DHOOM DHOOM(マナリへ)

     旅立ちから158日目。
    今日の夕方、デリーからマナリへと向かいます。
    午前10時に、shokoさんが泊まっているゲストハウスへと向かった。
    昨日、ネット屋でまたもや偶然に会って、その後、チャイを飲みながら、話しをしていると、映画の話題となり、そして今日、一緒に映画館へ行くことになった。

    少し早めに着いた俺は、ゲストハウスの1階の食堂で、ミルクティーを飲みながら、彼女が来るのを待っていた。10時過ぎに、shokoさんは、上階から降りてきたが、体調がおもわしくない。どうやら下痢のようだ。
    「とりあえず行ってみよう。」と言うことで、オートリキシャーに乗って、映画館へと向かった。

     僕達が向かった映画館は、コンノートプレイスにある、デリーで一番、お洒落な映画館だ。
    インドとは思えないくらい、清潔感に満ちあふれている。
    チケット売り場で、上映時間を確かめると、11時の上映には、間に合わなかったので、次の13時45分からのチケットを買って、それまでの時間をマクドナルドで潰すことにした。
    ここは、以前watta君と行ったマクドとは、違うが、店内はとてもキレイで、全席禁煙です。
    客層も裕福な人が多く、マクドナルドは、インド人にとっては、とても高級な食事なのだと感じてしまう。

    インド門

    下痢のshokoさんは、ここから動きたくないようなので、俺は、ここで昼飯のハンバーガー(チキン)を食べた。shokoさんのガイドブックを見ながら、お互い、これまでの旅話に花を咲かせた。
    1時間半ほど、マクドにいて、さぁ!映画館へ。
    チケット代が、150Rsだけあって、客層も裕福な人が多いのだろうか、ここは、インドか!って疑ってしまうくらいです。

    映画の題名は「DHOOM」。バイクに乗った強盗犯と警察&もてないスゴ腕ライダーのお話なんですが、随所にダンスシーンもあり、楽しかったです。
    それにしてもインド人女優は、キレイだ。
    街中歩いていても、そこまでキレイな人は見ません。
    ある種、少数人種です。メッチャ、稀ですね。
    映画は楽しかったです。言葉がわからないのですが、それでもストーリーが把握できたし、映像も良かったよ。主題歌も格好良くて、サントラCDまで買ってしまいました。

     メインバザールに戻り、shokoさんと別れた俺は、ゲストハウスに戻り、リュックを背負って、『アジャイGH』の旅行会社へと向かった。
    今日は、これから夜行バスに乗って、マナリーへ行きます。
    まだ少し、時間があったので、ネットをするが、遅いです。昨晩、急に停電になった、影響なのだろうか?
    昨夜、メインバザールを歩いていたら、バチッ!と音がして、花火のような火花が飛び散った。
    その次の瞬間には、メインバザールは、暗闇となった。

    左:インド門付近にて 右:映画館

     さて、時刻は17時30分となり、旅行会社の人が、マナリまで行くバス乗り場まで連れて行ってくれて、バスに乗り込み、18時に、バスはマナリへと向かって、走り出した。
    インド文化圏は約2週間と短かったですが、暑すぎました。
    マナリからは、久しぶりのチベット文化圏入りです。

     車内は、狭く窮屈なため、眠ることも出来ず、ついには夜が明けた。
    少し標高も上がり、半袖じゃ寒いと感じて、休憩にときに、服をもう一枚着て、チャイを飲んでいた。
    もうすぐマナリって所で、何か臭い始めた。
    何かが燃える臭いがする。バスは停車して、点検を始めると、バスの下から炎が上がった。
    どうやら、バッテリーと荷物が接触して、炎が上がったようだが、幸い、火はすぐに消されて、バスにも人にも影響はなかった。
    しかし、これには、外国人、インド人共に驚き、ビックリしていた。

    昼の12時頃に、やっとマナリに着いたが、もう眠たくて、しかたがない。
    そんなことを知る由もなく、インド人がやって来て、「宿はどこにするんだ?」などと、話しかけてくる。
    俺は、全く何も決めていなかった。
    そもそも、マナリには、行くつもりじゃなかった。
    俺の旅は、デリーから、ダラムサラに行って、旅を終えるつもりだった。
    それが、マナリに行き、そしてラダックへ行こうとしているのは、もう一度、あの澄み切った空と乾いた大地に会いたいからだ。

