ミャンマー1日入国〜タチレクにて〜

     僕が、チェン・マイよりも北にある街、チェン・ライに着いたのは、昨日の昼頃だった。
    僕がここへ来たのは、更に北上をする。と言う理由もありますが、チェン・ライを拠点にして、ミャンマーとの国境の街、メーサイ。そして、ミャンマー側の街、タチレクを訪れるためです。

     午前8時10分のバスに乗って、僕はチェン・ライのバスターミナルを出発。(25B)
    バスは1時間20分で、タイ側の国境の街、メーサイのバスターミナルに到着した。
    僕は、タイのガイドブックを持ってきてないので、ここがメーサイのどの辺りかは、分かりませんが、ほとんどの乗客がソンテウ(タイの小型バス)に乗っているので、ここが街の中心部から離れていることは推測出来たので、僕もみんなと同じようにソンテウに乗った。(5B)

    このソンテウにはBorder(国境)という文字が書かれていたので、間違いはないのですが、僕達、外国人旅行者は、国境の前のタイのイミグレーション・オフィスでタイの出国スタンプを押してもらわなければならないことは、事前にインターネットで調べておいたから、分かったのですが、その場所がどこにあるのかは、はっきりとは知らない。
    ソンテウに乗りながら、多分、この道沿いにあると思うのですが。と、目を見開き景色を眺めていると、「あった!」ここで僕はソンテウを下車。見過ごしていれば、戻ってこなければならなかった。

     イミグレーション・オフィスで出国スタンプを押してもらい、バイクタクシーで国境へ。(10B)
    そんなに遠くもなかったので、歩いてでも十分に行ける距離だった。
    タイの国境もブラブラしてみたいのですが、先にタチレクへ行こうと、国境で、タイの出入国カードをもらって、パスポートを預け、パスポートの引換券をもらって、5USドル(又は250B)払って、ミャンマーに入国。

    ミャンマーに入国と言っても、ここから遠くへは行くことが出来ないので、実質、この街のみの滞在になってしまうのですが。

    (左)国境のゲート (右)タナカを塗った少年

     小さな川に架かっている、大きな橋を渡る手前から、懐かしいミャンマー寺院が目に入ってきた。
    ミャンマーの国名が書かれたゲートをくぐると、外国人観光客の俺を目がけて、人力三輪車の兄ちゃんやバイク三輪車の兄ちゃん達が、観光名所が書かれている紙を持って、わんさかと寄ってきます。
    僕は、地図もなく、街の規模が分からないので、安ければ乗ってみてもかまわないと思っている。
    1時間=50Bだったので、最初は人力三輪車に乗って、街を見てみることにした。

     人力三輪車は、ゆっくりとタチレクの街を走る。
    国境の街とは言っても、やっぱりミャンマーだけあって、ロンヂー姿の人もいるし、タナカを塗っている人もいる。
    ロンヂーもタナカも僕がミャンマーを思い出すときのキーワードだ。あとは黄金のパゴダと紅茶だろうか。
    車が走る通りに出ると、これもまた懐かしいと感じる、緑のオンボロバスがたくさんの人を乗せて走っている。
    そして丘の上には、黄金のパゴダが、光り輝いている。

    ロンヂー、タナカ、黄金のパゴダとこれだけを見ていると、ミャンマーだと懐かしく思うが、ここ国境の街タチレクは、僕がミャンマーで見てきた街と比べると、物が豊かで、とても色とりどりだ。
    通貨もミャンマーの通貨、Kyats(チャット)ではなく、タイの通貨Baht(バーツ)だ。
    うまい具合に混ざり合っていると言うか、国境の街特有の雰囲気ですね。

     人力三輪車は先ほどから見えていた、黄金のパゴダの麓で止まった。
    ここから歩いて、あのパゴダへ行け。と言うことらしい。
    僕は一人、コンクリートで作られた階段を登り、丘の上のパゴダへ。
    このパゴダの名前は知らないが、ここの花売りの子供が「フラワーパゴダ」と呼んでいた。
    僕は靴を脱ぎ、裸足になって、フラワーパゴダの周りを歩き出した。
    ミャンマーでは、よく裸足になって、パゴダを歩いていたなぁー。この素足に感じる石床の冷たい感触。
    僕はミャンマーを旅していたころの自分を懐かしく思い出していた。
    まだ1ヶ月も経っていないのか。
    フラワーパコダと呼ばれていたパコダ

