チベットの街、ダッパ(稲城)
四川省甘孜(カンゼ)チベット族自治州の稲城(ダッパ)という街は、海抜3,750メートルの所にある、小さな街。
チベットでは、この辺りの地域を「カム」と呼ぶ。
県内で一番、標高が高い所が、6,032メートル。一番低い所が、1,900メートルである。
(数字は稲城旅游局の資料による。本当です。)
この街には、漢民族も住んでいますが、ほとんどがチベット人だ。
距離が短い、メインストリート沿いには、これまでにも見ていた、コンクリートで造られた、商店などが、軒を並べている一角もあるが、ほんの5分ほど歩けば、石と木で造られた、チベット様式の民家が建ち並んでいる。
この辺りの家屋は、僕が昨日の移動中に見ていた、白く塗られた壁ではなく、肌色の石が、露出したままの造りで、入口や窓枠には、色鮮やかな装飾が描かれている。
家の形は、昨日見ていたのと、同じ様な感じだ。
僕は、稲城(ダッパ)でチベット文化圏の街は、中甸(ギェルタン)、徳欽(ジョル)と3つ目なのですが、これほどまでにチベット色が色濃いのは、稲城が初めてで、街にある看板の文字が漢字、中国語じゃなかったら、ここは、外国です。中国じゃありません。人種も違うし、文化、風俗も異なっている。
年輩の人や、女性や子供達は、民族衣装を着ているし、顔もほっぺたが真っ赤で、頭は、赤い布のような物を三つ編みに編み込んで、それを頭に巻いている人もいる。
道ばたには、そんな大人や子供が座っていて、チベット語なんでしょうか?
中国語でも、ほとんど分かりませんが、雑談などしている人達が大勢います。
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(左)ダッパの街並み (右)街外れの巨大なチョルテン
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僕は一旦、宿へ戻り、部屋にあった洗面器などに、水を入れた。
稲城の街、全体がそうなのか分からないが、この宿は、水が出る時間が決まっていて、その時間帯に水を汲んでおかなければ、夜、水が使えなくなってしまう。
僕は、歯も磨きたいし、顔も洗いたいので、明日の朝に使う分を今、汲んでいる。
そして髪の毛も洗えなくなってから、6日目。
この辺りは、標高が高く、乾燥しているが、頭がかゆくなってきたので、僕は、宿の下、バスターミナル内にある、散髪屋へ行き、短い髪の毛を洗ってもらいました。
ここの散髪屋は、漢族の女性とチベット族の女性の二人で、仲良く経営しており、チベット人て、当たり前ですが、必ずしも漢族が嫌いってわけではないのだなぁー。と二人を見て思った。
僕は、街から見えている、街の入口にある巨大なチョルテン(チベット式仏塔)へ行ってみた。
チョルテンは、いくつか壊れているところがありましたが、チョルテンの下には、石にチベット文字を刻んだマニ石が置かれていた。
高原の小高い丘の上に建っているチョルテンから見えるのは、青く澄み切った空と、白い雲、そして果てしなく続くかと思われる高原、それに小さなダッパの街。
「こんなにも空が近いなんて。」と僕は、深い色の青空に、腕を伸ばした。
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(左)街中にて (右)カウボーイ帽を被った、ダッパの男性
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チョルテンの近くでは、土木工事が行われていて、女性も少年も働いていた。
そんな人たちも、僕が近くを通ると、「ハロー!」って声を掛けてくれます。
僕はそんな光景を見ながら、タルチョがたくさん掛けられている、キレイで近代的な橋を渡り、街へ。
街中を歩いていると、僕に「ハロー!」と声を掛けてくる大人や子供もいるし、
僕が「こんにちは。もしくはニーハオ」と挨拶すると、笑顔で返してくれる人々が多かった。
ここのチベット人達も、陽気で明るい人が多い。
街には、どっから来ているのか分かりませんが、豚、馬、ヤクなどの動物達も、街を闊歩しております。野生か?
ヤクは、やっぱりゴミ箱をあさって、段ボールを食っておりました。
僕は、アイスキャンディー売りのオバチャンから、5角のアイスキャンディーを買って、食べながら、そんな光景を見たりして、街をブラブラしている。
僕は、チベットと言えば、チベット自治区へ行かなければ、意味がないと、今まで思っていたのですが、稲城(ダッパ)が、今まで旅してきた中国とは違い、これほどまでにチベット色が強い街だとは思ってもみなかった。
これは、僕にとってはものすごく嬉しいことだ。
今回の旅で、チベット文化に触れられたということが。やっぱ、チベットはチベットだ。文化が違いすぎる。
明日に行く、理塘(リタン)も楽しみだ。どんな所なんでしょうか?
バスは、早朝6時に出発するバス1本のみなので、メッチャ早起きしなければ。
午後4時頃、宿へ戻ると、水はもう出なかった。
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街の郊外にて
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