ルアンパバーンの少女達

     朝7時に起床。今朝のルアンパバーンの天気は、あいにくの曇りでございます。
    僕は、ブラブラとメコン川の方へ歩き、この川沿いにある喫茶店へ行った。
    以前も、この店でメコンを眺めながらラオコーヒーを飲んでいたなぁーと、懐かしく思いながら、ここに来る途中に買ったバゲットのサンドイッチを喫茶店で食べていた。
    サンドイッチは相変わらずデカイな。食べきれるだろうか?

     この店の手前の道路。メコン川に沿った道路は現在、舗装工事中です。
    歩道は砂利道からレンガ道に、そして車道はアスファルトになるのでしょうか?
    この道路には、数人の船の客引きも、以前と同じように、たむろしていますが、以前は僕に、英語で「Cave、Waterfall」と言っていたのに、今じゃ日本語で「ドウクツ、タキ」と言ってきます。
    この2年間の間に日本語を覚えたのね、オッチャン。そんだけ日本人観光客が多くなったってことだ。

     そして僕が以前、少女と出会ったお土産街にも日本語は、飛び交っていた。
    その少女は、今はいなかったが、たくさんの店の少女が、僕に覚え立ての日本語で「オニイサン、ヤスイ」などと声をかけてきます。そんな少女達の間で今、流行っているのが、折り鶴。
    少女達の折り鶴は、テキトーに折っているのか、元々不器用なのか分からないが、とても雑に折られていた。
    そんな汚く折られている折り鶴が、とても可哀想に思えた僕は、「かしてみな、お兄ちゃんが折ってあげる。」という感じのことを言って、少女から紙をもらって、角がしっかりとした、キレイな折り鶴を折ってあげた。

    (左)夜市風景 (右)寺院

    紙をもらった少女に、折り鶴をあげると、少女は嬉しそうに皆に見せて歩いた。
    これを見ていた他の少女達が、僕の元へやって来て、「折って、折って」と言ってくる。
    2、3羽折ってあげると、少女達の間で僕は一躍有名人になってしまった。

     そんな少女達も現在、日本語を覚えようと勉強中です。
    ちょっと前までは、英語を覚えようとしていたのに、時代の流れって速すぎる。
    少女達は、今ここに日本人旅行者がたくさん来ているから、商売のため、今を生きていくために日本語を覚えようとしているのであって、あと何年後かに、韓国人が多くなれば、日本語を覚えなくなり、韓国語を覚えようとするだろう。
    実際、韓国語を勉強している少女もいたし、韓国人バックパッカーを目にすることが多くなっていた。

     僕は少女達が聞いてくる言葉や動作を日本語で言ってあげて、少女のノートに日本語を書いてあげた。
    少女は僕が書いた、日本語の横に、ラオス語で発音や意味を書いていた。
    少女達は、一生懸命に発音するが、なかなか“つ”が言えません。“ちゅ”や“じゅ”になってしまう。
    “つ”をちゃんと発音できる日本人ってすごいな。なんて思ってしまう。

    僕は少女達に「バイバイ。」と言って、ここを離れ、お土産を見ていると、一緒にスローボートで来た、欧米人達に会って、「サバイディー!ハロー!」なんて挨拶。
    ルアンパバーンは狭いので、その辺をブラブラしていたら、よく会っていました。

     夕方になると、お土産街の前の道路が、夜市へと変わる。
    昼間、お土産街で商売していた人たちが、こちらへと場所を変えている。
    みんな準備で忙しそうだ。僕が日本語を教えていた少女達も、大きな袋を抱えて、準備に忙しい。
    夜市は夜になってから行けばいいか。と先に晩ご飯を食べることにした。


     僕の今晩の食事は、屋台で2種類のおかずとご飯を買って、
    それを持って、ゲストハウスのテラスで、昼に買ったプラスチックの皿に盛りつけて、「いただきまーす。」
    食後に隣のネット屋へ行くが、5分も操作していないのに、30分もかかってしまって、値段は8,000kip。
    日本円にして約100円も、かかってしまった。遅いですラオスのネットは。


