スワヤンブナートとチベット・ゴンパ

     
    朝の9時頃、洗濯物を取り込みに屋上へ行った。
    チベット・ラサでは、ランドリーサービスを利用することが多かったが、ネパールへ着いてからと言うもの、自分で洗濯をしている。
    しかし、朝方に雨が降っていたらしく、まだ服は乾いていなかった。
    6月の半ばのネパールは、雨期にさしかかっていた。

     朝食は、宿の近くの小さな食堂で、チョウミンと言う、焼きそばのような麺料理を食べた。(30Rs)
    具は、野菜ばかりで肉はなかったが、日本の焼きそばとは、味が違って、これは、これで美味しかった。
    食後は、タメルの本屋へ行ったが、欲しかった本が、所持金では買えず、一度、本屋を出て、カードを使い、お金を引き出した。
    タメルのあちこちには、ATMが置いてあり、お金がいつでも引き出せる。
    ネパールでは、カードが使えないと、着くまで思っていたので、使えることを知った僕は、切りつめた貧乏旅行をする気は、全くなくなった。でも極力、カードを使うのは、控えよう。
    なぜならば、日本に帰ってきてからが、困るからだ。

    そのお金で、再び本屋へ行き、ヒマラヤの山々の写真集とカレンダーを買った。
    この写真集とカレンダーは、自分のお土産ではなく、ヒマラヤ好きの、父親へのプレゼントだ。
    更には、音楽CDまでも買ってしまい、タメルでの物欲は止まらない。
    荷物が増えたこともあり、一度、部屋へと戻った。

    部屋の中、特にテーブルの上には、リュックから出した、ガイドブック、CDウォークマン、CD、本、水、タバコ、小さなスピーカー、日記帳などが散乱している。
    片付ける気もない僕は、ベッドの上に、さっき買った物を置いて、部屋を出て、昨日も行った、スワヤンブナートへと行った。
    スワヤンブ・ナート

     宿から、スワヤンブナートまでは、狭い道、広い道を歩き、30分程度で着いた。
    スワヤンブナートに近づくにつれて、チベット人が、多くなってきたような気がした。
    チベット本土より暑いカトマンドゥでは、男はチュパなんて着ておらず、女性は、半袖の服の上に、チュパを着てる人が多かったが、これもまた暑そうに見えた。

    入口の前には食堂や売店が多く、また物売りも多い。
    僕は、その入り口付近にある食堂で、昼食のモモ(25Rs)を食べた。
    スワヤンブナートで有名なのが、丘の上に建つ、目玉が描かれた(ブッダ・アイ)、チョルテン。
    このチョルテンにたどり着くまでに、長い長い階段を登らなければならない。
    途中には、お土産屋が、いくつも並び、商品を見ながら歩いていたので、長い階段も、それほど気にもならずに歩くことが出来た。

     丘の上に立つと、盆地となっているカトマンドゥの街が一望できる。
    ほとんどの国の首都が、高層建築が立ち並び、近代化されている中で、高層建築もなく、中世的とまでは行かないが素朴で、そんなカトマンドゥの景色を見て、旅人の勝手な意見ですが、他国の首都と同じようには、ならないでいて欲しいと思った。

    左:ニャシャン・ゴンパ 右:色とりどりのマニ石

     チョルテンの周りには、チベット・ゴンパがあるが、チベット本土のような荒々しさは、ない。
    コンクリートの壁と大理石の床のゴンパに、なにか違和感のようなものを感じていた。
    昨日は、このチョルテンと丘の上のゴンパを見ただけだったが、今日は、周辺にある、チベット・ゴンパも見てみようと、丘を降りて、自分なりにコルラをしてみた。

    入口に戻り、早速、時計回りに歩き出した僕だったが、暑い。
    ネパールに来て、もう一週間経ったが、まだこの暑さには、慣れていない。
    暑いと言っても、この時期の日本と比べれば、まだ涼しい方だと思うが、高地に3ヶ月弱も、いたおかげで、すっかり体質が変わったのか?

     歩き出して数分しか経っていないが、ブータン・ゴンパ近くで、アイスクリーム売りがいたので、少し休憩をしようと、カップに入った、アイスクリームを買った。(30Rs)
    木陰がある場所に座って、アイスクリームを食べた後、よっしゃ!と心の中で気合いを入れて、歩き出して、最初のゴンパ、ニャシャン・ゴンパ到着したが、人っ子一人おりません。
    近代的なコンクリートのゴンパが、さらに空虚さを膨らませていた。

    次に行ったのが、リングロード沿いにある、トゥクチュ・チューリン・アニゴンパ。
    アニゴンパとは、尼寺のことです。
    このゴンパは、ダライ・ラマ14世と同じ、ゲルク派だ。
    アパートのような僧坊に囲まれた寺院で、1階の事務所に案内されて、バター茶と冷たい水をいただいたが、低地用に薄いとはいえ、バター茶は、やっぱり、標高の高いチベットで飲む方が美味しい。
    事務所の壁には、チベット国旗とダライ・ラマ14世の写真が飾ってあった。
    アパートのような僧坊の部屋は、150Rsクラスのゲストハウスよりも、キレイだった。

