旅人の何気ない日常(カトマンドゥ)

     
    旅立ちから90日が過ぎたある日。
    今朝の朝食は、宿近くの英語メニューがある食堂で、玉子サンドイッチとミルクティー。
    今日は何をしようか?海外旅行に来ているのに、予定が無いというのも、何か寂しい。
    昨日は、昼間に荷物整理をして、郵便局へ行き、大量の荷物を日本へ送った。
    チベットで着ていた、冬服やチュパなどを送ったおかげで、かなり荷物が減りました。
    それが、昨日の出来事の中では、一番大きな出来事だった。

    ネットでもしようかと、食堂の隣にある、1時間=20Rsのネット屋へ行くが、あまりにも速度が遅すぎるので、仕方なく、タメル中心部にある、1時間=40Rsのネット屋へ行った。
    2001年、人生初の海外個人旅行へ行ったとき、あちこちにネット屋があることに驚き、海外に来てまでネットなんかと思っていたが、今じゃ、ネットは僕の旅の重要なツールにまでなった。
    移動を終え、初めての街に着けば、宿屋とネット屋を探し、家族や友達にメールを送る。
    また、旅で知り合った人達との情報交換など、その他に、僕は今回の旅の出来事などを、自分のサイトの掲示板に書き込んでいた。

    ヴァ・パールヴァティー寺院

     それにしても、やることが無い。
    こういう日は、一緒にヒマラヤ越えをした、ko君の所へ行くことが多い。
    ko君は、ネパールに着てから、僕以上に、暑さにやられているので、部屋にいることが多い。
    二人で、昼間から、ビールを飲んで、旅や人生、または好きな人のことなどを話しているだけだが、それが何か楽しい。僕は、元々、会話が上手じゃないが、元教師のko君が、話し上手、聞き上手でもあるため、それと同じ歳ということもあり、なんか色々と話しやすいのです。

    そして今日も、ダルバール広場を通り、ko君のいるジョッチェンのゲストハウスへ行く。
    僕が泊まっているタメルの宿から、ko君が泊まっているジョッチェンの宿へ向かうのに、必ず通るのが、ダルバール広場。一番最初に、ここへ来たときは、チケットを買えなんて、言われたが、「ジョッチェンへ行くために通るだけだ。」と言うと、素直に通してくれる。
    そう言われたのも、最初の頃だけで、今じゃ、何も言われることなく勝手に、普通に通っている。

    “ダルバール”とはネパール語で「宮廷」を意味する言葉で、マッラ3王朝の首都であった、カトマンズ、パタン、バクタプルそれぞれの王宮前広場に、この名前がつけられている。
    広場には、旧王宮ハヌマン・ドカを中心に、そのまわりには数多くの寺院が配置されていて、当時の面影を残している。

    タレジュ寺院(左) クマリの館(右)

    タメルから、インドラチョークを通り、まず最初に姿を見るのが1564年に建てられた、タレジュ寺院。
    そして、白い建物が旧王宮、ハヌマン・ドカである。
    現在の建物は17〜18世紀のもので、建物の中には入っていないが、その内部はトリブヴァン博物館としてトリブヴァン王にまつわる品々が展示され公開されている。
    奥に見える高い建物は、バサンタプル・ダルバールと呼ばれる塔で、木枠などの装飾が美しく、一見四重の塔のように見えるが、内部は9階建てになっている。

    ヴァ・パールヴァティー寺院は、シンプルなつくりだが、扉の彫刻は緻密で美しく、その上の小さな窓からは、破壊神シヴァとその妃パールヴァティーが見下ろしている。
    その他にも、ネパールの生き神の少女、クマリが住む木彫りの装飾が、繊細で非常に美しく緻密な館もあり、ここに、ネパール文化が集結しているような、広場だ。

    そういう場所だけあって、土産屋は多いが、声を掛けられると、慣れた手際で、彼等を振りきり、ジョッチェン(フレーク・ストリート)へと着く。
    規模は、タメルほどではないが、ここも外国人観光客が集まるエリアで、安宿や土産屋、カフェ、レストランなどが、軒を連ねる通りだ。

     ko君が泊まっている『Paradise』という名のゲストハウスに着き、レストランにもなっている1階にいるスタッフに「koは?」と聞くと、「いるんじゃないか?勝手に上がって見てこい。」なんて返され、勝手知ったる、他人の家という感じで、狭い木造の階段を上がる。
    ちょうど、共同トイレから、ko君が出てきたところで会い、少しばかり、ko君の部屋でくつろぐ。
    ko君の部屋は、少し薄暗く、蒸し暑い感じがする。そして、俺の部屋と同じように、CDウォークマンにスピーカーがつながれていて、ここ数日のうちに買ったCDを聞きながら、お酒を飲むこともあった。

