旅の想い出に(バンコクにて)

     インドのデリーを出発して数時間後、僕は、タイ時間の午後1時過ぎに、バンコクに到着した。
    タイへは、当初、全く行く予定は無かったが、今回の旅で出会った人達が、数日間の違いはあるが、タイのバンコクに来ることが分かり、僕も、まだ旅を終わらせたくないって言うこともありますが、みんなに会いたかった僕は、タイへ行くことに決めた。

     タイのバンコクに、到着した当日に待ち合わせをしていたのは、ネパールのカトマンドゥで出会った、makiちゃん。
    俺が、ネパールのカトマンドゥを出て、国境の街、カカルビッタへ向かう時に、バスターミナルまで、岩崎さんと一緒に見送りに来てくれた人だ。
    彼女と二人で会うのは、今日が初めてだった。
    待ち合わせ時間をネットでやり取りをして、決めていたが、インドとタイの時差に全く気づかずに、待ち合わせ時間を決めてしまったため、makiちゃんを2時間ほど待たせてしまった。
    そんなことで、待ち合わせ場所のカオサン・ロードの警察署前では、会えず、彼女が泊まっているゲストハウスへと向かい、俺もそこにチェック・インして、彼女の部屋の扉をノックして、makiちゃんが現れ、めでたく再会をした。

    「ごめん、ごめん」と言い、時差を忘れていたことを説明した。
    makiちゃんは、ずっと待っていてくれたらしく、ほんと、申し訳ない。

    左:インド人街での映画ポスター 右:バンコクの屋台

     昼間は、晴れていたバンコクの空は、夕方になると、大雨へと変わった。
    俺とmakiちゃんは、タクシーに乗り、サイアムのMBKへ。
    久しぶりに見る、国際都市バンコクの姿に、僕は、開いた口がふさがらないくらい、呆気にとられていた。
    「こんなにスゴかったっけ?バンコクって」
    通り行く人達も、なんだかあか抜けているし、車もビルも多すぎる。
    インドとは、比べ物にならないくらい、都会だ。

    僕達二人は、MBKのレストランフロアーへ行き、その中のタイスキのレストランへ入った。
    日本のファミレスのような雰囲気だが、こういう店に行くのが、ものすごく久しぶりだ。
    ジョッキに入った、生ビールで乾杯をして、お互い旅で出会った、共通の人の話や、インドでのことなど、話すことは、尽きない。

    カオサンロード近くのゲストハウスに戻り、makiちゃんは、荷物をまとめだした。
    彼女は、今夜の飛行機で日本へ帰るのだ。
    ギリギリに会えて、ほんと良かった。
    タクシーに乗り込む彼女に、僕は、チベットの白い布、カタを首にかけた。
    また、会いましょう。

    ワット・アルン

     makiちゃんを見送った翌日に再会したのは、ヒマラヤ越えを共にした、watta君&mariちゃんだ。
    インドのデリーで再会したwatta君とカトマンドゥ以来、約3ヶ月ぶりになるmariちゃん。
    これも、メールでやり取りをして、待ち合わせ場所を決めたりしていた。
    3ヶ月も離れていても、お互いが、まだ旅をしているっていうのも、スゴイな。

    待ち合わせ場所のカオサンロードのマクドナルドへと向かう。
    相変わらず、活気があると言うか、多種多様すぎるな。
    僕が最初にここを訪れたのは、初の一人旅の2001年3月だった。
    昔の旅人に言わせれば、このときもかなり変わっていたようですが、僕は知りません。
    店舗が複数集まった、複合商店ビルが建ち、マクドナルドやスターバックス、それにオシャレなカフェが所狭しと建ち並び、訪れるたびに、昔の民家のような商店は姿を消していってます。
    ツーリストしか訪れなかったこの通りも、今やタイ若者が集う、オシャレなスポットとして昼夜問わず、イベントが行われたりと、ツーリストの数以上にタイ若者が、通りを埋め尽くしているようにも思える。

    待ち合わせの時間より、早く着いてしまったが、そこには、watta君&mariちゃんが、すでに到着していた。「おっー!久しぶりー!」と、お互い、握手をして、再会を喜んだ。
    カオサンロードに面したカフェへ行き、昼食を食べながら、二人の旅の話しを聞いたりしていた。
    昼食後は、ボートに乗って、チャイナ・タウンへ行った。
    何で、チャイナ・タウンだったのか、忘れたが、このとき食べた、フカヒレスープは、高かったけど、美味しかったな。

    そんな二人は、明日の夜、エジプトへと向かう。


     最後は、ネパールのカトマンドゥで出会った、kaoruちゃん。
    kaoruちゃんとは、バンコク到着初日に、再会を果たしたが、この時は、ゲストハウスのカフェでお茶しながら、少し話しをして、次は、僕がチェン・マイから戻ってきてから会う約束をした。

    そして僕が、5日間のチェン・マイ滞在を終え、再びバンコクへ戻り、再会!
    kaoruちゃんは、その間、どっかの島へ行っていたと聞いた。
    僕達は、トゥクトゥクに乗って、サイアムへ行き、タイ映画を見ましたが、やっぱインド映画の方が、エンターテイメント性が高いなと思いました。
    チャオプラヤーボートにも乗って、「お互いの旅ももう終わりだねー。」
    と言いながら、夕暮れのワット・アルンを眺めたりと、もう感傷的な気持ちでいっぱいです。

     翌日、旅の最終日もkaoruちゃんと、行動を共にした。
    彼女は、旅の想い出に、髪型をストレートから、ドレッドへと変えた。
    僕も、何か想い出にと思ったが、特に見た目が変わるようなことは、何もしていない。

    安食堂での夕食も豪華でした。
    ビールをたくさん飲んで、お互いの旅を振り返りと、うーん、いろいろとあったね。
    こんな生活を知ったら、日本へ帰るのが恐い恐いと話したり、お互いの旅の写真を見せ合いながら話をしたりと、氷の入ったビールをゴクリ!

