300年という時間

     レー到着の翌日、朝からフォート・ロード沿いの宿屋を数軒、見てまわるが、どこも高い。
    どっか、安いところは、ないのか?と歩みを進めると、白いテントで造られた、マーケットに出くわした。
    「オールド・チベタン・マーケット」(英語で)って書いてある。
    簡単なテントで造られた、土産屋が数軒並ぶ、マーケット内には、食堂もあって、俺はここで、トゥクパを食べた。ネパールやシッキムのような繊細な味じゃなく、無骨なチベット本土に近く、美味しくはなかいが、メチャクチャ懐かしい味だった。

    レー(Leh)は、インド北部に位置する、ラダック(Ladakh)地方の中心となっている街で、かつては、ラダック王国の都でした。
    そして、周辺のザンスカール、スピティ、ラホールと共に、チベット文化圏の西の端にあたります。
    この地域は、中国の支配を受けることがなかったので、チベット本土で消えつつある、チベット文化が息づいており、そのため「小チベット」と呼ばれている。
    欧米人が多く、そんな感じになれませんが・・・

     トゥクパを食べた後、再び宿探しをするが、やっぱりどこも高い。
    高い宿に泊まると、レー滞在が、短くなるので、避けたい。宿代は、せめて1泊=150Rsにおさえたい。
    こういうときは、「同業者に聞け」が、俺の旅の術なので、1軒の宿屋で、安宿を教えてもらって、ホテルの名前が書いてあるカードをもらい、そこへ向かった。

    レーの街と旧市街、王宮を望む

    近くまで行くと、宿の主人が出迎えてくれていた。どうやら、電話があったらしい。
    部屋は、シングルで150Rs、トイレは共同だが、隣にあるので、どってことない。
    宿の人に言えば、バケツに入ったお湯を持ってきてくれるので、体も頭も洗える。
    部屋の窓からは、レー王宮が見えるが、電柱と電線がジャマだ。
    俺は、宿の主人に「今から、荷物を持ってくるから。」と行って、フォート・ロードにある宿に戻って、荷造りを済ました。
    バラナシで買った、葉っぱで出来たウチワは、レーまでの移動で、壊れたので、捨てることにした。
    宿の兄ちゃんには、高いから宿を替えると言うと、宿代を200Rsにすると言われたが、それでも高いし、環境が向こうの方が、楽しそうなので、心変わりすることなく、レー旧市街(オールド・レー)にある、『MOON LAND G.H』へ。

     荷物を置いた俺は、早速、カメラをぶら下げて、レー旧市街を歩いた。
    レーは、ほとんど雨が降らない所で、いつも晴れているようだが、今日は、雲があるからダメだ。と宿のおばちゃんが言っていたが、俺から言わせれば、今日も立派な晴天です。

    レーとラサは、王宮があるからだろうか?どことなしか似ている感じがする。
    ラサの旧市街のように、白く塗られた壁と黒い窓枠ではなく、レーは、土の壁と窓枠の装飾がない家々が、所狭しと立ち並び、細い迷路のような路地を作り出している。
    その路地は、動物や人間の屎尿の臭いがして、臭い。これは、ラサもレーも同じだ。
    俺は、すれ違う人に、道を尋ねながら、細い路地を歩き、目の前に見える、垂直にそびえる、茶色のレー王宮を目指して、歩いていた。

    左:ゴンパの内部 右:廃墟のレー王宮内部

    王宮の側には、ゴンパが二つあり、さらに王宮の上には、ゾン(城)のような見え、その向かい側の丘には、大量のタルチョがはためいていた。
    「昨日、着いたばかりなので、今日は、あまり歩かないようにしよう。」と心に決めていたはずなのに、俺の意志とは裏腹に、体はチベットを求めて渇望していた。

     レー王宮に着き、まずは、二つのゴンパに行くことにした。
    王宮に近づくにつれて、眺めがドンドンと良くなって、街が見渡せるようになってきた。
    街は、ラサに似ているとばかり、思っていたが、実際、市街を見渡してみると、チベット自治区のギャンツェの街に似ている感じがした。

    ゴンパは、チベットで普通に見てきた、造りが荒々しくて、簡素なゴンパだ。
    クツを履いたまま、中へはいると、目に見えた光景は、懐かしさ以外、何もなかった。
    薄暗いお堂、土の床、壁画は天井からの光で、うっすらと浮かび上がり、かつては赤かった柱や、ひっそりと佇んでいる仏像。
    ネパールでも、シッキムでも感じること出来なかった感覚が、今、ハッキリとよみがえった。

