ラマユルとアルチ

    1・月の世界ラマユルへ

     朝、いや、まだ夜中にあたる、午前4時前。まだ夜空には、星が見える。
    tomoさんが、泊まっている宿がある通り、フォート・ロードで待ち合わせをした。
    二人とも、ほぼ時間通りに待ち合わせ場所に到着し、カルギル行きのバスに乗るため、ポロ広場前のバス停へと向かった。
    バス乗り場に到着すると、すでに数名の欧米人が、バスを待っていた。

     僕達が、これから向かう先は、レーの街から120kmほど西に位置する、ラマユルと、その中程にある、アルチ・ゴンパ。
    ラマユルとアルチへは、ティクセ・ゴンパなどのゴンパ巡りをした翌日に、シェイ・ゴンパで出会い、レーまで車に乗せてもらったkoeさんと一緒に、日帰りで行ったが、日帰りだったため、時間に余裕がなく、どうしても心残りだったので、tomoさんが、ラマユルとアルチへ行ってくれる人を探していると言ったとき、僕は手を挙げたのだった。
    そして、その日の夜に出会ったmiyaさんは、トレッキングをすると言うことなので、途中まで一緒に3人で行くこととなった。

    ラマユル・ゴンパ

     まだ夜が明け切れてない午前5時頃に、バスは出発した。
    車内は、僕らのような旅行者やラダッキ(ラダック人)で満席だった。
    そして、ちょっと生ゴミくさい。
    3人がけのイスは、狭くて、膝が当たり、痛い。
    道路状況もあまり良くないので、この痛みにいつまで耐えられるか?と覚悟していたが、予想外にもバスは、早くにラマユル村に到着した。

    到着したのは良いが、バスが止まったのは、村のかなり上の方の道路で、僕達は、村を目指して降りなければならなくなった。
    道路伝いに行くと、かなり時間がかかりそうなので、崖のような、道無き道を降りることになった。
    僕は、無難に降りることが出来たが、tomoさんは、おぼつかない足取りで、今にも滑りそうな感じなので、目が離せない。
    3人とも、無事に降りることが出来て、ゲストハウス探しを始めるが、どこも似たような感じだと思い、一軒目で即決。二人部屋にエキストラ・ベッドをいれてもらった。
    (名前と宿泊費は、覚えてません)

     部屋でコーヒーなどを飲み、少し休憩した後、3人は別行動で、各自ラマユル・ゴンパを見学した。
    この前、閉まっていたお堂に入れたのは、嬉しかったし、古いお堂の壁画もすばらしい。
    千手観音像も2回目だったが、やっぱ素晴らしいの一言に尽きる。
    僧侶が、明日の朝、プジャがあることを教えてくれた。
    まだラッダクでは、一度もプジャを見たことがなかったので、それも楽しみだ。
    広場のような一角では、巨大タンカの準備をしており、近々何か、あるのだろう。

    ラマユル・ゴンパ
    売店の光景

    miyaさん、tomoさんと合流して、ラマユル村を散策。
    このラマユル村を含む周辺は、「月の世界」と称されていて、草木がほとんどない、黄色の岩肌がむき出しの幻想的な風景に囲まれている。
    青のグラデーションがかかった空と、黄色の岩肌がむき出しの山々と小さな村とゴンパ。
    ここだけ他の世界から、切り離されたような空間だ。

    村では、ヤクを使った脱穀風景を見たり、売店では、映りの悪いテレビに釘付けの僧侶達と出会ったり、子供僧侶達との撮影会やら、時間に余裕がなければ、味わえない体験だった。
    やっぱ、ラマユルに来て良かった。

     夕食のターリーをお腹一杯食べた後、部屋で日記を書いていた僕は、tomoさんと屋上へ行き、夜空の星を眺めていた。
    夜空には、流れ星が、たくさんあると言いながら、次々と流れ星を発見する、tomoさん。
    僕は、なかなか見つけられず、やっと見つけるが、消えるのが早くて、願い事なんて、している場合じゃなかった。
    tomoさんは、部屋に戻り、僕一人で、星を見上げた。
    キレイだ。今回の旅で、二番目にキレイな星空だ。

    ラマユル・ゴンパから見た「月の世界」

    2・不協和音(アルチへ)