    さぁ、帰るか、日本へ。




    エピローグ-heartbeat-

    やっと終わった。
    長かった。この旅を過去にすることも、この日記の更新も。
    2004年10月に帰国して、この旅は、いろんな人達と出会い、話し、接し、自分自身、思うこと、考えることが多くて、また、さまざまな感情がわき起こり、この旅を想い出にすることが、なかなか出来なかった。

    この日記を書き始めたのが、2006年3月だったが、久しぶりの社会復帰で、ストレスが原因の病気にもなり、また、フィルム・スキャナーの故障もあり、本格的に日記の更新を始めたのが、2006年10月からだった。
    それから、1年半、やっと終わった。

    旅で書きつづった日記を読み返し、サイト用に、書き直す作業をして、写真を眺め、ゆっくりと、ゆっくりと旅を過去へともっていくことが出来た。

    今思うと、この時の旅は、自分の人生にとって、かけがえのない旅だったと、改めて思った。
    7ヶ月も旅をする。
    こんなこと、会社勤めをしている多くの人にとっては、不可能だ。
    2001年に会社を辞めて、旅を続けてきたが、この4年半の間、旅の中で、さまざまな人達と出会い、そして別れを繰り返してきた。
    日本で、旅をせずに、生活していたら、絶対に会うことはなかった人達と、旅という中で、話しをして、自分自身の将来を話したり、聞いたり、ひとときの旅を共にしたりと、旅をしていた人、また、日本で生活をしている人、それぞれの生き方が、存在していることを感じることが出来た。
    僕のような生き方も、その中の一つだと言うことも。

    そして、今回の旅は、チベット文化圏をテーマにした旅だった。
    帰国して、4年間の間に、僕が訪れた地には、さまざまな出来事が起こった。

    ・インド、ジャンムー・カシミール地方の地震。(2005年10月)
    ・デリーでの連続爆破テロ。(2005年10月)
    ・東南アジア、インドなどを襲った、スマトラ沖の地震、津波。(2004年12月)
    ・ネパール情勢の悪化。(2006年)
    ・タイのクーデター。(2006年9月)
    ・西蔵鉄道(ゴルムド〜ラサ)開通。(2006年7月)
    ・ヒマラヤでの人民解放軍によるチベット人、射殺。(2006年9月)
    ・チベット、ラサ、周辺地域の暴動やデモ。(2008年3月,4月)
    などなど。

    特に、チベットに関しては、チベット人の不満など、抑制されている現状を知ってしまった故に、出来事に対して、チベット人の民族と誇りを取り戻せるように、なれば良いと思っている。
    ラサを物質的に豊かにし、伝統的な生活に戻らせない政策、漢民族移住の奨励、チベットの文化を踏みにじった都市計画、ダライラマ14世批判、パンチェンラマ11世問題、密告、抑圧された宗教と自由などなど。
    チベット人のアイデンティティーを完全にないがしろにしている、中国政府が行っていることは、絶対に正しくない。


    人々が、幸せになれるって、どういうことなんでしょう?

    そんな事、僕が考えても、どうしようもないけども、そんな考えを持てるようになったのも、旅のおかげだ。
    そして、旅で出会った人達のおかげだ。
    旅に出て、「自分探しの旅」だと、言う人もいるが、それは、もう見つかってると思う。
    だから、旅に出たのだと思う。
    旅は、旅人を成長させます。
    過去の自分を一回りも、二周りも、成長させます。
    人と出会い、話しをして、別れて、いろんな国や地域へ訪れ、人々と出会い、別れ。
    そこで、自分の価値観を覆させられたり、壊したり。

    あたりまえのことだが、どこの国でも人の生き方は千差万別だ。
    それを理解出来なければ、旅や日本での生活は楽しくない。
    人と接することが、大事だということ。
    自分と、相手に向き合うことが、大切だということ。
    答えは、それから出せばいい。

    何書いてるか、よく分からなくなってきたが、
    僕が、アジアの旅で、求めていたのは、なんだったんだろうか?
    旅って、どういうことなんだろうか?
    生きる事って、どういうことなのだろうか?
    そんな答えが、この旅で、少しだが、分かったような気がしたので、僕は、旅を辞めた。
    答えは、簡単だったが、決して、人生の遠回りをしたとは、思っていない。
    恐い思いをしたこともあった、良い思いをしたこともあった、悲しい思いをしたこともあった。
    自分自身が、壊れそうになったこともあった。

    しかし今は、旅で出会えた、全ての人に感謝。
    コープンカップ、カムオン、チューズデンパデェ、コップチャイ、オークン、トゥジェチェ、謝謝。
    サンキュー、ありがとう。


    --旅は、出会いと別れが多すぎる。--


    でも、またいつの日か、旅をしてみたい。
    カメラをぶら下げ、出会いと別れに感謝をして、旅をしてみたい。

    いつの日か。