選択の余地なし〜モウラミャインにて〜
朝7時に朝食を食べ、「チケットは?」と宿の人に聞くと、今、買いに行っている。ということらしい。
別にゲストハウスの兄ちゃんを信じてないわけではないが、少々不安です。
「大丈夫、大丈夫」と言われ、部屋に戻り、荷物を持って、チェック・アウト。
宿の外にある椅子に座り、隣の家のインド人少女のコマ遊びを見ていた。
しばらくすると、兄ちゃんが「ごめん、ごめん、遅くなって」って感じで、チケットを渡してくれた。
列車の出発まで、しばらくの時間があったので、それまでイスに座っていればと言われたが、僕としては、不安なので、早めに駅へ行きたい。
しかし、地元の人が言うことだからと、イスに座って待っていた。
兄ちゃんは足の指をケガしていたので、日頃、ミャンマーの人々に、お世話になりっぱなしの僕は、日本から持ってきていた、消毒液を塗ってあげた。
兄ちゃんの傷口に消毒液が、染み渡り、ブルブルっと兄ちゃんはからだを震わし、「サンキュー」と。
8時15分になり、僕は「そろそろ駅へ行こうよ。」と兄ちゃんをせかした。
兄ちゃんは「えっ!もう行くの?わかった。」と言い、僕が思っていた道順と反対方向に歩き出した。
そして線路の上を歩き、3分かからずに駅に着いた。
兄ちゃん曰く「サイカーは遠回りしよんねん。歩けばこんなに近いのに。ビックリした?」
だからこんなに余裕だったのか。
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(左)バゴー駅の茶屋 (右)コオン屋台。モウラミャインにて
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駅のホームの茶屋で、兄ちゃんのおごりで紅茶を飲みながらお話。
俺と歳が近い彼は最近、中国系ミャンマー人と結婚したらしく、彼女が時折話す中国語が、「全然わかりません。」と言っていた。
そして、「今は、とても幸せだ」とも言っていた。
列車は20分ほど遅れてやって来た。ここで兄ちゃんともお別れだ。
駅では、ミャンマーの人々の本質を見たような気がする。
荷物を、窓から、入り口から、車内へ投げ入れ、人々は入り口に殺到し、押し合いながら、突入。
僕もリュックを兄ちゃんに渡し、窓から放り込んでもらい、僕は人々の中へ突入。
やっと中へ入ることが出来たが、僕の席はどこだ?
兄ちゃんが「ここだ!」と窓から、指を指してくれたので、荷物を上の荷台へ上げ、木製のイスに座る。
兄ちゃんは僕の横に座っていた、インド人のオッサンに「あんたもモウラミャインへ行くのならば、こいつを頼むで!」って感じで、オッサンに言い、僕は兄ちゃんから、餞別に水をもらった。
「ありがとう!」と言って、兄ちゃんと別れ、列車は動き出した。
インド人のオッサンは、けっこう良いヤツで、僕に持っていた焼き菓子をくれたり、あれ食べるか?などと縦横無尽に行き交う、物売りが来るたびに、聞いてくれた。
芋屋、タバコ屋、弁当屋、お菓子屋、ジュース屋、水屋の人たちなど、
こんなにも人が行き交う中を、よく歩けるものだ、しかも頭に荷物を乗せて。感心してしまう。
せっかく親切にしてくれいるのに、断るのは良くないと感じていたが、
今日は、朝から体調が良くないので、ほとんど断ってしまった。
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モウラミャインの船着き場
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僕は、どこまでも広がっている田園風景を眺めていた。
夕方になると、車窓からの風景は、より鮮やかになった。
真っ青な空に、なだらかな山々の頂上に建っているパゴダが金色に光り輝いている。
麓の人々の家は、木と葉と竹で作られた簡素な家が建ち並び、水牛が水浴びしたり、豚が走り回っている。
子供達は列車が通ると、手を振ったり、追いかけたりし、女性達は井戸の前で水浴びをしながら井戸端会議。
ここの人たちは、昔からこのような生活していたのだろう。
ここが日本と同じように、1分が60秒で、1時間が60分という時間が流れているなんて、信じられない。
日本で季節を感じることなく、高度な文明社会で猛スピードで生活をしている人にとっては、別世界に感じ、うらやましく感じる光景だ。
ほんと、人々は、なんに対しても素直に生きている感じがする。
俺もこんな風に、日本で素直に生きて行けたらいいのに・・・・
列車は縦に横に揺れながら、走っている。
途中、不明な停車もあり、列車は予定よりも1時間40分遅れで、終点のモッタマに到着。
ここから船に乗って、モウラミャインへ行くが、もうすっかり日も沈み、夜になっていた。
こんなに遅れたら、モウラミャインに着いてからのゲストハウス探しも大変になるな。
インド人のオッサンに付いていき、僕も船乗り場へ。外国人は1USドルだ。
値段が他の人よりも高いだけで、あつかいは他の人(ミャンマー人)と一緒だ。
僕はインド人のオッサンが借りてきてくれた、木製の小さなイスに座り、夜空に輝く星達を見上げていた。
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モウラミャインにて
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船は約30分で、対岸のモウラミャインに到着した。
船着き場では、帰郷を迎えに来た人や、サイカー屋などで、ごった返している。
僕はインド人のオッサンに「ありがとう」と言い、握手をして、別れ、サイカーに乗った。
しかしだ!このサイカー君が、かなりウットーシかった。
こいつは、僕が言ったゲストハウスには行かずに、遙か遠くにあるホテルに俺を連れて行った。
人が言った所に行かないサイカー君にこの旅初の激怒!
こいつが連れて行ったホテルは、部屋の隣がカラオケboxで、部屋代はなんと10USドルでドミトリー。
トイレ&シャワーは共同って言うか、カラオケboxのトイレを使えということ。
こんな割に合わないホテルもそうそう見あたりません。
俺はサイカー君に、日本語でボロクソに文句を言う。
そして最初に言った、ゲストハウスへ行くが、残念なことに満室。その近くのゲストハウスも満室。
モウラミャインには国内の観光客が多いらしく、安宿は彼らに占拠されてしまっていた。
もう選択の余地がない僕は、しかたなく15USドルのホテルへ。ミャンマーの人は4,000ksだ。
こういうときの外国人料金は、かなりムカツク!
サイカー君も、もう疲れたから帰ると言う。オマエなんか帰れ!もう2度と俺の前に姿を現すなボケ!
サイカー君は、当然のように金をくれと言ってきます。
俺も、払う気がないわけでもないが、腹の虫が治まらないので、ぼろかすに文句を言う。
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モウラミャインにて
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サイカー君は「何を言っているのか分からない。2,000ksくれ」。と言ってきます。
何を言っているのか分からないのは、あたりまえだ。そう思って俺も文句を言っているのだから。
で、なんで2,000ksも払わなあかんねん!人が言った所に行かんと、オマエが勝手に遠い所に行って、疲れてるだけやろ!
そんなもん知るか!金は払いません!と言うと、1,500ksに下がりましたが、俺は拒否。
「オマエなぁ!さんざん人を連れ回しとって、何が金払えじゃ!アホか?オマエは。」
サイカー君は少々ビビッテますが、金をもらうまでは帰る気はなさそうなので、たいがい文句を言った俺は、彼に1,500ks(約180円)払った。
こいつのせいで、もう9時をまわってしまった。
ミャンマーで9時って言うと、たいがい遅いです。
明日、サイカー君に会ったら、また文句を言おう。日記を書いていると、またムカついてきた。
15USドルの部屋は、この値段らしくなく蚊のパラダイス。
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