香格里拉-シャングリラ-

     午前7時50分に出発する予定だった、バスは10分遅れで、僕が麗江に到着した時と同じバスターミナルを出発した。

    僕が、これから向かう地は、中甸(ジョンディエン)現在はその名を変え、香格里拉(シャングリラ)と呼ばれている。
    僕はバスに乗りながら、シャングリラと称される街とは、どんな街なんだろうと思い描いていた。

     桃源郷を意味する名のシャングリラと言う街が、全く想像できないわけではない。
    ガイドブックを読んだりして、分かったことが三つあった。
    一つは、標高が今までいた麗江の2,400メートルから、3.300メートルになり、更に寒くなると言うこと。
    そしてもう一つは、中甸(香格里拉)は迪慶チベット自治州の州都であり、そこがチベット文化圏であるということ。

    それと日本人には高価な松茸の産地であること。
    松茸は、どうでもいいけど、人生初のチベット文化圏、とても楽しみです。

     バスは、州境の虎跳峡のある村のあたりから、道路工事のため、渋滞が激しくなり、約1時間ほどの間、少し進んでは、止まるということの繰り返しが続いた。
    僕の遙か視線の先には、雪が積もっている山々が見える。
    こんな雪が積もっている山々の中へと、これから入っていくのかと思うと、低地と南国しか行ったことがない俺にとっては、「俺、防寒装備なんか、ジャンパーくらいなんやけど大丈夫かな?」と不安がつのる。

     渋滞をやっと抜け出し、バスは通常通り、山道をしばらく走っていると、前方には、見覚えのある、忘れることのない、人と自転車が僕の視界に入った。
    「あっ、あれは!もしかして岩崎さん!」道路の端で、自転車から降りて、ゆっくり歩いている。
    岩崎さんが必死に、24インチのママチャリと共に、中甸を目指している姿が目に飛び込んできた。
    「早く行動を起こさなければ間に合わない。」と僕は、隣のオッチャンを押しのけ、窓から顔を出して「岩崎さーーーん!」と叫び、手を振った。
    僕の声に気づいてくれた岩崎さんも「オォォー!」と叫び、手を振った。
    そして、僕が乗っているバスは、いとも簡単に、岩崎さんを抜き去った。

    あっと言う間の僕達の再会だった。中甸でも会えればいいのですが。

     そしてバスは、いくつかの山を越えると、車窓からの風景はガラリと様子を変えた。
    僕の目の前には、いままでに見たことがない風景が広がっている。
    今までの山道が嘘のように、高原が広がり、そこには羊達が点在している。
    舗装された道路の左右には、中国でない家屋ばかりで、窓枠には色鮮やかな装飾がなされているし、屋根の上には、旗のような物が、掲げられている。それに木で出来た、武器のようにも見える大きな柵。

    「こっ、これがチベットの風景なのか!」
    僕は、初めて見る、このような衝撃的な風景に、いままでウトウトとしていた睡魔は、この衝撃にブッ飛び、目を見開いて、食い入るように見続けた。


     道路は、今までの悪路が嘘のように、アスファルトで固められた道に変わり、バスは、巨大なチベット仏塔(チョルテン)に迎え入れられるかのように、中甸の街に到着した。
    標高3,300メートルの街とは言え、人が住み、街があるのだから、たいしたことないだろうとナメテいましたが、僕が、中甸に着いたときには、天気が悪く、雨が降っており、風も吹いている。
    腹が減っていることもあり、寒さと風の冷たさが、骨身にしみた瞬間だった。

     近場で宿を決め、食堂へ行き、砂鍋米線とゆで卵を食べて、身体を温めてから、僕は、中甸、シャングリラと呼ばれる街を歩いてみた。
    街自体は、中国地方都市の建物と同じ造りですが、壁や扉などが、チベット風の派手な色使いになっているし、街中には、チベット族と思われる人々が、民族衣装を着て歩いているし、お坊さんの袈裟の色も、深い赤の小豆色に変わっている。