     そろそろ本格的に夜になってきたので、僕は再び夜市へ。
    夜市は、食べ物屋台や、風船割りダーツの店や、お土産路上店など、地元民や観光客で盛り上がっている。
    毎日、縁日をやっている感じだ。そんな光景を見ているだけで、こっちまでも楽しくなってきます。
    昼間に出会った少女達と出会うと、バイバイと手を振ったり、お土産の品定めをしたりしていた。

     さあて、明日はルアンパバーンを発ち、ウドンサイへ行くぜ!
    僕は、再び会った少女達に手を振って、夜市を後にした。




    初シェア〜ウドンサイにて〜

     トラックの荷台にビニールの屋根を取り付けただけのバスは、いや、バスと呼ぶには相応しくないトラックバスは、ほぼ定刻通りの午前8時にルアンパバーンの南バスターミナルを出発し、ラオス北部の山々を縫うように造られたアスファルト道を快調に走り、ラオス北部の街、ウドンサイへと向かっている。
    ビニールの屋根を支えている、細い鉄製のフレームの大きな隙間からは、冷たい風が吹き込み、荷台に乗った僕達、乗客を寒さに震え上がらせていた。

     日本よりも南に位置する、東南アジアだが、朝晩は思っていた以上に寒いし、ましてやトラックの荷台に乗っていると、冷たい風による寒さが、更に骨身にしみる。
    僕の隣に座っている女性は、半袖の服を着ているが、彼女は僕以上に体を震わせていた。
    「寒いですね」と長袖の服を着ている僕は、隣のTシャツ姿の日本人女性旅行者のyokoさんの方を向いて言う。

     yokoさんとは、このバスの中で知り合った。最初は日本人ぽくなく、ちょっと分からなかったのですが、彼女がカバンから、日本語のガイドブックを取り出し、読んでいたので、ウドンサイの情報が何もない僕は、「もし良ければ、見せてください。」と言って、本を見せてもらい、話をするようになった。
    僕は、ウドンサイから中国へ行きますが、yokoさんは、ラオスをいろいろと見てまわり、タイへと行くようだ。

     トラックバスの荷台の寒さは変わらないが、話をしていると、少しだけ寒さが和らいだ。
    やがてトラックバスは、いくつかの村を通り越し、午後1時前にウドンサイのバスターミナルに到着した。
    ウドンサイは、いままでの寒さが嘘のように暑い。
    僕とyokoさんは、「どうせ安い宿へ行くんでしょ。そしたら一緒に探そうよ。」というような感じで、一緒に宿探しを始めた。

    ウドンサイにて

     ウドンサイの街は、たいして大きくはないが、ここは中国へ行く拠点となる街だけあって、中国人も多く、宿泊施設は中国式の旅社などが多い。こういう旅社は安くて、汚いが定番です。
    たまにキレイな旅社もあるが、そういう所は、高いです。

    僕は、ラオスはここで終わりなので、今持っている金で、なんとかしたいと思っているので、出費は抑えたい。
    何軒目かに見た宿が、二人部屋で、1ベッド=10,000kipだったので、「どうしますか?」と相談した。
    「部屋は汚いが、値段は魅力的だし、二人部屋で知らない人と居るよりかは、知っている人と言うか、お互い日本人なので言葉も通じるし、ここに泊まりませんか?」とyokoさんに言うと、「私はかまわないよ。」と言うことなので、二人でここにチェック・イン。

    宿代が、あまりにも安くすんだこともあり、僕とyokoさんは近くの食堂で、ちょっとだけリッチな昼食。
    ここラオスにも、僕が以前の東南アジア旅行で大好きになった、ホビロン(孵化しかけのゆで卵)がありました。
    いやぁー、こんな所でこんな物を食べることが出来るなんて、うれしい。
    その他にもおかずを数品頼み、1人=17,000kip(約200円)でした。