    (左)夕方のインドラ・チョーク (右)ジョッチェン(フリーク・ストリート)

    ローカル食堂で、パコダという、コロッケみたいな揚げ物を食べた後、天気も良かったこともあり、二人で、スワヤンブナートまで行った。
    別に、これといった目的があるわけではなく、暇だから行こうかって感じです。
    階段を登りきり、チケットを買おうと、1,000Rs札を渡すと、お釣りがないからという理由で、タダになった。このいい加減さが、メッチャ、好きです。

    コルラしたり、景色を見たりと、特にあてもなくブラブラとして、帰ることにした。
    その帰り道に、森の中に建っているような、感じの良い、高級なホテルを発見し、僕達は、躊躇うこともなく中へと入った。好きな人と、こんなホテルに泊まってみたいな。なんて、話しをしながら、ここの喫茶店で、飲み物を飲みながら、休憩していると、外は大雨。
    結局、雨が止むまで、ここにいて、雨が上がったところで、僕達は、ジョッチェンへと帰った。

     暇でも腹は減るので、ko君が泊まっている宿の1階のレストランで、ラザニアを食べ、また色々と話す。
    ほんと、ko君とは、このネパール滞在中、よく話しをした。
    他にも、ここカトマンドゥで出会ったyukiちゃん&kaoruちゃんと、4人で、ご飯を食べたり、酒を飲んだりとして、お互いの恋愛、旅、人生の価値観をぶつけ合う。そして、話す。
    これが俺の、カトマンドゥでの、何気ない日常だった。

    ジョッチェンで、ついにコイルヒーターを購入しました。
    これで部屋でコーヒーやお茶が飲めます。
    やっぱお湯がないと、あかんわ。




    聖地、ボダナート

    居心地が良すぎたカンティプールをチェック・アウトして、1泊2日で、バクタプルへと行き、再びタメルへ戻ってきた。
    宿も経済的な事情により、カンティプールより、安い宿に替えた。
    『HOTEL FLORID』と言う、日本人が多い宿で、朝、宿の隣のチャイ屋に行くと、日本人旅行者と必ず会い、なにかしらの話しをするようになっていった。

    「日本は、何処から?」「ネパールには、どれくらい居るの?」「次は何処へ?」
    まぁ、最初は、こんな感じで、会話が始まる。
    そして次に、あんなことがしたくて、こんなところに行きたくて、などと旅立ちの理由や、旅に出て、やってみたいことなどを、お互い話すようになったりも、たまにある。

    俺は、写真を撮りたくて、旅に出てきてはいたが、やる気がないわけでは無いが、ネパールへ着てから、少し旅のテンションが下がってきていた。
    「ネパール、思っていたよりも、居心地が良すぎる。」
    あまりにも、やることが無く、時間を持て余すと、考えの幅が広がりすぎて、収拾がつかなくなる。
    もう来てしまってるのだから、今やりたいことをやりましょう。
    そういや、ネパールへ来てから、絵を描いてないことにやっと気が付き、絵を描きに、ボダナートへ行くことにした。

    ボダナートのチョルテン

     前日、ko君に小さなリュックを借りたので、それに必要な物を入れて、それ以外は、でっかいリュックに入れて、ゲストハウスのフロントに預けて、「2、3日で戻ってきます。」と言って、チェック・アウト。
    タメルから、リキシャーに乗って、バスターミナルに到着。そして、ワゴン車のバスに乗って、カトマンドゥから、東に7キロの所に位置する、ボダナートに着いた。


    ボダナートは、チケットを買わなくても、脇道から、簡単に入れるのですが、ここに2、3日、滞在するつもりなので、とりあえず、チケットは、買っておいた。
    さてと、この辺りのホテルに泊まって、そこから、絵を描こうなんて、思い描いてましたが、ボダナート周辺のホテルは、やっぱり値段が高いので、諦めて、少しはずれた所にある、『Lotus G.H』にした。
    トイレ&シャワー共同で、250Rs。夜、犬が吠えて、ウルサイが、それ以外は、静かです。
    周辺にゴンパも多いので、チベット文化に、ドップリと浸れる。
    早速、スケッチブックを持って、ボダナートへ。

