あっさり退散〜徳欽にて〜

     「それじゃ、行きます。」
    昨日、岩崎さんは大事なパソコンの部品を紛失してしまい、麗江へ戻るか、先へ進むか悩んでいたが、目が覚めたときには、麗江へ戻り、探すことをすでに決意していたらしく、岩崎さんが、準備を済ました頃に、目を覚ました僕に、そう言った。

     「そうですか。戻るのですか、見つかればいいですね。」
    本当は、パソコンの部品なんかよりも、先へ進んでもらいたいのですが、岩崎さんにとっては、大事な物だと言うことが解っているので、そう言うしかなかった。
    僕は、そう言って、岩崎さんを見送った。今度、会うときは多分、日本になるだろう。
    また海外で会いたいが、何故か?そんな気がした。
    大理古城、麗江、中甸と岩崎さんと共に、旅することが出来て、本当に楽しかったです。

     岩崎さんを見送った僕は、ゆっくりと出発の準備に取りかかった。
    僕がこれから向かう地は、標高3,300メートルの徳欽(ジョル)だが、そこへ着くまでに、
    4,000メートル近くまで高度が上がる所もあるので、防寒のため、靴下を2枚重ねて履き、昨日買った、モモヒキを履き、上半身には、4枚の服を着て、頭には帽子をかぶり、今、出来る限りの防寒をして、出発に備えた。

     予定より15分遅れの、8時35分に中甸のバスターミナルを出発したバスは、街中で、たくさんの人と物を拾ってゆき、街を抜け、チベット的な雄大な高原を走り抜け、そして、ゆっくりと高度を上げてゆく。
    街からは、遠くに見えていた、雪が積もった山々もかなり近くに見えるようになり、
    道路の端にも、チラホラと雪が見えるようになってきた。まさか、4月に雪を見ることになろうとは。

    しばらく走ると、やがてバスは高度を下げ、川に架かる橋の手前で、たくさんのチベット人達を乗せた。
    さらに高度が下がった所にある小さな街で、バスは停車し、僕達はここで昼休憩をとった。
    僕は、持ってきていたクラッカーを、暑くなった日差しを避けるように、日陰になった、軒先の下で長イスに座り、食べていると、僕の隣に座っている、先ほどバスに乗った、初老のチベット人のオッチャンが話しかけてきた。
    オッチャンは、バスに乗り込むなり、酒を飲み始めたので、すでに酔っぱらっているらしく、何を言っているのか、さっぱり分からなかったが、お互いに笑顔である。

    徳欽の街にて

    「チベットの人って、陽気で気さくな人が多いな。」
    僕は、チベット文化圏に入るまでは、チベット人て、どんな人だろうと思っていたのですが、明るく、陽気な人が多いのに、かなり驚いたし、救われた。
    なんて言うか、自国を失ったことで、冷たい人が多いのかと思ってたけど、中国人(漢族)に対してはかなり冷たく、攻撃的だが、外国人に対しては、暖かく迎え入れてくれたことが、嬉しかった。

     昼休憩を終え、バスは再び発車し、ここからはグングンと標高を上げ、山道を通り越し、山岳地帯へ。
    周りの風景は、いままでに通ってきた山道とは一変し、5,000メートル級の山々が、まるで、人を遮るかのように、気品漂う高貴な堂々としたその姿を、僕達の目の前にさらけ出している。
    僕は、こんな山々を間近で見ることが出来るなんて!すごい!と感動もしましたが、全く、想像すらしていなかった風景の出現に、かなり戸惑った。
    「すごい所へ来てしまったな、オレ・・・。」

     バスは、ゆっくりと雪景色の山岳地帯を走っている。
    車内もかなり寒く、特に足下が、とても冷たく感じた。
    そしてバスは、雪に覆われた、標高4,292メートルの峠を越えた。
    その遙か先の眼下には、山と山の間にスッポリと収まっている小さな街が見えた。「あれが徳欽(ジョル)か!」街の背後、いや周囲には、先ほどまで見ていた5,000メートル級の山々が取り囲んでいる。

    ひたすら、山岳地帯の坂道を上ってきたバスは、峠を越え、その小さな街を目指し、ジグザグに坂道を下り始めた。

    そして、バスは、まるで鉄が磁石に引き寄せられるかのように、徳欽の街に近づいていく。
    そして出発から約7時間後、ようやく徳欽に到着した。

     バスを降りた僕は、早速バスターミナル内の行き先が書かれている看板に目をやった。
    案内板には、チベット自治区への入口の街、雲南省の先端の街、塩井までしか表示されていなかったが、チケット売り場では、オッチャンが「マルカム(茫康)」と言って、切符を買っていたので、僕も、そのオッチャンと同じように、「マルカム」と言ってみたが、受付のオッチャンが、「そこへは外国人旅行証がないと、バスの切符は売れない。」と言う。