    100Rs払い、王宮へ。
    王宮と言っても、華やかさなど、微塵も感じない。土で出来た王宮の中は、薄暗く、廃墟に近い。
    僧侶に案内されて、唯一公開されている、お堂の中へ。
    中に入ると、俺は一瞬、息をのんだ。
    お堂の中は、薄暗く、四方の壁は本来の色を無くし、黒ずんでいる。
    正面には、3体の仏像が鎮座しているが、時間の経過なのだろうか、かなり古く見える。
    上に張られた布は、すでに朽ち果て、無惨な状態で、新しい物と言えば、仏像の前に置かれている白い布のカタとバター灯の入れ物くらいだろうか?
    赤かった柱には、チャムの時に使うお面が飾られている。

    左:廃墟のレー王宮内部 右:王宮の扉の装飾

    僧侶の説明によれば、300年前の時から何も変わっていないと言っていた。
    俺にはそれを判断できる知識がないが、お堂や仏像など、色あせ、古さを感じるが、この空間の神秘的で神々しい雰囲気、ズッシリとした感覚は、チベットのゴンパでも感じたことがなかった。
    この空間の魅力は、時が経つに連れて、これからも増してゆくのだろう。
    俺は、ブッダ・ガヤーで買った、白い布のカタを中央の仏像の前に置いて、僧侶に「トゥジェチェ(ありがとう)」と言って、お堂を後にした。

    レー王宮は、ただいま修復の真っ最中。
    崩れた壁、木の柱や窓枠などを、少しずつ修復しております。
    誰もがこの埋もれた文化遺産を修復して、後世に伝え、または観光資源にしたいと望んでいるだろう。
    王の部屋と呼ばれている所には、壁の装飾が残ってはいたが、やはり廃墟で、観光客が刻んだ落書きが痛々しかった。
    修復まで、ものすごく時間がかかると思うが、がんばって修復して欲しい。
    そして、キレイになったレー王宮を見てみたいと思った。

    王宮の上の岩山には、ナムギェル・ツェモという、砦跡とお堂があり、タルチョがはためいている。
    そこからは、市街や田畑など、レーの全てが見渡せた。
    冷たい風が顔に当たり、息が苦しい。

    唯一公開されていた、お堂

     今日、行ったところは、レー王宮と周りの3つのお堂だけだったが、そこにはラサにいたころの懐かしさあり、新しい驚きもあり、俺は、またチベットが好きになった。
    日が暮れ、夜になると、急に冷え込み、俺は毛布のような服を買って、体に巻き付けた。
    これがかなり暖かく、レー滞在では、不可欠な物となった。
    夕食は、チベタン・レストランでチョウミンを食べた。
    初日から張り切りすぎたので、明日に影響がでないか不安だ。




    ラダック・フェスティバル

     旅立ちから164日目。
    今日も、レーの空は青く澄みきっている。
    レーに到着してから、今日で3日目になる9月1日から9月15日まで、ラダック・フェスティバル『Ladakh Festival』が始まると言うことは、通りを歩いているときに、張り紙や横断幕などの告知があったので、知っていたが、何をするのかは、全く知らなかった。

    これまで、旅をしてきて、地域のお祭りに遭遇することが、全くなかった俺は、良い時期にここに来られたことをラッキーと喜んだ。

     朝、宿の人が、「今日の12時から、ポロ広場で〜ゴニョゴニョ」と教えてくれたが、ポロ広場での先の言葉が、英語が苦手な俺には、聞き取れなかった。
    12時になれば、ポロ広場へ行けば良いと思い、モスクのある通りメイン・ストリート(Main Bazaar)に到着すると、多くの観光客がカメラをぶら下げて、沿道に集まっていた。

    「いったい、何が始まるのだろう?」と首を傾げていると、毎日、俺に声を掛けてくる、土産屋のオッサンが「今から、パレードがある。俺の店の2階から、良く見える。来るか?」と言う。
    祭りの初日は、パレードがあるのか、どんなんか知らんけど、せっかくなので、間近で見てみたい。
    俺は、オッサンの誘いを断って、他の観光客と同じように、カメラを手に取り、いつでも来い!と、準備をして、沿道に待機。