    カルマ・レクシェリン・ゴンパにて

     アニゴンパを後にして、ここから少し奥にある、カルマ・レクシェリン・ゴンパへ。
    このゴンパは、カルマパ17世を主とする、カルマ・カギュ派。
    堂内は、広々とした空間があり、明るい。ネパールのチベット・ゴンパは、コンクリートの建築だけあって、柱も少なく、広々としていて、清潔感に溢れている。
    あの薄暗くて、油乳臭い、お堂が懐かしい。

    その広々とした、お堂の中では、ラサのツルプ・ゴンパで見たのと同じように、楽器をジャラジャラと鳴らしたプジャが行われていた。
    そして、主が座る大きなイスの上には、立派な額に入れられた、カルマパ17世の写真が、飾られてあった。

     お堂を出ると、一人の僧侶が、僕に話しかけてきた。
    「せっかく来たのだから、お茶でも飲んでいきなよ。」って感じで誘われ、ゴンパの事務所へ案内されたが、何故か、この僧侶は、僕の手を握っている。
    事務所らしい、事務所に着き、イスに座った僕に、僧侶がジュースを持ってきてくれた。
    「こんな所で、ジュースが飲めるなんて、ラッキー!」と僕は、ありがたく、ジュースを頂戴した。

    カルマ・レクシェリン・ゴンパにて

    事務所の中には、カルマパ17世の写真が飾っていて、「知っているか?」と僕を案内した僧侶は、僕の隣に座り、そう尋ねた。手を僕の太股の上に置いている。ちょっとイヤな予感がする。
    僧侶の手が気になるが、僕は、「知っているし、ラサのツルプ・ゴンパにも行った。」と、僧侶は目を輝かせながら、嬉しそうに頷き、僕の太股を触っていた。
    体中に寒気が走り、これ以上、触られるのが、耐えられなくなって、僕は席を立った。
    僧侶との関係もこれ以上、深まることなく、ホッとして、僕はゴンパを後にした。

     なんか、もうゴンパを見る気が失せてしまい、帰ることにした。
    スワヤンブナートの裏側になる、この辺りでは、銃を携えた兵士が数人いる。
    彼等がいなければ、治安が悪くなるのだろうか?
    そんなことも考えながら、僕はマニ車を回しながら、歩いて、入口まで戻ってきた。




    古都、パタン

     この日、目が覚めたのは、朝の7時半くらいだった。
    ドアを開け、外を見ると、土砂降りの雨。
    今日は、パタンへ行くつもりだったが、どうしようか?
    トーストを食べ、ラッシイを飲みながら、土砂降りの雨を眺めながら、考えていた。
    ネパールの雨は、日本と違い、一日中降り続くことはないので、そのうち晴れることもあるだろうと、予定通り、パタンへ行くことにして、部屋に戻り、小さなリュックに、洗面道具や筆記用具を入れ、手提げカバン には、日記帳を入れて、部屋を出た。

     パタンには、1泊するつもりだが、ここカトマンドゥの宿は、チェック・アウトせずに、スタッフに、明日戻ってくるからと言って、宿を出て、オールド・バスターミナルへと向かった。
    ネパールのバスターミナルへ行くのは、今日が初めてです。
    中国の時とは違い、ネパールの文字が、全く読めないので、どのバスに乗っていいのかも分からない。
    数人の男に聞き、やっとパタン行きのバスに、だどりついた。

    乗客は、まばらだった。満席になるまで待つのだろうか?
    カトマンドゥから、パタンへは、タクシーで行っても、たいした金額ではないが、バスで行ってみたかったので、バスターミナルまで、歩いて行ったが、ここまで来るのが、めんどくさかったなと、折り畳み傘を畳んでいると、バスは出発。
    バリケードを築き、銃を持った兵士が目立つ。
    バスは小さな川(バグマティ川)を超え、走り出してから、十数分でパタンに到着した。
    料金は、6Rsだった。安い。日本円にして、20円もかかってない。

    ダルバール広場

     パタンはカトマンズの南にある小さな町で、ネワール文化の華開いたマッラ王国が栄えた時代には首都だったところです。別名を「ラリトプル」(美の都)といい、その名の通り大変美しい、趣深い町です。
    長い仏教の歴史を持ち、今でも住民の6割以上が仏教徒です。
    と言うことを、帰国してから知ったが、この時は、何も知らなかった。

    現在地が全く解らなかったので、地図を見ようとした。
    地図と言っても、日本出発前に図書館で借りた、地球の歩き方のコピーだ。
    しかし、雨が降っているため、出すのがめんどくさいので、ダルバール広場まで、人に道を聞きながら、行くことにした。
    2、3人の人に道を聞き、あっちと指さした方へ歩く。

    車がやっと1台通れるような石畳の細い道の両側には、同じ様な高さの建物が、立ち並んでいる。
    何処の家にも、窓枠に装飾が施されているし、入口が低い。
    中は、商店になっていたり、住居の玄関として使われていたりと様々。
    それにしても、窓枠、玄関、扉と見事なまでの装飾だ。
    古い建物だけあって、傷んでいるところもあるが、路地を一つ歩くだけでも、博物館のような街並みだ。

    建物の装飾

     ダルバール広場は、さらに圧巻だった。
    ネパール建築の展覧会のような。レンガの建物には芸術的な窓枠の装飾。
    石造りの建築。それに3層から5層くらいある、天守閣のような塔など、昔は、ここに人が住んでいたのか?