     翌朝、今日は、アルチへと向かいます。
    6時過ぎに起き、すでに起きていたmiyaさんに、「朝食は、どうしますか?」と聞かれたが、持ってきている食料を減らしたいので、その中のパンを朝食にした。
    今回の小旅行の食料は、miyaさんと出会う前に、tomoさんと一緒に買いだしをした食料で、パンやインスタントラーメン、缶詰などがあった。
    これらの食料が詰まっている、僕のリュックは、パンパンに膨れあがり、多少の金額は浮くが、持ってこなくても良かったと、後悔している。
    そんな状況を知っているtomoさんだが、彼女は、この荷物へ減らしに非協力的で、宿の食堂で朝食を食べていた。

     3人が、バラバラの朝食を終え、荷物をまとめた後、プジャを見るために、ラマユル・ゴンパへ。
    古いお堂の中には、14、5人の子供僧侶と、まとめ役なのだろう、数人の僧侶がいた。
    プジャを見るのは、いつぶりだったか?
    多分、ネパールのボダナートで見て以来だったような気がする。
    今回のプジャは、子供僧侶だってこともあり、あまり揃っておらず、良いとは、言い難かったが、古いお堂で灯りは、差し込む太陽光のみで、お堂の雰囲気は、とても気に入った。

     1時間ほど、プジャを見学した後、ゲストハウスへ戻り、荷物を持って、宿の前で、バスが来るのを待っていた。しばらくして、バスはやって来て、それに乗り込んだが、このバスは、アルチへ向かう手前の分岐点の橋近くで停車し、アルチへは行かないようだ。
    どうやら、アルチへ行きたければ、橋を越えて、徒歩で行かなければならない。
    そんなに距離はないので、大丈夫だろうと、歩き出したが、この暑さの中、緩やかな坂道を歩くのが、とても大変だったし、荷物の重みがさらに、僕を疲れさせた。

    ラマユルでのプジャ風景
    ラマユルの千手観音像

    荷物の中で、一番ムカツクのが、缶詰だった。
    これは、かなり重くて、昨夜のうちに食べなかったことを後悔したが、昨夜は、みんなお腹一杯だった。
    先へ進む二人を羨ましそうに眺めながら、ゆっくりと歩みを進めるが、二人は遙か先だ。
    途中で缶詰を捨ててしまおうかと思ったが、捨てることなく、やっとアルチ村に到着した。

    ゴンパ前の売店のイスに座り込み、コーラを飲み、チョコを食べて、休憩。
    ここアルチで有名な『アルチ・チョスコル・ゴンパ』は、仏教美術の宝庫とまで、言われているゴンパで、内部の壁画群や建築は、11世紀のカシミール様式が残されている、希にみる、ゴンパなのですが、そんなもん、もうどうでもいいと思えるくらい、疲れた。

     ゲストハウスは、村にたくさんあり、今居る場所から近くのゲストハウスに決めた。
    1泊=200Rs(3人で)エキストラ・ベッドも付いている。
    部屋に入り、早速、荷物減らしに取りかかった。
    僕の荷物が重いのは、なにも食料や缶詰のせいばかりではない。
    僕は、ラマユル、アルチへ行く前に、レーの宿をチェック・アウトしていたため、フル装備なのです。
    それプラス、食料だったので、かなりの重量になっていた。
    そしてtomoさんに、これから旅で役立ちそうな、南京錠やチェーンそれに、コイルヒーターをあげた。
    缶詰も、今日中に絶対食べるので、これでかなり楽になりそうだ。

    3人で、アルチ・チョスコル・ゴンパを見学するが、疲れていた僕は、完全に集中力を無くしていた。
    残りのフィルムも少なかったこともあり、ほとんど写真も撮っていない。
    ここは、前回、日帰りで行った時のほうが、ちゃんと見られた。

    アルチ・ゴンパの装飾
    アルチ・ゴンパのお堂にて

     再び、3人で宿に戻ると、tomoさんが、「明日、リキル・ゴンパには行かずに、レーに戻る。」と言い出した。気持ちは、分からないでもない。
    一人で日本を発ち、一人旅をするつもりで、ここまで来ているのに、彼女は、これまで、ストク村、ラマユル、アルチとずっと僕と一緒にいる。
    しかし、僕も彼女と同じ気持ちでいたので、一度行った、リキル・ゴンパへは行かずに、レーに戻るつもりだった。

    別に、あなた達のことが嫌いなわけでは、無いが、何か自由になれない息苦しさが、湧いてきていた。
    「もう、僕の旅も終盤、もっと自由気ままに行動したい。」
    彼女に先を越されて言われてしまったが、僕も同じ気持ちだったので、僕もレーへ戻ると言った。
    tomoさんとは、レーまで一緒に帰ることになりそうだ。
    その後は、知らないが、僕は早く、一人に戻りたかった。
    そして、miyaさんは、トレッキングをするから、途中まで一緒だと、最初は言っていたが、何処をトレッキングするのだろう?
    もう半分、レーに戻ってきている状態なのに。