     そして、パレードが始まった。
    青いシルクハットのような帽子を被った男達が、金色の太鼓を肩から下げて、鳴らしながら、テンポよく登場した。着ている服は、チベットのチュパのようでもあるが、少し違うような気もする。
    帽子といい、太鼓といい、チベットでは、見たことがない格好だ。
    男性達の次に登場したのは、女性達で、この人達も青い帽子を被っている。
    顔からして、チベット系なのだろうか?
    小豆色の服には、刺繍が施してあり、銀のアクセサリーを重ねた衣装は、とても綺麗だ。

    パレードにて

    お次は、水色の石、ターコイズだろうか?それを甲羅のように施した衣装を着た人達が登場。
    この衣装は、ラダックを紹介するときに、良く出てくる衣装なので、本で見たことはあったが、こうして間近で見るのは初めてだった。
    男性陣は、赤茶色のチュパと少ないアクセサリーだけの簡素な出で立ちに対して、女性陣は、多くのアクセサリー身につけ、かなり重そうな衣装だ。

     その後も、いろんな民族衣装を着てのパレードが続いたが、どこが、どの民族衣装なのか、勉強不足のため、全く分からない。
    ラダックには、ラダッキと呼ばれるチベット系の民族が多いのですが、その他にも、アーリヤ系民族など、いくつかの民族が暮らしております。
    俺には、どれがどの民族なのか、分かりませんが、各民族衣装を着た人達が、楽器を鳴らし、または踊りながら、行進している様子は、見ていてとても楽しかったし、どれも綺麗で、圧巻だった。

    パレードが終わると、観光客を含め、人々が移動しだした。
    どうやら目的地は、ポロ広場のようなので、俺もポロ広場へと向かった。

    ポロ広場にて

     ポロ広場には、すでに多くの人が集まっていて、パレードを終えた人達もここに集まっていた。
    広場には、白いテントで日陰が作られている箇所もあり、そこが来賓者席のようだ。
    今後、2週間の間、ここでは、ポロやコンサートなどが、開催されると、パンフレットに書いてあったので、時間を作って、見に行きたいと考えていた。
    それにしても暑いです。
    朝晩は、さすがに寒いが、日中は、日差しがきつすぎて、暑いし、眩しい。
    地元の人達は、日傘を用意している人も大勢いた。

    さてさて、やっと始まると思ったが、来賓の挨拶ばかりで、何にも始まらない。
    おまけに言葉も分からないので、あまりの退屈さと、暑さのため、宿へ戻ることにした。

     その他、別の日に、ポロ広場で俺が見に行ったのは、ラダックの物産展とコンサートだ。
    物産展は、たまたま行ったら、やっていただけで、アプリコットなどの果実や特産品など。
    レーの八百屋では、ラフランスもたくさん売っていたので、ラダックの特産だろう。
    日本では、高い果物ですが、さすがレーでは安く売っていたので、俺はしょっちゅう、ラフランスを食べていました。

    チャム(仮面舞踏)

     ラダック・フェスティバル終盤の9月10日には、ラッダク・ツクラカンでチャム(仮面舞踊)が行われた。
    チャムとは、チベットで年の暮れに行われる仏教儀式で、チベット僧の修行の一環として13世紀から続く伝統の踊りで、チャムを踊れるのは、修行を積んだ僧侶だけらしい。
    そして、とてもありがたい踊りなのです。

    さて、そんなチャムは、僧侶達の演奏?から始まり、大きな仮面を被った僧侶達が境内に登場して、踊ってゆきます。動物の仮面や骸骨の仮面、魔物の仮面など、ビジュアル的にもおもしろい。
    骸骨の仮面の3人なんて、観客の帽子を取って、放り投げたり、やりたい放題に見えたが、これも厄よけなのでしょうか?
    最後の方になると、観客も楽器を鳴らしたりして、お祭りだけに、お祭り騒ぎとなって、楽しかった。

     こんな風に、レー滞在の15日間が、ラダック・フェスティバルと重なっていたため、午前中、ゴンパへ行って、戻ってきたら、ポロ広場へ行くという行動パターンになった。
    良い時期にレーに来て、良かったです。
    この、ラダック・フェスティバルは、観光局主催で、毎年、9月1日〜15日まで行われているんだそうです。