    麓の喫茶店もミャンマー・スタイルだ。
    プラスチックの小さなイスに、小さなテーブル。甘い紅茶にそして中国茶。
    僕もあとから、絶対に行こう。あの紅茶が飲みたくて、ここへ来たようなものだ。
    人力三輪車は次の目的地のお土産屋に止まったが、僕はもう見ない。
    僕は人力三輪車の兄ちゃんに「これから先へは、もう行かなくていいから、元の場所へ戻って。」と言った。
    もう街を歩きたくて、ウズウズしてきたのだ。

     国境の橋のすぐそばへ戻ってきた僕に、次に襲いかかってきたのは、タバコ屋やショーモナイ物屋の人たちだ。ライターや変なオモチャはいりませんが、ここはタバコが安いと、知っていたので、帰りに買って帰ろうと思っているが、今は荷物になるのでいりません。
    しかし、コイツ等は、僕が知っているミャンマー人とは違って、かなりしつこく付きまとってくる。
    オマエ等、ほんまにミャンマー人か?きっと金と物が人々の意識を変えたに違いない。
    僕は、久しぶりの“押し”についに負けてしまい、マルボロを2カートン購入。350Bだった。
    もともと買うつもりだったから別にいいけど。
    でもタイよりもかなり安く買うことが出来たので、この時の僕は、全く後悔はなかった。

     橋の近くの市場は、コピー商品パラダイスとなっていて、音楽CD、VCD、DVDなどが、タイのコピー商品よりも、かなり安く売っている。値段はだいたい、音楽CDが3枚で100Bだ。
    こういう物は後から見ようと思い、僕は屋台で昼飯の焼きビーフンを買って、道ばたに座って食べた。

     市場や大通りを抜けると、だいぶんミャンマーっぽくなってきた。
    小学生の緑色の制服も懐かしい。目があった人に「ミンガラーパ(こんにちは)」と挨拶をすると、ちょっとビックリした様子で「ミンガラーパ」と返してくれる。
    僕は喫茶店へ行き、飲みたかったあの甘ったるい紅茶を小さなイスに座って、飲んだ。
    ほんと、ミャンマーではよく飲んでいました。コレが僕のミャンマーの味なんでしょうか?

    タチレクにて

     そして、カメラをブラ下げて、街を歩く。これも久しぶりだ。
    タイでは、こういう日は、少なかったからねぇー。なんて思ってもいた。
    地元民で盛り上がる市場にも行けたし、住宅街のような場所も歩けたし、今日は久しぶりに満足してます。
    そろそろ、国境の小さな街タチレクを出ましょうか。
    僕のタチレク滞在時間は4時間ほどでしたが、久しぶりのミャンマー気分に浸ることが出来て楽しかった。

     パスポートを預けた所で、パスポートを返してもらって、タイの入国スタンプを押してもらい、メーサイへ。
    ここも最初はブラブラしようと思っていたのですが、もうどうでもよかったので、チェン・ライへ帰ることにした。
    国境から、ソンテウに乗って、バスターミナルまで行き、バスでチェン・ライへ。

     部屋に戻って、早速タチレクで買った、タバコを開けてみると、何やコレ!?
    メッチャ臭いし、カビっぽいものも付着してるし、茶色のシミもたくさん。
    試しに1本吸ってみましたが、マズイです。普通のタバコ以上に、身体に悪影響を与えそうだ。
    2カートン全てのタバコが、こんな状態だった。かなりショックでした。
    僕は、この粗悪品のタバコを全部捨てた。
    あーあ、350B損した。

    *1B=約2.8円





    チェン・ライから脱出せよ。

     僕がチェン・ライに来て4日目のことだった。
    ここを拠点にして、タチレクとゴールデン・トライアングルへと行くつもりだったが、結局行ったのは、タチレクのみだった。
    値段の割には(100バーツ)清潔でキレイな宿に泊まっていたこと、そしてチェン・ライを出ると次は、ラオスと言うことで、少しでも長く、タイの住み良い環境に身を置いていたかった。