     夕食までの時間まで、外出することになり、3人揃って、部屋を出て、それぞれ別の道を歩く。
    フィルムを撮りきってしまった僕は、カメラを持たずに、ミニ・レー王宮のような、建物へ行くが、廃墟のようで、中に入ることが出来なかった。
    宿へ戻るが、鍵を持っているtomoさんが、まだ戻ってきてなかったので、30分ほど待たなければならなかった。

    アルチにて

     3人が揃った午後7時、ゲストハウスの食堂で、僕はチョウミンを二人は、ターリーを食べた。
    メニューには、他の料理も書いてあったが、どうやら今作れるのは、この二品だけのようだった。
    そして、食後のデザートに、やっとあの重かったフルーツの缶詰が登場。
    これでクソ重かった缶詰は、なくなった。

    この一夜漬けのような寄せ集めのメンバーでの2回目の食事だったが、会話は前日よりも弾むことなく、沈黙の多い、食事風景だった。
    不協和音の原因は、各自が蒔いてしまった種で、それがtomoさんの発言で、開花してしまった。
    部屋に戻るも、盛り上がることなく、それぞれが変に気を遣う感じで、僕達3人は、全くまとまらなかった。
    もう、明日で終わりだと、僕は、そう思っていたが・・・




    ジュレー!ラダック

     朝、7時半頃に、アルチの宿を出て、ゴンパ前のバス停へと向かった。
    すでにバスは待機していて、バスの屋根に荷物を載せて、座席に着く。
    俺とtomoさんは、レーに戻る。そして、俺は、すぐにマナリへと向かう予定だ。
    このバスは、レー行きのバスのため、リキル・ゴンパの近くで、miyaさんとお別れ。
    miyaさんは、一人、リキル・ゴンパへと向かった。

     レーに着くまでの間、俺は、tomoさんと一言も喋っていない。
    お互い、一人になりたいと言う気持ちが、ありありと伝わっているようだった。
    彼女とは、もっと仲良くなれそうな感じでいたが、結果、そうはならず、仲が悪くなってしまった。
    出会って、2日目のストク村へ行ったときが、一番仲が良かったと思う。
    バスは、インダス川沿いに走るが、乗客が多いため、通路側に座っている俺からは、あまり見えない。
    前回、車をチャーターしたときの方が、融通が利き、景色を楽しみながら移動が出来た。

     レーに到着すると、俺はわき目もふらずに、マナリへ行くジープの予約の手配を行った。
    tomoさんもマナリへ行くと言ったので、彼女の分の予約も俺がした。
    出発は、午前2時で、30分前にジープ乗り場に来ることを言われた。

    リキル・ゴンパ遠景

     俺は、tomoさんと夜の8時に、会うことを約束して、彼女と別れた。
    とりあえず荷物を預かってもらってから、ブラブラしようと思い、以前泊まっていた、ゲストハウスへ行き、半日分の宿泊費を払い、部屋を借りて、そこに荷物を置かせてもらった。

    レーも今日で最後だと、俺は、よく行っていた、ダージリン・レストランで、昼食のモモを食べて、馬鹿高いネットを少しして(1時間=120Rs)、カフェへ行き、レモンティーを飲みながら、日記を書いたりし、青空に映える、レー王宮を感慨深げに眺めたりしていた。
    そしてお土産屋へ行き、誰にあげるかも分からない、銀のブレスレットを400Rsで購入。
    またカフェへ行き、日記の続きを書くが、ハエがうっとしくて、ゲストハウスへ戻り、ラマユルとアルチの日記を書いていた。
    こんな風に、ただブラブラとしていただけだったが、なんか、久しぶりの一人なので、体が軽い感じがする。
    そろそろ待ち合わせの8時になるので、ヒゲを剃り、顔を洗って、待ち合わせ場所のモスク前へ。

     モスク前へ行くと、tomoさんは、すでに到着していた。
    これまで数回、この子と待ち合わせをしたが、彼女が時間に遅れたことは、一度もなかった。
    晩ご飯を食べに、フォート・ロード沿いのレストランへ。
    tomoさんは、一人で居られたことが、嬉しかったのか、注文したテントックを食べながら、良く喋った。
    俺は、彼女がどういう人なのか、あまり分からないと言うか、知ろうという気持ちが、ない。
    それは、非日常的な旅という、出会いだからでもある。
    数日間、彼女といて、わかった事は、頭は良いが、けっこう気分屋で、わがままな事。