     僕がこのような風景に感動しながら歩いていると、チベットの衣装を着た、お婆さんと子供が歩いて来たので、僕は、その子供に向かって、身をかがめ、カメラを向けて、そしてシャッターを押そうとした、その時!
    なんと、その子供は僕に向かってツバを吐き、お婆さんは俺に向かって、怒鳴り始めた。
    チベットは中国に侵略され、組み込まれたという、歴史的事実があるから、チベット人老若男女問わず、漢民族は嫌われていることは知っているが、どんな社会的背景があろうと、何族であろうと、ガキが、大人に向かってツバを吐くなんて、ババアの子供に対しての躾(しつけ)がなってません。
    「俺は日本人じゃ、ボケ!」

    中国人に間違われた僕にしては、大迷惑というか、この行為に対しては、かなり腹が立ったが、僕にとって、このことは、後々の良い教訓となりました。

    中甸(ジョンディエン)の町中にて

     大通りとその付近をブラブラとしただけですが、僕は、丘の上に建っている、チベット式仏塔のチョルテンが気になり、行ってみることにした。
    丘の上には、チョルテンが3つほどあり、色とりどりの旗、タルチョが風になびいている。
    仏塔に近づくと、マニ車があった。
    これが、マニ車なのか、僕はマニ車を日本のリトル・ワールドで見たことはあったが、本物を見るのは、チョルテン、タルチョと共に、今日が初めてだ。

     チョルテン、タルチョ、マニ車それにチベット民族。
    ここ中甸がこんなにもチベット世界があるってことに、僕は驚いた。
    雲南省のチベット自治州なので、たいしたことないだろうと想像していたのですが、チベット文化を初めて目の当たりにした僕にとっては、この風景に驚きと感動を繰り返していた。
    僕は、チベットという地域をもっと、もっと知りたくなってきました。

    雨、風、それに高所と3つの悪条件が重なり、身体がかなり冷えてきたので、今後のことも考えて、僕は、帽子とモモヒキを購入。

    山を越えて、文化が変わった。




    チベットのお寺

     目が覚め、部屋で身体が温まるほど、温かくはないインスタント・コーヒーを飲んだ後、部屋を出た僕は、この街の郊外に位置する、ソンツェン・ゴンパ(松賛林寺)へと向かった。
    中甸のメインストリート、長征路を走っていた、3路のバスに乗った(1元)。

    バスの車内は、ほとんどがチベット人のようだ。
    彼等は、中国人に見えないこともない僕をジロジロと見ている。
    僕は、昨日の事もあったので、外国人らしく、日本語で「こんにちは!」と挨拶をし、日本人ということを近くの乗客に告げると、皆さん、態度を改めてくれて、親切になった。
    そして、ソンツェン・ゴンパへ行きたい。と言うと、さらに親切に対応してくれるようになった。
    「やっぱ、ここじゃ、中国人ぽくするのは、損だ。」

     ソンツェン・ゴンパへ着き、チケットを買って、僕は、金色の鹿と法輪が屋根の上に掲げられた、大きな門をくぐり抜けて、中へと入っていった。
    ゴンパへと続く道には、ゴンパの施設か住居なのだろうか?白く塗られた壁に、窓枠の装飾が色鮮やかな、チベット様式の小さな家々が所狭しと立ち並んでいる。

    そして、その頂に君臨しているかのような、金色に輝く屋根を持つ、ソンツェン・ゴンパは、とても威圧感があり、どっしりとしている。
    寺と言うか、まるで城塞のようだ。

     僕は、真っ直ぐに延びている、ゴンパへの坂道を上り、ソンツェン・ゴンパ内へと入った。
    タンカ(仏画)が描かれている、天井の高い、薄暗い室内には、線香の臭いやヤクのバターで出来た、ロウソクが独特の臭い放ち、広いゴンパ内に充満している。
    この臭い、チベット初心者には、耐え難いです。

    (左)コルラする人達 (右)ソンツェン・ゴンパ

     ここにお参りに来ているチベット人のお祈りの仕方も映画(7 Years in TIBET)と同じだ。
    僕も、お祈りをしているチベット人から、やり方を教えて貰い、ブラッド・ピットになったような気分で、目、口、胸に手を合わせた両手を持っていき、身体を投げるようにして、周りの人と同じようにお祈りをしてみた。

    僕が、こんな風にお祈りをしても、いいものなのか?とためらいもあったのですが、せっかくここに居るのだから。
    しかし、何をやっているかを知るためには、チベットの勉強をしておくべきだったと、かなり後悔しています。