    圧倒的な建築群に、かなり驚き、嬉しくなり、見とれていると、オッサンが声を掛けてきた。
    オッサンは宿屋の客引きだったので、宿を探していたこともあり、部屋を見せてもらった。
    宿の名前は知らないが、綺麗な部屋だったが、トイレ&シャワー共同で300Rsだと言われると、割に合わなさすぎだったので、断った。

     ダルバール広場を抜け、通りを歩いていると、やがて山車が2台現れた。
    今日は、何かの祭りなのか?山車は、京都の祇園祭よりも大きくて高い。
    山車の下には、生ゴミのように、お供え物が散乱している。
    みんな花を投げたり、赤いお米のような物を投げたりしていた。

    もっとゆっくりとこの通りを歩いていたかったが、まだ宿も決まっておらず、さらに雨足も強くなってきたので、ここを後にするしかなかった。
    しならくすると、「宿を探しているのか?」と兄ちゃんが声を掛けてきた。
    兄ちゃんお勧めのゲストハウスに連れて行ってもらうことになったが、コイツは良く喋るヤツで、かなりウットーシかった。

    パタンの街角にて

    コイツと一緒に何故か、寺院も見学した。
    兄ちゃんの説明によれば、パタンは仏教徒が多いらしい。
    見学した寺院も仏教寺院らしいが、国が変われば、様式も変わり、チベット仏教のゴンパに慣れてしまっていたので、これが仏教寺院だと言われても、ピンとこなかったが、マニ車は、あった。

    宿は、『マハボーダ・ゲストハウス』1泊=200Rsで、トイレもシャワーも付いている。
    小さなリュックと日記帳をベッドの側の机に置いて、カメラをぶら下げて、早速外へ出た。
    カメラをぶら下げて、街を歩くのも、ものすごく久しぶりだった。

     宿近くのマハボーダ寺院は、インド式の仏塔だ。
    彫刻が見事なまでに、細かく、凄いとしか言いようがない。
    迷路のような路地を歩けば、共同の水場で身体を洗っている、オッサンや子供。洗濯をしているオバチャン。
    子供達も喜んで写真を撮らせてくれるし、いい人達です。
    路地は、本当に迷路のようで、今自分が何処を歩いているかなんて、全く分からない。

    マハボーダ寺院と彫刻

    お土産屋のネーチャンが、話しかけてきて、ペンダントを買うことになったが、これを買ってしばらくした後、大事な物を落としたことに気が付いた。
    それは、ラサのデプン・ゴンパで買った、御守りだった。
    来た道を戻っているつもりだが、どこをどう歩いたなんて、分からず、結局、見つからなかった。

    気分を入れ替え、写真をバンバン撮りまくった。
    こんなにも写真を撮るなんて、久しぶりだった。
    ネパールに到着してからというもの、カトマンドゥから離れず、しかも誰かと一緒にいることが多かったので、久しぶりに、何処かへ行けたことが嬉しく、しかも新鮮な風景にも出会えたこともあり、まるで壊れた蛇口のように、止まらない。

     夕方、ダルバール広場へ。
    夕日に照らされた、旧王宮の建物の彫刻の表情が、昼間とは違い、優しく、穏やかに見えた。
    夜になると、ライトアップでもするのだろうか?と、お堂の屋根の上で、アイスクリームを食べながら、ボケッとしていた。
    こんな風に一人で過ごすのは、とても久しぶりだった。
    ヒマラヤ越えから、昨日まで、ko君やwatta君、mariちゃんなど、ずっと一緒だった。
    それは、それで楽しかったが、異国の風景を眺め、一人で物思いに耽ることは、なかった。
    とても気分が良いが、ダルバール広場のライトアップは、なかった。


     宿に戻り、日記を書いて、寝ることにしたが、“ブーーーン”と蚊が耳元で囁く。
    5、6匹殺すが、まだいる。
    どこから湧いてくるのでしょうか?気になって、全く眠れない。
    そして朝になった。結局、20匹くらい殺した、20箇所くらい刺された。
    3時間ほどしか、眠っておらず、宿をチェック・アウトして、カトマンドゥの宿に着いたのが、11頃だった。
    やっぱ、カンティプールがいいと、ベッドに入り、深い眠りについた。