    左:オールド・マナリにて 右:マナリの宿

     マナリは、ラダックのレー(Leh)へ陸路で行く起点となる街です。
    まだ、レーへ行くかは、悩んではいたが、ここまで来てしまった。
    宿は、バスターミナルやジープスタンドがある、ニュー・マナリでも良かったが、街から外れた、オールド・マナリも見てみたいと思い、オールド・マナリへと向かい、現地人兄ちゃんに宿を紹介してもらったが、あまりにも山奥だったので、パス。
    結局、一人で宿探しをすることになった。

    兄ちゃんと別れた場所から、すぐ近くの宿、『TOURIST NEST GUEST HOUSE』へ。
    1泊=200Rsで、少し高いが、もう眠たくてしょうがなく、フカフカのベッドを見てしまったため、ここにチェック・イン。
    今日、初めての食事のあんかけ麺を食べきることも出来ず、部屋に戻ると、すぐに寝た。


    夕方の6時頃、目を覚まし、お腹が空いたため、宿近くでチーズケーキを買って、宿のカフェでチャイを飲んでと、これが夕食となった。
    オールド・マナリは、欧米人好みのリゾート地って感じだ。
    景色は良いけども、ツーリストばっかりで、つまらん所です。
    ネットは、つながらないし、夜になると、欧米人が騒ぎ出して、うるさいです。
    夜中の2時まで、小説を読んで、眠った。

    マナリにある、ペマ・ウーリン・ゴンパ




    ラダックの都、レー

     旅立ちから162日目。
    今日、マナリから、ラダックのレーへ行くことにした。
    どうしようか悩んでいたラダック行きだったが、昨日、マナリの旅行会社の前に出ている、いろんな行き先の看板を見ていたら、オッサンに声を掛けられて、思わず、「レーへ行きたい。」と答えてしまった。
    この時は、悩んでいたが、これできっかけが出来たと思い、値段交渉を開始した。
    オッサンが言うには、「ジープは1,000Rs、バスは800Rsだ。」
    俺の情報では、道路状況は、かなり悪いと聞いていたので、ジープを選び、値下げの交渉に入った。
    結果、100Rs安くなって、900Rsでレー行きのチケットを買った。
    出発は、午前4時で、かなり早い。

     出発当日の午前3時30分に目を覚まし、4時には宿を出たが、まだ辺りは真っ暗だ。
    宿の入り口付近には、番犬なのか?犬がしきりに吠えている。
    「これじゃ、出られない。」と立ち往生しているところに、兄ちゃんが声を掛けてくれて、ようやく通りに出ることが出来た。
    「オマエは、レーへ行くのか?」という、兄ちゃんの質問に対して俺は、「YES」と答えると、兄ちゃんがジープが停まってある場所まで案内してくれた。
    すでにジープの中には、イスラエル人カップルが乗っていた。

    俺が、助手席に座ると、ジープは動き出した。
    ジープは、ニューマナリのバスターミナル前に停車し、ここで人待ちのようだ。
    起きてから、まだ何も食べ物や飲み物を口にしていなかったので、チャイを飲みながら、座って待っていた。
    そして、午前5時、俺、イスラエル人カップル、現地人とドライバーを含めた、計5人を乗せたジープは、レーへ向かって、出発した。

    マナリ〜レー間の風景

     太陽は、まだ昇っていなくて、辺りは真っ暗だ。
    ジープはライトをつけて山道を走っている。景色は、暗くて全く見えないが、坂道をずっと上っているため、急激に標高が上がっていくのが分かった。
    そして、いつしか日は昇り、周りの風景が見えだした。
    あれほど生い茂っていた緑は、無くなっていて、肌色の大地に緑が点在するような風景へと変わっていた。
    ラホール地域のケーロン(keylong)と言う、小さな街に着いた頃には、人々の顔、それに服装が、マナリまでよく見かけていた、インド人とは、違っていた。

    ケーロンから、しばらく走ると、そこに広がる風景に、おもわず懐かしさがこみ上げてきた。
    俺が、見たくて、見たくて仕方のなかった、あの荒涼とした乾いた大地が、広がっている。
    「やっと、チベットの風景に出会えた!」
    雲一つない、青すぎる青空に、緑が無く、岩肌がむき出しの山々、山には、所々に針のように尖った岩が、まるで遺跡のように見える。
    懐かしいと思う反面、これほどまでの風景は、チベットでは、見ていなかったので、驚いていた。

