新市街の古い町並み

     
    昆明に4泊した僕は、5日目の朝、昆明駅前から出ているバスに乗って西へ約6時間、
    大理白族自治州の州都、大理下関に到着した。

     大理下関は、僕達旅行者が思い描いている、城壁に囲まれた街の大理ではなく、新市街と呼ばれる、新しく作られた街です。

    中国のごくありふれた地方都市です。
    雲南省の観光地ベスト3には確実に入る、城壁に囲まれた観光地、大理古城へは、ここから市バスに乗って、約40分ほどである。

     僕が大理下関から直ぐに、大理古城へ行かないのは、ここにある大理白族自治州博物館へ行きたいからだ。
    今思うと、ここへは大理古城から、暇な時に日帰りで行けば良かったと思っています。
    しかし、この時の僕は、先にここを見ておけば、大理古城観光についての知識が増え、充実した大理古城滞在を送れるはずに違いないと考えていました。

    しかし、バスが大理下関に到着したのが、午後3時半頃。更に宿探しにも手こずり、宿にチェック・インしたときの時間が、午後4時を過ぎていました。博物館は午後5時までなので、
    今日の博物館行きは諦めて、何もなさそうな街なのですが、街散策へとくり出した。

     中国のどこにでもある公園の名前、人民公園を歩き、これも、中国のどこにでもある通りの名前、人民南路をしばらく歩き、少し細い道を左に曲がると、殺風景な大通りからは想像が出来ないくらい、人々の活気が溢れる声がしてきた。
    そこには、古い家が建ち並ぶ通りに面して、市場が開かれていました。

    (上)市場にて

    (下)屋台のおでんを買う子供達


    俺が旅に出て、一番好きな風景が目に飛び込んできたのです。
    そう、ウルサイほどにエネルギッシュな街の風景です。人々が往来し、物を売り買いするこの活気と熱気。
    僕は、大理下関は新市街だから、古い家や通りなんか、何もない地方都市だと思っていたのに・・・
    来てよかった。

    市場には、白い帽子をかぶった回族の人や、白族の民族衣装を着ているオバチャンやお婆さんも、普通に、買い物へ来たり、商品を売りに来たりしている。
    僕は、今日初めて、カメラを手にとって、肉や野菜が売られている市場を歩いていた。

    夕方ということもあり、市場は、人々でごった返しています。
    狭い道の左右にはリヤカーに野菜を積み、その状態で商売をしている人や、ござを敷いてその上に山ほどの人参を広げているオバチャン。
    肉屋のエリアでは、食用の犬が、皮を剥がされ、形そのままで、飴色にこんがりと焼けて、売られていたり、
    または、大きな台の上には、豚が横たわっており、店のおじちゃんが、その豚を大きな包丁と小さな包丁を使い分け、各パーツに解体していき、皮付きのまま、売られていたりと、ピッグからポークへと早変わり。
    食に対してのこだわりか、中国らしいのか、僕はこのような市場は、とても人間らしいと思う。
    日本の都市に住んでいたら、絶対に見ることが出来ない光景。
    容器に入って、ラップで包まれている日本のスーパーが、異常で違和感を感じてしまう。

    新市街と呼ばれる街に、古い町並みがあり、さらに血生臭い市場。
    大理下関も、なかなか良いじゃないですか。
    久しぶりに市場を堪能した僕は、大通りへと戻り、ショッピング商場へ。
    昆明から、朝晩の冷え込みが厳しくなり、この辺りで服を買っておこうかと悩んでいる。
    今後のルートは標高が高くなって行くことを考えると、絶対に必要だと思い、ジャンパーを購入。

    古い街並みの市場の様子

     その後、夕食を食べに、食堂よりもランクが1つくらい上の店で、過橋米線を食べた。
    過橋米線は、器の中に熱いスープが入っていまして、その中に米線(米の麺)を入れ、続いて別のお皿に盛られている、薄く切った肉や野菜などを入れて食べるという、雲南省の名物料理。
    そして店によっても違うが、6元、10元、20元などのコースがあり、それぞれ中の具材が違う。
    今日の僕は、ふんぱつして10元の過橋米線に挑戦。予想通り、値段通り、うまい!

     翌日、大理白族自治州博物館へ行くが、建物が立派なわりには、収蔵品はショボく、かなり残念な結果に。
    街へ戻り、ネット屋へ行くと、以前出会った自転車トラベラーの岩崎さんが、なんと!大理古城にいるらしい。
    明日は大理古城へ行く。会えると良いのですが。




    再会〜大理古城にて〜

     早朝、僕は大理下関バスターミナルの手前の通りから出ている、四路の市バスに乗って(1元2角)、大理古城へとやって来た。白と黒で彩られた古い町並みを再建した通りをバスは走り、バスは大理古城の入口の南城楼の門で停車し、僕はそこでバスを降りた。
    雲南省の古都、大理。ここは、はるか昔、大理国と言う国家があり、その都が僕が今いる、大理古城だ。

