雨にフラれて

     昨夜、岩崎さんと朝の大理古城を歩きましょう。と約束したので、今朝は6時15分に起床。
    昨日は岩崎さんが俺の部屋を出た後、岩崎さんが旅人からもらったという、CDウォークマンを借りて、夜中の2時頃まで、自分が中国でこれまでに買ったCDを聞いていたので、睡眠時間は4時間ほど。

     7時に待ち合わせだったので、10分前に宿を出たが、外はまだ暗い。
    その暗い朝の中、地元の人は、自転車やリヤカーに荷物を積んで、市場へ向かったり、子供は学校へ向かったりしている。

    そして僕は、待ち合わせの南城楼(南門)へは5分遅刻で到着。
    岩崎さんは、すでに到着していた。

    「おはようございます。」とお互いに挨拶をすました僕らは、誰もいない南城楼に登り、ほのかに朝日で明るくなった、大理古城を見渡した。
    周りには高い建物がなく、以前から変わらぬ町並みを見渡すことができた。
    こんな風景を独り占めできるのが気持ちが良いです。

    城門から見た大理古城の街並み

    僕達はブラブラと歩き、昨日、昼飯を食べた通りで、岩崎さんお気に入りの早点(朝食)メニュー。
    まずは、これは外せない。肉まん(5角)を食べながら、お粥(5角)を食べ、最後に豆乳(5角)をズズっと飲み、朝食終了。
    なんか昨年の広州を彷彿させるような僕達の定番メニュー。

    僕は最近、麺が多かったせいか、このような朝食はうれしかった。

     その後、野菜などが売られている市場を見学したあと、岩崎さんの荷物を置きに、ユースへ。
    軽装になった岩崎さんと共に、古城内を歩いていましたが、岩崎さんは、お腹の調子が悪く、ベンチで休憩。
    昨日、食った物がまずかったようだが、僕は、なんでか大丈夫だ。
    僕は一人で古城内をブラブラ。僕は大通りから逸れ、脇道へ。
    時間の経過を感じさせる石畳の道や、かつては漆喰で塗られていて、今はそれが、剥がれ落ち、中の石積みが、露出している壁などが、昔の大理古城を浮かび上がらせる。

    僕はそんな道を30分ほど歩き、再び岩崎さんのもとへ戻ってきましたが、岩崎さんは、思った以上に体調が悪く、結局ユースへと戻り、ベッドで安静にすることに。
    「1時間ほどしたら、戻ってきます。その時、体調が良かったら、昼飯を食べに行きましょう。」と岩崎さんに言って、僕はネット屋へ。
    ツーリストカフェにあるパソコンは日本語が使えるが、値段が高い。10分=1元など。
    それとは逆に、街のネットゲーム屋は、日本語が使えないが、値段は安い。1時間=1元など。

    (左)石造りの家 (右)石壁

     岩崎さんの様子を見に帰るが、まだ体調が思わしくなく、一人で昼飯を食べた後、再び部屋へ。
    眠ったら、だいぶん体の調子が良くなったと言う岩崎さんと、三塔倒影公園へ行くことにした。
    行きは、バスに乗り(5角)終点の三塔寺で下車。
    空は、先ほどとは違い、だいぶん曇ってきて、イヤな予感もしますが、僕達は三塔寺の壁沿いの道を歩いたり、石造りの民家が建ち並ぶ路地を歩いていると、予感的中。雨が降ってきた。

    雨はすぐに止むだろうと思っていましたが、僕達の心中とは裏腹に、雨は勢いを増し、激しくたたみかけるように降り注ぐ。少しぐらいは雨に濡れても大丈夫だった僕達も、雨宿りのため、商店へと避難して、5角のアイスクリームを食べながら、雨が降り止むのを待っていた。

    やがて雨は小雨になり、僕達が再び、散策を開始してから数分、雨がまた激しく降ってきた。
    しかも今度は風まで味方に付けている。「今日はもう諦めて、帰りましょう。」と言い、
    僕達は、雨が激しく降る中、再び商店へ逃げ込んだ。もう何もかもびしょ濡れです。

    いつ止むのか、この雨は?と商店の商品を見つめ続ける僕。
    1個、1角のガムを3つほど買い、風船を作ろうとがんばっている岩崎さん。
    そんなふうに、時間をつぶし、再び小雨になってきたところで、僕達はバス停へと向かったが、あともう少しというところで、再び雨。今度はバス停に近い商店で雨宿り。

    バス停に近い商店では、僕達と同じように雨宿りをしている中国人達がいましたが、彼等は、ほんの少しだけ雨宿りをしたあと、足早にここを去って行ったが、びしょ濡れの僕達は、もうしばらくここで雨宿りをした。

    しばらくすると空は、いままでの雨空が嘘のように晴れ渡り、空には青空が広がり、雨に濡れたアスファルト道を強烈に照らした。

    三塔倒影公園にて

     雨にフラれっぱなしの僕達だったが、せっかく晴れたので、バス停まで来ていたが、もう一度、三塔倒影公園をめざし、歩き始めた。
    朽ち果てた石造りの住宅街を歩き、白壁と重量感がある灰色の屋根瓦の家々を通り過ぎ、人に道を尋ねること数回、僕達はやっと三塔倒影公園に到着した。

     入場料は三塔寺の52元と比べると、かなり安い4元。

    しかし、先ほどの雨のせいか?公園内の店は、ほぼ閉店している。
    1軒だけ開いていたが、麻雀をしている人が3人いるだけだ。
    客も僕達、2人だけだ。せっかく来たのだから、ゆっくりしましょうと僕達は池に突き出ている、浮御堂へ。
    そこのイスに座り、今日の事などを話をしていると、蒼山の方に、再び黒い雨雲がゆっくりとこっちに迫ってきていた。
    「来ますね。絶対。」と僕と岩崎さんは、三度、雨が降ることを確信して、ここを後にして、古城へ。