     その後、僕は1人で市場を散策した。
    yokoさんのガイドブックによると、ここはたくさんの少数民族の人々がいて、活気があると書いてあったのですが、みなさん、巻きスカートやTシャツ姿などの普通の服装なので、誰が何族かなんて、全く分かりませんでした。
    たまに、民族衣装の人もいましたが、僕の予想をはるかに超えて、人は少なかった。
    僕は、雨上がりのため、水たまりがたくさん出来た、ぬかるんだ市場内を歩き、外へ出た。

    (左)市場にて (右)バスターミナル付近にて

     その帰り道の通りにあった散髪屋へ。

    僕は髪の毛をミャンマーへ行く前のバンコクで切ったのですが、それから、すでに2ヶ月も経っているため、だいぶん伸びてきたので、ここいらで髪を切っておこう。
    どんな髪型になるのかなんて分かりませんが、散髪代は5,000kip。かなり安いです。

    僕は、ここの散髪屋のオッチャンに英語で「ショートカット」と言うと、オッチャンはニコニコ頷き、手にバリカンを取って、またニコニコとして、バリカンのスイッチを入れた。
    そして、その手に持たれた、けたたましい音を放つバリカン野郎は、僕の後頭部へとゆっくり近づいてくる。
    そして、“ウィーーン”、“ザクッ”、“ガガガッ”「あぁぁー!ちょっと待った!」オッチャン、それ刈りすぎちゃうんか?
    しかし、時すでに遅しと言うか、この状態では情けない髪型なので、俺はもうオッチャンに全権を委ねることにした。

    僕の髪の毛は、バリカンによって次々と刈られていってます。
    僕は、鏡に映っている自分の半泣きの顔を見ながら、ここで散髪をしたことを大後悔していた。
    しかしオッチャンは、俺のそんな顔に全く、情けを入れることなく、愉快痛快に俺の大事な髪の毛を刈ってゆく。
    そして約10分後。俺の耳元でうなっていたバリカン野郎の音が消えた。

    この音が消えたのには、深い理由があったのです。

    そう、この音が消えたということは、もう僕の頭には刈ることができる髪の毛がないことを意味していた。
    そしてもう一つ、オッチャン自慢のヘアースタイルが完成したことも意味していた。
    僕の髪型は、限りなく丸坊主に近い、角刈り。まるで僕の頭蓋骨を縁取るように髪が残っている。
    あの時、バリカンが最初に侵攻してきたときに、僕に断る勇気があれば、こんなことにならなかったのに・・・
    今更、後悔してもしかたがなく、僕は早く髪が伸びることを願って、逃げるようにここを立ち去った。

    ウドンサイの丘の上の仏塔にて

     僕が、逃げるようにゲストハウスへ向かって歩いていると、僕の今の同居人、yokoさんとばったり。
    「けっこう、イイじゃん!」なんて慰めてくれますが、風を頭皮がモロに感じるこの感覚が僕には許せなかった。
    二人で食堂へ行き、ラオスコーヒーを飲みながら、僕は1人で歩いているときに見つけたゲストハウスの話をした。
    「今の所と同じ値段で、今の所よりもかなりキレイな宿を見つけたので、明日、宿替えしませんか?」と。
    yokoさんは、先ほどと同じように「私はかまわないよ。」と言うことなので、明日、宿を替えることにした。

     二人で夕食を食べた後、宿へ帰り、僕はここのとても汚い、共同トイレ&シャワー室を掃除。
    こんな汚いところで、トイレもシャワーもしたくない。土でドロドロの床をキレイに洗い流し、ここにいる蚊を全部殺して、気持ちよくシャワーを浴びた。

     いつもは、一人孤独に部屋で日記を書いたり、ガイドブックを読んだりしていたのですが、今夜は、久しぶりに、人と夜遅くまで、話をすることが出来た。