再びヤンゴンへ

     モウラミャインの市場で、少し早いが昼食。
    今日は、チキン・カレーです。日本のカレーとは違い、メインのチキンのカレー漬けと、小皿に1種類ずつ分けられている“具”が数種類と生野菜と洗面器のような容器に入った、食べ放題のご飯。
    これがミャンマー式カレーです。ミャンマーでは、このようなカレーを数回食べていましたが、モウラミャインで食べたカレーが、一番おいしかった。

     バスの時間まで、あと4時間半もあるが、僕は市場を後にして、ホテルへ。
    早く帰って来すぎたのを後悔するが、このクソ暑い中を、再び出歩く気にはならなかった。
    チェック・アウトをすまし、2時間ほどホテルのロビーでボケッとしたり、
    読めるはずもない、ミャンマーの新聞を眺めたりしていました。
    しかし、もう何もやることがなくなり、メッチャ早いけど、バスターミナルへ行くことにした。
    ホテルのスタッフが、小型バスを捕まえてくれて、「ゼーチョーまで」と言った。
    “ゼーチョー”とは、モウラミャインの長距離バスターミナルのことです。

    ゼーチョーに到着し、僕が乗るバスの事務所へ行き、僕はイスに座って、時間が経つのをじっと待っていた。
    午後4時頃に、事務所内は慌ただしくなってきた。僕はリュックを背負い、自分が乗るバスへ行った。
    バスは30分遅れの、午後5時にモウラミャインを出発した。

    道路は悪路で穴ボコだらけ、その上、道路の幅も狭い。
    対向車が来ると、バスは速度を落として、ゆっくりとかわす。
    ヤンゴンに到着する時間は、翌朝の午前6時だという。
    何で、こんなに時間がかかるのだろう?と思っていましたが、この道路状況で、検問も多く、納得。
    9時と午前1時と3時にと、3回の休憩があった。

    モウラミャインにて

     翌朝の午前5時。予定よりも1時間も早く、ヤンゴンの長距離バスターミナルに到着。
    僕は、寝ぼけ眼で運転手に「ヤンゴン?」と聞き、リュックを持って下車。
    「戻ってきたか、ヤンゴンに。」と一瞬思ったが、気合いが入ることもなく、ただただ、眠たい。
    朝の5時だけあって、バスターミナルは、ガラーーーーンとしています。
    しかし、このバスの周りには、多数のタクシー運チャンが、待ちかまえていて、僕に「Where are you go?」と言い寄ってきます。

    タクシーの運チャンに「スーレーパゴダまではいくら?」と聞くと、4,000ksと、途方もない金額が返ってきます。
    いくら明け方といっても、この金額は高すぎる。次!3,000ks。まだ高い。
    運チャン達は、僕にいくらで行きたいんだ?と聞いてくる。「1,500ks!」と僕は言った。
    昼間でもこの金額で行ってくれる人は、あまりいませんが、ミャンマーの人々はもっと安い金額で乗っていると思うので、僕は、ここで強気な行動にでた。

    一人の運チャンが、相乗りならばOK!だと言うので、ミャンマー人家族と共に、スーレーパゴダへと向かった。
    僕が行こうと思っているゲストハウスは、スーレーパゴダのすぐ近くなので、ここまでで十分だ。
    スーレーパゴダまで行き、以前泊まっていたガーデンGHへ行くと、ドアは閉まっていたので、開くまで、ドアの前に座って、スーレーパゴダを見ながら夜明けを待った。

     7時頃に鉄格子のドアが“ガチャン”と開き、中へ。
    今回の部屋は、1泊=4USドルでトイレ&水シャワーは共同です。
    さっそく水シャワーを浴び、疲れと汚れを落とし、待ちに待った就寝。そして2時間後に起床。
    今日は、今から自分のお土産を買いに行きます。

    ヤンゴンの次は、タイのバンコクなので、ミャンマーはここで終わりだ。
    僕はマーケットへ行き、前から欲しかった、ステンレス製のお弁当箱とステンレス製のレンゲを購入。
    そして次は、ボーヂョーアウンサン・マーケットへ行き、シャンバックを購入。
    あとは、移動中にバスの中でよくかかっていた音楽CDを人々に聞きまくって探し当てた。