    僕達が、古城へ着くと、予想通り雨が降ってきた。
    今日は、雨にフラれっぱなしの一日でした。




    古き良き、喜州

     今日は一人で、アール海湖畔の街、喜州に行くので、9時半に来てくれた、岩崎さんと一緒に朝食の米線を食べた後、岩崎さんに部屋を貸して、「がんばってホームページを更新してください。」と言って、僕は部屋を出た。

     僕は蒼山門(西門)へ行き、嶺峰が連なる蒼山を見渡した。
    今日は、天気がよいので、山がよく見える。
    喜州行きのバスは、大理下関から、ここ大理古城の蒼山門のバス停に止まり、バスに乗ること約30分ほどで、喜州鎮のバスターミナルに到着した。

     ここは、白族の古い町並みが残っていると聞いていたが、バスターミナルから出たばかりの僕には、それらしき建物は、今のところ見あたらない。

    それに喜州は、アール海の辺にあるとガイドブックには書いていましたが、大理古城よりかは、湖には近いような気もするが、かなり距離がある。
    僕は、ここへ来れば、湖の美しい景色を見ることが出来ると思っていたのに・・・

     街の中心らしきところへ行くと、三輪バイタクや馬車が、集まっている。
    そのため、地面は馬の糞だらけです。僕はそこから見える、田園地帯の方へ行った。
    そこからは、喜州鎮よりも、より湖に近い所に集落があるのが、いくつか見えた。
    アール海は、ここから見える村々の先にありそうだ。

    (左)アール海 (右)江上村にて

    僕は、とりあえずはアール海を見ようと思っていたので、通りかかった馬車に乗り、「アールハイ」と言った。
    この、あいまいな行き先で、いったい何処に行くのかと、かなり不安な僕ですが、馬車は、リズミカルにあぜ道を走り、さっきまで見えていた、集落へ。
    そして僕は、行き先通りのアール海が見える場所で、馬車を降りた。

    湖畔では、親子が洗濯をしに来ていたので、僕は、そっちへと行き、この村の名前を聞いた。
    アール海は、太陽の光に照らされてとてもキレイですが、岸辺には、朽ち果てている船がいくつかあった。
    まぁキレイなアール海を見た後は、この村、『江上村』を散策。

     この村の民家、ほとんどが、白族様式の古い家で、壁に囲まれていて、中を見ることは出来ないが、白い壁に、門の装飾や石畳の道など、外観だけでも十分に見応えがある。
    それにこの村にいるお婆さんなどは、老人用の民族衣装を着ていて、背中には竹籠を背負って歩いている。
    若い人は洋服を着ていますが、それでも、ここは僕の時代感覚を狂わせるのには十分すぎる村だ。
    この風景は、何十年変わっていないのか?それとも何百年なのか?

    そして、ここの人たちは、とてもとても写真が嫌いな様子で、カメラを持っている僕を見ると、子供達は逃げだし、大人は顔をかくしてと、みんな撮影拒否の態度を露わにしているし、よそ者の僕に対しても、かなり迷惑なようで、僕は、一人の老人から、村から出て行け!もう来るな!とまで言われてしまった。
    そんなことを言われても、馬車との待ち合わせ時間もあるので、それまではここにいます。

    再び、村を散策していると、僕をここまで連れてきた馬車を見つけたので、少し早いが、僕は馬車に乗り、江上村を後にして、喜州鎮へと戻った。

    (左)厳家大院 (右)喜州鎮の市場にて

     喜州鎮へ着くと、僕はここへ来たときに、何を見ていたんだろう?と思うくらい、
    ここにも古い民家などが建ち並んでいる。僕は、古い家が建ち並ぶ商店街をブラリブラリと歩いていた。
    狭い路地に、いくつもの店が並び、白壁を隠すように、染めた布が広げられていたり、更に狭い路地をもっと狭くするように、商品が所狭しと、軒先が反り返った、屋根の下に並べられている。
    ここは、大理古城とは一味違う、風情が漂っていた。

     そして僕は、喜州唯一の観光地と思われる、『厳家大院』へ。
    厳家大院は白族様式の古い家なのですが、このような形であれ、白族様式の家を見学できるのは、うれしい。
    外観は、これまで見てきた白壁と灰色の屋根瓦というモノトーン的なコントラストだったのですが、中へ入れば、裏腹に、小豆色の柱や格子、ロの字型に構成された2階の回廊が、ものすごく解放感があり、外からは想像できないくらいに、色華やかな家だった。

    外へ出て、厳家大院の壁沿いの道を歩いていましたが、この辺りも、古い白族様式の家屋が、いまだ現役だ。
    こんな風に、今もなお昔ながらの家や暮らしが、息づいている。
    いつまでも歴史がある、古き良き喜州と周辺の景観を保っていて欲しいと思うのは、僕だけではないと思う。
    そんなことを、フッと思った僕は、そろそろ大理古城へ帰ろうかな、とバスに乗った。

    江上村の街並み

     行きと同じように、蒼山門前で下車し、ユースの部屋へ戻ると、岩崎さんは今朝と同じ姿で、がんばって、たまった日記を打ち込んでいる。
    夕食を二人で食べた後、食後には嗅ぎたくないような臭いがする、ドブ池の近くの電脳屋(ネットゲーム)へ行き、岩崎さんは、ホームページを更新。
    夜は、いつものように、僕の部屋で音楽を聴きながら、話をしたりビールを飲んだりと、楽しい一時を過ごした。大理古城は、久々の長期滞在になりそうな予感がしてきました。