再会のビール(マナリにて)

    ko君と会うのは、1ヶ月半ぶりだ。
    最初に会ったのは、チベット自治区のシガツェ(日喀則)、その後、ダム(樟木)へ向かうバスでの最初の宿泊地のシガツェで、再び、再会をして、ヒマラヤ越えを共にした。
    ネパールのカトマンドゥでは、しょっちゅう会っては、酒を飲み、バクタプルでもビールを飲み、シッキムのガントクでも、再会した僕らは、昼真っから、酒を飲んでは、いろんな話しをした。
    そんな、酒飲みな、俺達二人が、マナリで、またまた再会した。

     ko君と再会したのは、俺が、レーからマナリに到着した翌日、旅立ちから178日目の夕方のことだった。
    ko君が、今日、マナリに着くことは、昨日の夜、俺が、マナリに到着した日に、メールで知った。
    「ダラムサラかマナリで、会おう!」と、レーでは、連絡を取り合っていたが、その再会は、偶然にもマナリとなった。
    そして今日の夕方、「今日は多分、会えないだろう。」と、とりあえず、宿泊先を知らせておこうと、バスターミナル沿いのネット屋へ向かう途中、バスターミナルに一台のバスが到着した。
    そして、そのバスを降りたko君と出会った。
    ちょっと、運命的な出会いで、ビックリしました。

    ペマ・ウーリン・ゴンパ

    「テツヤ君、どこ泊まってるの?」と、俺は、今朝、昨日とりあえず泊まった宿から、『HOTEL TIBET』へと宿を変えていたので、俺達は、そこへ行き、ko君もここに泊まることになった。
    少しの間だけ、ko君とは、お隣さんである。

     そして、旅立ちから179日目。
    今日は、ko君とヴァシストという、マナリ郊外の温泉地へ行くが、あまり活気があるようには見えず、お互い、入る気もなく、近くの食堂で、昼ご飯を食べた後、トボトボと、マナリの市街へと戻った。
    その後、久しぶりに、二人で近くのゴンパ、ペマ・ウーリン・ゴンパへ行き、「ゴンパも随分と行ったな。」などとお互い、話し、そこで、子供達と写真を撮ったりしながら、遊んだ。
    この日は、温泉地へ行ったり、ゴンパへと行ったが、俺達二人は、外出していた時間よりも、部屋にいた時間の方が、長かった。

    なぜならば、そこには、テレビがあったからだ。
    インドのテレビ番組を見るのは、デリー以来、2回目なのですが、ホームドラマがあったり、MTVインド版があったりと、言葉が解らないのですが、サリーを着ていたり、恋愛駆け引き音楽だったり、色鮮やかなダンスシーンだったりと、インドの国民性を感じます。

    ホテル・チベットにて

    で、テレビ番組の中で、今日ずっと見ていたのが、ANIMAX(アニマックス)と言う、番組。
    日本のアニメを放送している番組です。
    ガンダム、キャプテン・ハーロック、009、犬夜叉、鉄腕アトムなど、日本アニメ文化は、インドにも進出しています。
    特に、ガンダムには、二人ともはまってしまった。
    ちょうど、ドムが出てきたあたりだった。
    「ジェット・ストリーム・アタック」や、「マチルダ中尉」など、懐かしく、完全に二人で見入ってしまっていた。
    セリフは、当然日本語じゃないが、だいたい、ストーリーは、分かるので、一人、部屋へ戻った後も、ずっとテレビを見ていた。
    ko君も、俺と同じように、テレビをみていたようで、今朝の俺達の挨拶は、「昨日、ガンダム見た?」と言う、小学生並みの挨拶で始まった。

     久しぶりに日本アニメを見て、楽しんでいますが、俺インドにおんねや、旅してんねやテレビをボケっと見ていて良いのだろうか?

     そして今夜は、ko君の部屋のベランダに、イスを並べ、宴会がスタート!
    ビールやワイン、何でもこい!って感じで、飲み続け、当然、翌日は二人とも二日酔いのため、何もしていない。
    たまには、こんな日があっても良いか。

    そんな俺達は、明日、マナリを出て、ダラムサラへと向かう。
    そう、そこが俺の旅のゴール地点だ。




    旅人の何気ない日常(ダラムサラにて)

     朝、8時前に起きた。10時にko君と、待ち合わせをしているので、僕は、宿のレストランで、朝食のチベタン・ブレッド(パン)を食べながら、日記を書いていた。
    この宿のレストランは、俺が泊まっている暗くて、ジメッとした部屋とは違い、明るくて、いい感じだ。
    これから毎日、ここで日記を書こうか。
    10時になり、ko君とアメリカ人&スウェーデン人夫婦の4人で、ダライ・ラマ14世に謁見する手続きの方法を聞きに、セキュリティーオフィスへ向かうが、どうやら、ダライ・ラマ14世は、今は、アメリカへ行っていて、会えないようだ。
    カルマパ17世とは、土日に謁見できるようだ。
    今日は月曜日なので、土曜日まで待とうか、どうしようか悩んでいます。
    そんな情報を聞いた後、まだ朝食を食べていない、ko君は、道沿いの小さな食堂へ。
    僕は、通りで、タバコを吸って、待っていた。