    同乗のイスラエル人のネェちゃんが、高山病にかかり、ジープは、休み休み進んだ。
    そのため、写真をたくさん撮ることが出来た。
    俺はと言うと、高山病にかかるどころか、体が覚えていたのか、チベットにいた頃に戻って行くような感覚にさえ陥った。
    何も食べられない、イスラエル人カップルを横に、俺だけインスタントラーメンとベジタブル・モモをしっかり食べていた。
    それでも、5000m級の峠を越える時は、息苦しさを感じたが、息苦しさや、冷たすぎる風が顔に当たり、息が出来ない状態になることも、懐かしいと感じてしまう。

    マナリ〜レー間にて

     ジープが進むに連れて、何もない風景が広がってゆく。
    何かあるとすれば、青い空に、肌色の乾いた大地、そして白い雲がたまに見えるだけだった。
    テントの休憩所が、数カ所あるが、家も村もない。
    夕方になると、太陽の光も弱くなり、寒くなってきた。
    俺は、ジープに置いてあった毛布を体に巻き付けて、寒さをこらえた。

    レーまで80kmと書かれた標識が見えたときに、やっと村が見えた。
    そして、ジープが村へ入ってゆく瞬間、俺は一瞬、目を疑った。
    なぜならば、ラサへ入ってゆく風景と、とても似ていたからだった。
    ラサの時とは、家屋の窓枠の形状など、違うが、石造りの家屋や石垣で囲まれた畑が広がり、所々に白いチョルテンが建っている風景は、時間が戻ったのかと錯覚してしまうくらい、ラサに入ってゆくときと似ていた。

    レー近郊に近づいた時には、すでに太陽が沈み、周りは月明かりに照らされた風景が、広がっていた。
    山やチョルテンが、月明かりに照らされて、輪郭だけが浮き上がっている景色は、とても幻想的だった。

    マナリ〜レー間にて

     そして僕達が、ラダックの都、レーに到着したのは、マナリからジープに乗って、16時間後の午後9時だった。しかし、着いたのはバススタンドで、町中ではない。
    こんな時間に、こんな所で降ろされるのは、俺を含め、みんな困ることだ。
    途中からジープに乗った、二人のアメリカ人が、ドライバーにホテル街がある、フォート・ロードまで行ってくれと言っている。
    俺も、そっちの方がありがたいし、イスラエル人カップルも同じ意見だった。
    ドライバーは、渋々承諾して、フォート・ロードまで行ってくれたが、これは後から知ったことだが、マナリからのジープの仕事は、バススタンドまでで、そこから先は、レーのタクシーの仕事という線が引かれていたことを。

    フォート・ロードに着くと、欧米人がたくさん歩いている。
    なかなか、賑わいのある通りです。
    俺は、ドライバーに残りの700Rsを渡して、一緒にここまで来た4人と同じ宿へ行くが、1泊=600Rsは、高すぎたので、彼等と別れて、一人で宿探しを始めた。
    とりあえず、あまり高くなければ、今日はどこでもいい。早く体を休めたい。
    結局、300Rsの部屋を250Rsにまけてもらったが、これでも高いので、明日は宿を変更することに決めた。
    体は、もうクタクタで、夕食を食べることもせず、ビールを買って、部屋へ。

    レーにて、後に見えるのは、王宮

     本来、レーへは行く予定じゃなかった。
    インドの低地をゆっくりと周り、そしてデリーからダラムサラへ行って、俺は旅を終えるつもりだったが、シッキムを旅しているときに、もう一度、チベットの風景に出会いたいと思った。
    もう一度、チベットで見ていた荒涼とした乾いた大地を見ておきたかった。
    そして、そんな大地にそびえ立つゴンパにも行きたかった。
    もう一度、チベットの風景を見たかった。
    まぁ、そんな感じで来てしまいました。

    インドの低地では、暑さにすっかり負けてしまい、くたばってましたが、標高3500メートルで酸素の薄い、レーで再び息を吹き返しました。
    レーは、ラサではないが、ネパールやシッキムでは、感じられなかったものを感じることが出来そうな気がする。

    それにしても、物価が高いよ。レーは。