     バスを降り、ここが城の中なのか、または城の外なのか、分らない僕に、さっそく客引きのオバチャンが声をかけてきた。中国では、あまり客引きは寄ってこないのですが、さすが世界的観光地の大理です。
    僕は、最初このオバチャンを無視していたが、オバチャンが差し出したパンフレットを僕が見ると、なんと国際青年旅館(ユース)のパンフレットだった。
    僕は、今朝、大理下関でバスを待っているときに、別のオバチャンから、ここのパンフレットを貰っていて、ユース会員(昨年、広州で会員になった)の僕は、大理古城では、ここに泊まろうと思っていた宿だった。

     僕は、オバチャンの後ろを着いて行く、これで道に迷うことはない。
    南城楼をくぐり抜け、城内へと入って行く。大理古城の復興路の左右には古い民家が再建されており、青く澄んだ空に、灰色の屋根瓦と白い壁、小豆色の格子窓が、とても良く似合っている。
    この通りは、大理古城のメインロードとなっていて、大観光地らしく、ほとんどお土産街となっており、キレイに整備された石畳の道には、中国人観光客が、白族の民族衣装を身にまとったガイドに引率されている光景であふれかえっている。
    大理古城は、外国人観光客にも、ものすごく有名なところなので、外国人も多いのですが、それ以上に中国人観光客が多く、外国人観光客の観光地という感じは全くしない。

    しばらく歩き、博愛路のユースに到着。部屋代は1泊=50元。ユース会員じゃなくてもこの値段だ。
    部屋から出ると、雪が積もった、4000メートル級の山々が連なる、蒼山を見渡すことが出来る。

    (左)岩崎さん、ユースにて (右)洋人街

     荷物を置いた僕は、早速、ネット屋へ行き、今日ここに来ているはずの岩崎さんにメールを打つ。
    岩崎さんからもメールがきており、僕は、宿の名前や部屋番号を書き、返信。
    そして自分のホームページの掲示板にも書き込みを済まし、友達のサイトを見ようとした、その時!!

    僕が、ふと外へ目をやると、ガラス戸に遮られた、こちらを覗いている人がいる。
    「間違いない。絶対に岩崎さんだ。」髪の毛は僕とは反対に伸びていたが、あの自転車にあの荷物。
    あんなマネが出来る人間は、そんじょそこらにはいない。
    自転車に乗っている彼は、僕がガラス戸を叩くも、気づくことはなく、その場を通り過ぎようとしていた。

    このまま通り過ぎてしまうと、またすれ違いで会えなくなるかもしれない。と思った僕は、インターネットをしているマウスの手を止め、ガラス戸を開き、叫んだ。「岩崎さーーーーん!」
    僕の声に反応し、彼は自転車を止め、そして振り返った。振り返った彼は、間違いなく、僕が昨年、上海、広州そして香港で出会った岩崎さんだった。

     「やっと会えましたね。」と僕達は再会を喜んだ。
    「僕が旅に出てから、2ヶ月もかかりましたねー。」「もっと早くに会えると思っていたのに。」
    タイのバンコクで会うチャンスを逃し、ラオスのウドンサイでも会うことは出来ず、雲南省のモンラーではすれ違い。
    そして、岩崎さんが麗江に寄らなければ、ここが出会う最後のチャンスかという、大理古城でやっと会えた。

     僕達は、洋人街と呼ばれる、カフェ&レストランが並ぶ通りにある、一軒のカフェへ行き、アイスコーヒー(7元は高すぎる!)を飲みながら、積もる話をしていた。
    「いやー、やっと会えましたね。長かったですねー。また中国で会うなんて。」などと、お互い話は尽きない。その後、岩崎さんの荷物を、僕の部屋へ置き、僕達は昼飯を食べに出かけた。

    これぞ大理

     大理古城も観光地化されたメインロードを離れると、古き良き町並みが残っている。
    バックにそびえる蒼山もこの街の風景に調和していて、とてもキレイだ。
    僕達は、そんな町並みにある店で、鶏肉がのった米線を食べ、別の店で炒飯も食べた。
    その後、岩崎さんはCD-Rを買いに下関へ。僕は一人、三塔寺へと向かった。

     大理石加工所が軒を並べる通りを歩き、三塔寺に到着。
    三塔寺は大理古城の一番の観光地なので、入場料はこれまた高く、52元(約760円)
    あまりにも高すぎる入場料なので、入場はあきらめて、出口から、ちょっとだけ覗かしてもらい、ここを後にした。

     夕方に再び岩崎さんと会い、再会を祝しての夕食へ。
    地元、大理白族風味の店で、砂鍋魚と豚肉の野菜炒め。そして大理ビールを飲みながらのリッチな夕食。
    そして、部屋や帰り、これまたビールを飲みながら、お互いの今までの旅の話や、日本での話、岩崎さんが、今までの旅で撮った写真を見たりしながら、僕達の再会初日の夜は更けていった。