     僕達二人が、ダラムサラに着いたのは、昨日の午後8時前だった。
    マナリから、ローカル・バスに乗り、クル(Kulu)やマンディ(Mandi)を通り、10時間ほどバスに揺られ、ローワー・ダラムサラ(Lower Dharamsala)に到着した。
    ここから、チベット亡命政府が置かれている、マクロード・ガンジ(Maclead Ganj)までは、10キロほど、バスで30分程度だった。

    ダラムサラ(マクロード・ガンジ)

    ダラムサラの街は、チベットのことを知っていようが、知っていまいが、ツーリストが多すぎで、ここはタメルか!?カオサンか!?って感じで、あまりの欧米人の多さや、カフェやバーなどが、建ち並び、欧米化しすぎているダラムサラに、ちょっとウンザリしてしまいますが、その分、食べ物もおいしいし、土産物も豊富でございます。
    チベットが、もし国に戻ったら、ラサは、こんな風になるのだろうか?
    あまりにも文化的なギャップが大きいため、そんな考えすら起きてしまう。

    結局、僕達は、ダライ・ラマ14世への謁見は、諦めて、カルマパ17世に謁見するために、あと1週間、ここに滞在することに決めた。

     旅立ちから184日目。ダラムサラに来て4日目。
    朝目が覚めると、ノミかダニか知らないが、腕や足を噛まれていた。
    持ってきているキンカンで対処するが、そろそろ無くなりそうだ。

    グリーン・ホテルのレストランで、朝食を食べた後、ko君と、ダラムサラ郊外にある、バグスナートという、沐浴場へ歩いていった。
    ガイドブックによると、ここは、きれいな泉が湧く、沐浴場と書いてあったが、行ってみると、ただのプールだった。僕達二人は、ここで身体を洗おうと、お風呂道具一式を持参していたが、あまりにも拍子抜けしてしまい、あっさりと帰った。
    結局、宿へ戻り、お湯をもらって、久しぶりに、体を洗い、頭も洗った。

    ナムギェル・ゴンパにて、問答風景

     その後、僕は一人で、ツェチョリン・ゴンパへ行くが、なんとなく、ゴンパを見学する気には、なれなかった。帰り道に、偶然、ko君と出会い、一緒に、ツクラカンにある博物館へ行った。
    昨日の夕方にも行ったのですが、チベットのドキュメンタリー映画を見ただけだったので、博物館は見ていません。

    ドキュメンタリー映画には、パンチェンラマ10世がシガツェに戻ったときの映像やラサ暴動、中国側パンチェンラマ11世の映像など、興味深いものばかりだったのですが、言葉が全部、英語だったので、俺にはあまり理解できませんでした。残念。

     博物館を出た後、久しぶりに日本食を食べに行こうと、ルンタハウスへ向かった。
    途中、本屋があり、そこの窓にチベット全土の地図が貼り付けてあったので、地図が欲しかった僕は、中へ入り、チベットの地図を買って、お金を払っているときに、シッキムやラダックでよく見ていたポスターが貼られていることに気が付いた。

    そのポスターは『Story of Nation(民族の歴史)』と英語で書かれているのと、チベット語で書かれている、2種類があった。チベット民族の歴史が、描かれたポスターを見て、どうしても欲しかったので、そのポスターは、どこで売っているのですか?と訪ねると、なんと!欲しかったらあげると言うので、チベット語、英語で書かれた、ポスターを2枚ずつもらった。

     この本屋の主人は、ダラムサラ2世で、チベット本土(中国支配のチベット)から、亡命してきたのではなく、生まれも、育ちも、ダラムサラだと言う。
    そして、俺が、昼間に出会った兄ちゃんも、生まれも育ちも、ダラムサラだと言っていた。

    ダラムサラ(マクロード・ガンジ)にて

     ダライラマ14世が、インドに亡命してから、もう40年以上にもなる。
    その間に、世代が入れ替わり、チベット本土を知らない人々も当然、増えてきているし、チベット本土での出来事を経験していない人も増えて、当たり前だと思う。
    日本で、戦争を経験した人達が、少なくなって、知らない世代がほとんどと言う状況までは、行ってないが、感覚的には、似ていることだと思う。

    僕は、日本人で、日本という国に帰ることが出来るが、彼等には、帰る場所が、今は無い。
    かつて、彼等の祖先が築いた国が、あったならば、やっぱり、そこへ帰りたいと思うし、ましてや、侵略されて、奪われた国ならば、なおさら、その思いは強いことだと思う。

    ダラムサラの人達は、己の民族やチベットに関して、とても強い誇りを持って生活していることに、チベット亡命政府が置かれている、この地に来て、強く感じた。

     さて、僕とko君は、夕食は、どこで食べようかと悩み、ローカルなインド屋台へ行くが、二人とも、インドの味に飽きてきて、食べるのがしんどい。
    部屋で、ビールを飲みながら、「何もやってないけど、ダラムサラで、やりたいことって無いよね。」なんて話していた。

    カルマパ17世との謁見まで、あと3日。
    何しよう?