    住み良い環境のおかげで、僕の行動意欲はすっかり削げてしまい、ただチェン・ライで何もない、何でもない日が2日続いた。
    「2日くらい良いじゃないか?」と思われますが、バンコクでもチェン・マイでも、滞在日数のわりには、あまり行動しておらず、また行動範囲も狭かった。
    僕は、タイですっかり旅の怠け癖がついてしまっていた。

    明日こそはチェン・ライを出るぞ。と意気込み、僕は中国雲南地方のガイドブックを持って、カフェへ。
    タイの物価から見ると、かなり高額なアイスコーヒーを飲みながら、ガイドブックと睨めっこ。
    大まかなルートは決めてはいるが、あとは行き当たりバッタリ。
    ラオスは駆け足で通り過ぎ、雲南は昆明、大理、麗江は押さえておいて、四川省のチベット文化圏には、絶対に行ってみたいと思っている。

     カフェを出た僕は、インターネットをして時間を潰す。
    以前の僕の旅のイメージは、連絡手段は手紙だと思っていたが、それは2001年の最初の旅で崩れ去った。
    今はインターネットのおかげで、旅は便利になっている。
    友人や旅で知り合った人達ともメールを通じて
    連絡しあうことができるし、日本のニュースも知ることが出来る。
    日本と世界の距離は、変わってはいないが、距離感は確実に縮まっている。

    (左)バスターミナル付近の売店にて (右)チェン・ライの市場

     ネット屋のガラス戸から見える、景色に目をやると、夕暮れ時になってきたので、僕はインターネットを止めて、バスターミナルの隣にあるナイトマーケットへと向かった。
    チェン・ライへ来てからの4日間の夕食は、ナイトマーケットの屋台で食べている。
    屋台といっても、特に変わった物を食べているわけではなく、焼きめし、焼きそば、ヌードルスープといった定番メニューばかりだ。

     僕が夕食のフライドライス(焼きめし)を食べ終わる頃には、ナイトマーケットに人が集まりだし、観光客や地元民、そして民族衣装を着た、お土産屋も営業開始だ。
    屋台も裸電球を点け始め、ゆっくりとだが活気が増してきた。
    僕が、ただブラブラと歩いていると、偶然、昼間行ったカフェの店員と出会った。

    「昼間、カフェで働いていましたよね?」と僕が言うと、「こここが私のお店。昼間はカフェでパートしてるけどねっ。」と明るい声で彼女は言う。
    「今、ちょっと準備中だから、8時に来て、見ていって。」と言うことなので、そうすることにし、僕は再び、ブラブラと歩き出したとたん!

     なんと今度は、メーホーソンで出会ったリス族の人達に出会った。
    3人で買い物に来たと言っていた2人は、民族衣装を着ており、メーホーソンよりもここでは、かなり色鮮やかな衣装は目立っていた。
    そんな彼女達は、どんな物を買いに来たのか興味があったので、しばらく行動を一緒にしていた。
    リス族の彼女たちが欲しいと見ていた物は、旅行者が求めるような、各種族の民芸品などではなく、ジーンズ、Tシャツ、アクセサリーなど、僕達が日本で服を買うような感覚と同じだ。
    そういや、ここで商売をしているアカ族の人達も、ここで民族衣装に着替えていたし。

     8時になったので、僕はリス族の人達と別れ、カフェ店員の店へと向かった。
    店内は先ほどとは違い、電球色の明かりが灯り、服や民芸品の商品を照らしていた。
    明らかに外国人観光客をターゲットにしている商品構成には、どんな感想を言っていいのか言葉を詰まらせたが、彼女はカフェにいるときよりも生き生きとしていた。
    「ねぇ、チェン・ライにはいつまでいるの?明日も来てくれる?」
    彼女がこう言った瞬間、明日出ようと決めていた信念は、崩れそうになったが、「いや、明日はラオスへ行く。」と僕は彼女に言った。
    絶対に明日、チェン・ライを出る。

    翌日、僕は言葉通りチェン・ライを脱出し次の国ラオスへと向かった。

    ワット・プラ・シン