクの炎の明かりで、今日の出来事などをしばらく話した。
    昼間、何もなかったベッドには、布団が敷かれてあったので、寝袋は枕になり、僕達は眠りについた。

    左:祠とはためくタルチョ 右:バター茶

     俺は、眠ったり、目が覚めたりを繰り返していた。
    時間は、チベットでは、まだ夜中になる、午前6時。
    分厚い布団を払いのけて、俺は外へ出た。
    俺は、この夜に見た、星空を一生、忘れない。

    その夜空は、眠る前に見た夜空とは全く、別の空だった。
    あの生き物のような雲達は、姿を消し、漆黒の夜空には、星くずが散らばり、目の前、いや、360度、見渡す限り、空には星が散りばめられている。星が、川のように見える所もあった。

    ベトナムでもミャンマーでも、これほどの夜空は、見たことがない。
    ここが、空に近い、チベットだから、こんな星空を見ることが出来るのだと思う。
    そして、音という音、全てが、眠っているかのように静かだ。
    いや、静かと言う言葉は、音があってこそ、存在するのであって、この風景には、音は存在しない。
    真っ黒な夜空に、星達が輝き、そして、音が存在しなかった、その神秘的な光景。
    この音さえも眠る夜に、いつかまた会いたい。

    それから1時間後、太陽が姿を見せ始め、星達は姿を消した。
    朝日に照らされた大地も、また美しく、近くに見える、荒々しい大地も優しく見えた。

     僕達は、朝日を見ながら、外で朝食を食べるつもりでいたが、肌寒かったので、部屋で、ツナサンドと牛ソーセージのサンドイッチを作り、マヨネーズを塗りたくって、食べたが、胃がもたれて、気持ち悪い。
    午前10時頃、僕達は、尼僧にお礼を言って、そして、お堂の扉に、受け取ってくれなかった、20元札を挟み、山奥の尼寺を後にした。