     ゴンパの背後には高原が広がっており、チョルテンも建てられていた。
    僕は、そちらへは行かず、ゴンパ内の石が敷かれた道を、ブラブラと歩いていた。
    ゴンパの敷地内には赤いタオルのような物を頭に巻いた、コルラ(巡礼)をしている女性3人とすれ違ったり、チョルテンが建てられている周辺でチベット人のお婆ちゃんと出会い、筆談を試みるも、全く通じなかった。

    会話は全く通じなかったが、お婆さんが、良かったら家に寄っていかないか?と言うような感じで、僕に向かって、手招きをしているので、僕はお婆さんについて行った。
    お婆さんの家に近づくと、家の中から、犬が威嚇しているかのように、ワンワン!と吠えだした。
    お婆さんが、家の扉を開けると、熊のような大きな犬が、僕に向かって一目散に、吠えながら駆け寄ってきました。

    幸い、犬には鎖がしてあったので、僕に近づくことはなかったが、僕には家の敷居をまたぐことができなかった。

    チベットでは犬に注意!ってことを聞いてはいましたが、中甸もそうなのか。
    犬嫌いな僕にとっては、この世の終わりかと思ったくらいに恐怖だった。

    とりあえず、ソンツェン・ゴンパを逆回りだが、一周したので、僕はバスで来た道を歩いて帰った。
    ソンツェン・ゴンパは、初のチベット文化の体験だったので、いろんな意味でとても刺激的だったし、良い経験だった。

     ソンツェン・ゴンパを見渡せる場所には、中国人観光客がチベットの民族衣装を着て、ヤクと一緒に、記念撮影を撮ったりと、ここが中国人にとっての観光地だということを改めて見せつけられた。

    香格里拉(シャングリラ)、この名前を中国では、大々的にアピールしている。

    街へ帰ってきた僕は、ヤクの頭蓋骨が店先に置かれている店で、これまた初のヤク肉米線を食べた。
    ヤクって動物は、バターになったり、肉になったり、ロウソクになったり、毛皮になったりと、ほんとヤクに立ってます。
    で、ヤク肉のお味はというと、牛と羊の間のような感じでした。

    ソンツェン・ゴンパ

     食後、僕はバスターミナルへ行き、時刻表を見つめながら、明日の行き先を考えていた。
    徳欽にしようか?それとも四川省の稲城にしようか?ウーン?
    徳欽へ行った場合、その先のチベット自治区には、行けないことになっているし、無理してまで行こうとも思っていない。でもせっかく、ここまで来たのだから、徳欽ぐらいまでは、行っておきたいし。

    僕は腕を組み、しばらく悩んでいたが、また中甸に戻ってこなければならないと言う理由で、徳欽行きをあきらめ、四川省の稲城へ行くことを決めて、切符を買い、バスターミナルを出ようとしたら、タイミング良く、僕の目の前に、自転車を押しながら、キョロキョロと周りを見渡している岩崎さんがいた。

    「あっーっ!岩崎さん!」まさか、会えるなんて!
    今回は、宿も全く決まっていなかったので、会える確率はかなり低いと思っていたのですがね。
    僕達は、握手をして再会を喜び、とりあえずネット屋へ。

     岩崎さんが、ネットをしている間、僕は、ここのオッチャンと筆談などをしていた。
    「ラサ?行けるよ。徳欽から、500元でバスが出ている。3日から5日で着くよ。」と言う。
    「外国人旅行証?そんな物いらないよ。」なんてことまで言う。
    ほんまかいな?と僕は、このオッチャンの言うことを鵜呑みにはせず、聞いていましたが、反対に、これが事実かどうかということも、確かめてみたいとも思った。

     最初から徳欽へは、行ってみたいと思っていたので、あまり先のことは深くは考えずに、やっぱり徳欽へ行ってみようと、僕は、バスターミナルへ行き、稲城行きをキャンセルして、明日の徳欽行きの切符を買った。
    キャンセル料は20元も取られたが、後悔はしていない。徳欽へ行かない方が後悔する。
    キャンセルの手続きをしているときに、ここにいた公安にも、チベット自治区へ行けるか?と聞いたが、僕の予想とは裏腹に、「行ける。問題ない。」と返ってきた。ほんまかいな。

    と言うことで、明日は徳欽(ジョル)へ。