    チベット仏教の聖地と言われる、ここ、ボダナートのブッダアイが描かれた、チョルテンの高さは、38mで、外周は、100mとネパール最大らしい。
    周囲には、チベット寺院(ゴンパ)も多く、チベット人が多く住んでいる。
    絵を描く前に、僕もボダナートをコルラした。
    壁に設置されたマニ車をグルグルと回しながら、旅先でのことを思い出し、またこれからのことを考えながら、時計回りに歩く。

    (左)コルラする人達 (右)ボダナート周辺の通り

     さて、何処から絵を描こうか?
    コルラをしながら、何処かいい場所は、ないものか?と探した結果、ゲートをくぐった所の側にある、銀細工のお土産屋の軒先に、勝手に座り、ここから描くことにした。
    描き始めてから、30分もたたないうちに、店の人がやって来たので、ここで絵を描かせて下さいと言うと、快く承諾してくれて、おまけにイスまで貸してもらいました。

    しかし、ここ数日の睡眠不足のため、集中力がなく、たった1時間半ほどで、絵を描く手を止めた。
    「明日にしよう。」と、僕はチョルテンに登り、そこから周りの風景を見ながら、歩いていた。
    チョルテンの周りをコルラする人や、激しく五体投地を繰り返す人。
    近代的なネパールと時間が止まったような、チベットの風景が、あまりにも違うため、ゴンパに行ったりしても、なんとなく違和感があるが、ここは聖地だけあって、特別な場所。

    その時間と場所を飛び越えた、特別な場所の雰囲気が、何故だか、愛おしいと想えた。
    俺って、チベットが好きなんだな。

    晩ご飯は、ボダナート近くのチベット商店兼食堂で、フライドライス(焼き飯)を食べた。
    別に焼き飯が食べたかったわけではなく、カレーを頼んだら、これが出てきたので、しゃーなしに食べた。
    ボダナート周辺には、チベット風(中国風)商店や食堂が多く、置いてある商品も、漢字とチベット語で書かれた食品が、棚に並べられていたりと、チベットを感じることが出来たし、食堂へ行けば、漢字のメニューや壁に貼り付けられた、ポタラ宮の絵や、ダライ・ラマ14世の写真など、ボダナート周辺は、リトル・チベットな感じがしました。

    左:チョルテンの上で 右:お堂の扉の前で

     翌朝も晩ご飯を食べた近くの通りの小さな小屋のような売店で、ミルクティーを2杯飲んだ。
    なんか、ラサの光明商店を思い出すような、気分だ。
    ボダナートをコルラした後、昨日と同じ土産屋へ行き、同じ場所で、絵を描き始めた。
    今日は、集中して描く。と、気合いを入れて、さぁ開始。
    目の前のボダナートを見つめながら、そして紙に鉛筆で下書きをして、0.2mmのペンで、線を入れてゆく。

    昼ご飯は、トゥクパを食べた。
    ボダナート周辺の店のトゥクパは、美味しいかどうかは、別にして、ラサに近い味がする。
    それから、また絵を描き始める。
    途中、雨も降ったりしたが、ここは屋根があるので、お構いなしに描き続ける。
    夕方の5時くらいまで、絵を描いて、続きは明日にして、夕方のコルラ。
    朝夕のコルラは、ここでは、欠かせません。

    夕食は、昨日と同じ店で、ジャガイモと肉のカレーを食べた。
    やっと、カレーが食えたが、チベットでよく食べていた、シャムデとは違い、こっちの方がカレーっぽかった。その後、ネット屋へ行き、メールを見てみると、岩崎さんから、メールが着ていた。
    昨日、カトマンドゥに到着したようだ。
    そうとなれば、早く会いたいので、明日には、絵を完成させて、タメルに戻ろう。

    ボダナートのチョルテンからの眺め

     ボダナートへ来て、3日目。
    絵がようやく完成した。3日間で11時間、描き続けた。
    ポタラ宮のときほどではないが、久しぶりに疲れた。
    場所を貸してくれた、土産屋のオッチャン達に完成した絵を見せると、くれ!と言われたが、そんな簡単にあげたりしません。代わりにコピーを撮って、あげました。
    オッチャン達は、店に飾っておくと言っていたが、どうなったんでしょうか?

    僕は、昼過ぎにボダナートを後にして、カトマンドゥに戻り、タメルの前回と同じ宿にチェック・インした。
    いよいよ岩崎さんとの、約1年ちょっとぶりの再会。