    ヤンゴンにて

     夕方になり、中国人街の夜市へ。
    屋台で串焼きをあてにして、マンダレー生ビールを2杯飲む。
    未知の領域の3杯目に、いきたいのですが、海外一人旅で一人飲み屋で酔っぱらっても、つまらないので、締めのモヒンガーを食べ終了。トボトボとゲストハウスへ帰った。

     明日はヤンゴン最終日。ミャンマーも最後です。
    ヤンゴンで、ロンヂーデビューも果たしたし、スケッチも完成したし、
    ミャンマーを十分堪能することができました。
    ミャンマーの旅は、かなり疲れたので、今はバンコクへ早く戻りたい。




    YANGON to BANGKOK

     今日でミャンマーともお別れです。
    虫さされ&鼻づまりのため、ほとんど眠れなかった。
    完ぺきに風邪ですね。2001年の時もそうだったが、再バンコク突入間近ななると、風邪ひいてばっかり。
    張りつめていた緊張感や疲労などなどが、緩んでしまうのでしょうか?

     確かに、ミャンマーの旅は疲れました。
    何が一番疲れたかというと、それは移動だ。
    移動は、ほとんどが夜行バス。道も悪いし、窮屈な姿勢で眠るのはツラかった。
    その次は、宿です。快適でなければならない宿なんですが、蚊が多く、停電も多かった。蚊取り線香や懐中電灯も大活躍。
    主なのは、この二つです。

     でもミャンマーの旅はとても楽しかったです。ほんま行って良かったと思ってます。
    ロンヂーを着用し、素朴で素直な人々や、黄金に光り輝くパゴダ。
    他の東南アジア諸国と比べて、メッチャ独自の雰囲気を作り出している国、ミャンマー。
    僕がこの国で一番好きになった街は、ヤンゴンです。
    イギリス統治時代の建物、パゴダ、ロンヂー、インド人に中国人、日本の中古バスなど。
    こんな混ざり方、歴史の悪戯なんですが、とても楽しい街でした。
    ミャンマーの人々の素直な優しさ、本当にありがとう。

     そんなヤンゴンとも、いよいよお別れ。
    スーレーパゴダにお別れのお参りをした後、一度は食べてみたかった、KSSのハンバーガーを食べ、
    僕はチェック・アウトをして、タクシーで空港へ向かった。
    ミャンマーを去るのは、寂しいですが、今はバンコクへ行って、旅の疲れを落としたい気持ちでいっぱいだ。

     ヤンゴンからバンコクまでは、飛行機で約1時間足らず。あっけないもんです。
    約3週間ぶりに戻ってきた、カオサン。

    この旅の最初は違和感があって、落ち着かなかった場所だが、今はカオサンが、妙に落ち着く。
    ライトアップされたスーレーパゴダ

    僕はここ、バンコクのカオサンでやらなければならない事が、いくつかある。
    訪れるであろう国や地域の下調べと、ラオスビザの取得。
    ミャンマーで買った品々やフィルムを日本へ送ること。それと大量の洗濯をすること。などです。
    どれもこれも、すぐに済みそうな用事ばっかです。

     インターネットをするのは、3週間ぶりである。
    ミャンマーではインターネットが禁止されているので、hotmailも使えず不便でしたが、おかげで旅にドップリと浸れたような気がする。
    久しぶりにメールを見てみると、なんと!前回(2002年)の旅、中国の広州で出会った、タビフーフのケメ夫妻から、メールが届いていて、今なんと!カオサンにいるらしい。
    是非とも会いたい僕は、返信をしたあと、ケメ夫妻が泊まっているゲストハウスへ向かった。

     数人の人に聞き、ゲストハウスに到着した。
    ケメ夫妻は、僕と中国広州で出会った後、東南アジア、中国雲南、四川、チベット自治区、ネパール、インドと旅をして、今回、ベトナムで英語を勉強するために、バンコクに戻ってきているのです。
    最初、出会った時は、僕の方が旅の先輩だったが、今ではケメ夫妻の方が旅の先輩である。
    そんなケメ夫妻は、すっかり旅する夫婦、旅フーフになっていた。
    僕達は握手をして、再会を喜んだ。

     ケメ夫妻の友達のyukiちゃんとも知り合い、僕達は4人でカオサンを歩いていた。
    お粥の屋台でご飯を食べた後、yukiちゃんの部屋での雑談は、午前0時頃まで続いた。
    そんで明日、みんなでゴーゴーバーに行くことになった。