麗江的風景
麗江に来て2日目の今日は、朝早くから麗江古城(旧市街)を歩いていた。
ここの住人の納西族とは、黒い人と言う意味で、その納西族が使う文字をトンパ文字と言って、このトンパというのは、知恵のある者と言う意味だという。
少し靄がかかった旧市街は、朝早いため、宿の周辺のお土産屋は、まだ開いておらず、小豆色の板戸が店の入り口にはめ込まれている。
昼間はたくさんの観光客が歩いているが、朝はほとんど見かけることはなく、すれ違う観光客達は、僕と同じ様な、写真好きの人たちがほとんどだ。
朝日に照らされた石畳の道の左右には、納西族の木造2階建て家屋が所狭しと立ち並び、青と黒の民族衣装を着た、お婆ちゃんがトボトボと歩いている。
「朝の麗江がこんなに清々しいなんて。」と僕は、カメラをブラ下げ、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと歩いているが、迷路のような入り組んだ路地を歩くたびに方向感覚がなくなってゆく。
旧市街の中心地の四方街広場付近には、ツーリスト向けのたくさんのカフェがあり、僕は一軒のカフェへと入り、昨日、2本=1元で買った、太くて短いバナナを食べながら、高いコーヒーを飲んでいた。
カフェの横を流れる水路からは、水が心地よい音を出しながら、流れているが、その音はやがて、観光客の声と足音にかき消された。
朝の麗江は、多くの観光客によって、その静寂は瞬く間に消え去り、お土産屋も入り口の板戸を外し、開店の準備に忙しい。古都麗江から大観光地、麗江へ。
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早朝の四方街付近にて
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僕は四方街から延びている、細い道を歩いていた。
ここも石畳の道の左右には、お土産屋が、いくつも軒を連ねているが、しばらく歩くと、石畳の道は工事によって剥がされ、お土産屋も、いつしか見なくなっていた。
この辺りの家で、今日は葬式?をやっているらしく、石畳が剥がされた沿道には、民族衣装を着た、たくさんの老人達や、それに洋服を着た人たちで溢れかえっていた。
しばらくこの道を歩いていましたが、民家が少なくなってきたので、
僕は来た道を引き返し、四方街へと戻り、今日一番重要な用事のビザの延長をするために、旧市街を抜け、公安局外管科がある、新市街へと向かった。
ガイドブックの地図をたよりに、公安局外管科を探す。
地図に示された場所まで、たどり着くが、ここは公安局外管科じゃなかった。
「また騙されたか。」と思いましたが、今回は、おしい所にありました。この向かい側が公安局外管科だった。ビザの延長は、前回の広州と違い、写真も必要なく、たった15分ほどで出来上がった。
これで用事が済んだので、僕は他の街となんら変わらない、麗江新市街を後にして、再び、旧市街へと入っていった。
今度は、午前中とは違う道を歩いていましたが、自分が今、何処を歩いているのかなんて、全く分からない。
それくらい麗江古城の路地は入り組んでいる。そして、すっかり方向感覚を失った僕が着いた場所は市場。
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麗江の市場にて
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朝のうちに、ここにたどり着いていれば、今以上に活気があったと思いますが、この時間、午後2時くらいでも十分に活気があった。
野菜、肉、日用品、それに屋台と、ここには観光客ではなく、庶民の活気が行き交っていた。
麗江らしく、民族衣装を着て、竹で出来た籠を背負い、そこに買った商品を入れている人もいる。
陽気な人もいて、僕にお婆ちゃんが着ている、民族衣装を買わないか?と言い、試着をさせて、大爆笑しているオッチャン達など、陽気に接してくれる人が多く、とても楽しかった。
市 場の屋台で、揚げた豆腐とウインナーを食べた後、市場を後にして、僕が次に行ったのは、木府という、470年間、22代、かつての麗江の政治の中心となっていた建物です。
この宮殿も再建らしいのですが、とても見応えがあり、階段状に建てられているの木府の奥の建物からは、小さな家を数多く従えるかのようにも見える、木府と旧市街を見渡すことが出来た。
閉館ギリギリに木府を出た僕は、日が少し傾いた、旧市街をブラブラ。
夕方の四方街付近のカフェやレストランでは、多くの外国人観光客が食事をしたり、お土産屋で買い物をしたりと市場とは違った活気が、観光地らしく、朝の静寂とは正反対の表情を見せている。
僕も他の観光客と同じように、お土産屋へ行き、どんな物が売っているのだろうか?と眺めたり、ハンコ屋では、ここ麗江、納西族の文字、東巴(トンパ)文字で、頼まれていたハンコを作ってもらったりと、観光地としての麗江を楽しんでいた。
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木府から見た、麗江の風景
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日も暮れ、夜になると、四方街広場にはたくさんの観光客、または地元の人々が集まりだした。
広場の中央には、火が焚かれ、地元の人がそれを囲み、輪になり、音楽に乗って踊り始めた。
時が経つと、やがてその輪は、観光客も取り込み、2重3重と膨れあがり、地元民と観光客とが一体となり、夜の麗江の最大のイベントが始まった。
僕は、そんな人々と高く燃え上がる炎を眺め、それを後にして宿の方へ歩いていった。
張り巡らされた水路の所々には、花のように作られた、ロウソク立てにロウソクの小さな炎が灯されていて、それを水路へと、何かを願うかのように流している光景もまた、麗江的風景を引き立てている。
麗江古城は、朝、昼、夜とさまざまな豊かな表情を見せてくれた。
俺は、早朝の風景が好きでした。
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