    バススタンド
    レーの通りに面したバザール

     時刻は、10時前となり、そろそろゲストハウスへ荷物を取りに行かなければならない。
    このまま、ここで夜中の2時まで、部屋を借りて、仮眠を取るのも良いかもと、部屋代を聞くと、二人で200Rsだと言われ、やむなくここを出ることにした。
    1泊=150Rsの部屋が、二人で、しかもたった4時間で、200Rsは、高すぎる。

    二人で相談をして、バスターミナルへ行くことにして、そこで、どっか部屋を探すことになったが、バスの運チャンに案内してもらった宿は、あいにく満室だった。
    俺達が、今夜、レーを発つことを知っている、運チャンが、「それなら、俺のバスの中で休めば良いと」二人をバスの中へと入れてくれた。
    バスの後部座席、2列をベッドにして、体を横にするが、寒くて、眠るどころじゃない。
    tomoさんも、寒いと体を震わせているので、俺は、レーで買った、毛布を貸してあげた。
    俺自身も寒いが、なんとかなるだろう。

     寒そうに体を震わせる、俺達を見かねてか、運チャンが、一緒にチャン(地酒)を飲まないか?と誘ってくれたので、お言葉に甘え、飲ませてもらった。
    ポリタンクのような入れ物に入った、チャンを口のみで、3口ほど飲んだが、ラサで飲んだときは、もっと、ガンガン飲めたのに、美味しいとは、感じず、酸っぱいと感じた。
    チベット以来のチャンだったため、そう感じたのだろうか?
    tomoさんは、一口飲んで、もうギブアップでした。

    旧市街路地にて

    チャンを飲み続けた運チャンは、いい感じに酔っぱらい、自分の寝袋に入って、寝た。
    tomoさんも、毛布にくるまり、横になる。
    俺も、体勢が悪いが、横になった。
    窓越しに、夜空の星が良く見える。
    寒さで、全く眠れなかったが、星空を眺めながら、流れ星を探したりしていると、もはや眠るどころではない。それにしても、キレイな星空だ。
    満天の星空を見るたびに、ラサの山奥の尼寺で見た、星空を思い出す。

     やがて時刻は、午前1時をまわった。
    俺とtomoさんは、運チャンに礼を言って、ジープ乗り場へと向かった。
    どうやら、外国人は、俺達二人だけのようだ。
    そして、午前2時過ぎ、ジープは、マナリへ向かって、出発した。
    ジュレー!ラダック。また逢う日まで。

     こうして、ラッダクの都、レーを発った俺だが、アルチの夜から、今まで、ほとんど寝ておらず、もう眠たくて、フラフラ。車内で、毛布にくるまり、やっと眠れると思いきや、tomoさんが、俺に寄りかかって、寝だした。
    俺は、相当眠たいが、tomoさんにもたれるわけにもいかず、車の窓にもたれるが、道路状態が良くない道路で、車が跳ねたり、揺れたりする度に、俺は、窓や窓枠に頭をぶつけたりして、眠るどころではなく、もう痛くてしょうがない。

    王宮と旧市街

    そんな眠ることも出来ない状態のまま、いくらか時間が経ち、俺もやっと眠れるようになった。
    って言っても、数十分単位ぐらいですが。
    車内での事は、ほとんど覚えてなくて、マナリ近くの峠では、深い霧が立ちこめていたのを覚えている。
    そして、幻覚かと思うくらい、車は走っても、走っても、同じ場所へ戻ってきているような感覚だった。
    やっとマナリに着いたのが、午後7時。レーからマナリまで、17時間かかった。

    バスターミナル付近の街並みが、華やかに見えるのも、幻覚か?
    ジープを降り、荷物を持つと、tomoさんは、一人、さっさと歩き出し、その場からいなくなった。
    俺も、早く宿を決めて、さっさと眠りたいが、tomoさんに、一言、挨拶でもと思い、声を掛けたが、彼女は、声を掛けるも、無視と言う態度を取ったので、俺もその場から、さっさといなくなった。

     客引きの勧める宿に決めて(1泊=120Rs)、夕食のチキンカレーを食べて、久しぶりにシャワーを浴びて、眠った。
    レー、最後の方は、最悪に、後味が悪かった。