    もしかしたら、普通に切符が買えるかもと思っていましたが、やっぱり無理のようだ。
    ここから先へは、僕も行く予定ではなかったので、今回はあっさりと諦め、退散。
    やっぱり当初の予定通り、四川省のチベット自治州へ行こう。
    僕は、翌日の中甸行きの切符を買って、バスターミナルを出て、宿探しへ。

    安そうな旅社を数軒、見てまわるが、どこも、あの乳臭い臭いが充満していて、こっちがゲロ吐きそうになったので、やめて、所持金はあまりないが、80元のホテルへ宿をとった。
    まぁ、1泊だけなので良いでしょう。久しぶりにシャワーも浴びたいし。

    徳欽にて

     荷物を置いた僕は、カメラをブラ下げて、小さな街、徳欽をブラブラ。
    徳欽の街は、小さく、チベット色もあまり見受けられませんが、陽気で気さくなチベット人気質は、どこでも変わることなく、カメラをブラ下げている僕を見ては、僕を呼び止め、写真を撮ってくれとポーズを決めたり、下校中の子供達も、撮って!撮って!と言い寄ってきます。

    今までの中国の旅ではあり得ないことだったので、僕も調子に乗って、市場でパシャ!道でパシャ!店でパシャなど、たくさん写真を撮ってしまいました。
    街中には、何でか?野良ヤクのような、たくさんのヤクも歩いていて、ゴミ箱をあさり、段ボールを食っていました。
    インパクトのある光景は、それくらいで、街自体には、さほどインパクトはなかったのですが、こういう人たちのおかげで、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

     夕食を食べた後、部屋へ帰り、4日ぶりのシャワーを浴びようとしたら、ぬるいお湯しか出ず、諦めた。あーあ、せっかく80元の宿に泊まったのに・・・
    明日も、あの道を7時間か。「はぁー」と僕はため息をつき、就寝。




    バスが2時間半遅れた理由。

    昨日、徳欽からバスで約7時間かけて、再び中甸へ戻ってきましたが、ここで、ゆっくりとすることはせずに僕は、今日、四川省甘孜(カンゼ)チベット族自治州の稲城(ダッパ)へ行く。
    ここ2日間、標高が高く、寒い道中をバスに乗りっぱなしなので、疲れはあるのですが、両替が出来ない街では、ゆっくりできるほど時間的、経済的に余裕がないので、先へ進まなければ。

     そして雲南省とも、今日でお別れです。
    西双版納(シーサパンナ)では、南国情緒を味わい、昆明では久しぶりの都会を満喫し、雲南省の二大観光地の大理、麗江では、岩崎さんやたくさんの旅人と出会えたし、白族、納西族をはじめ、たくさんの少数民族にも、触れあうことが出来た。
    そして、ここ中甸、徳欽では、チベットの厳しさを知り、チベット文化にも触れられた。
    たくさんの文化と、人との出会い。楽しかったです雲南省。

     そんなことを思い、僕は午前7時発の稲城行きのバスに乗り、バスはほぼ定刻通りに中甸を出発した。
    バスは、街の先にある、馬に乗った人の銅像から二手に分かれており、僕が乗っているバスは右へ。
    左に行けば、昨日までいた、徳欽へ行く。

    道路は全く、舗装されておらず、砂埃を巻き上げながら、山岳地帯を走っている。
    周りの風景は、やはり雪が積もっている山々を見ることが多かったが、少し標高が下がれば、白く塗られた、石造りのチベット様式の民家をいくつも見ることが出来た。
    「すごいなぁー、チベットの風景って」とまだチベット文化に接し、4日ほどしか経っていない僕にとっては、見る物全てが、新鮮である。

    (左)郷城(チャンテン)近くにて (右)休憩の時

     しばらく舗装された道が続き、バスは午後3時半に郷城(チャンテン)と言う、小さな街到着。
    郷城には、ゴンパがあり、今まで車窓から見えていた、白壁で石造りのチベット様式の民家が、たくさんあったので、見てみたい。と思ったのですが、稲城へ行くので、僕は再びバスに乗った。
    郷城では、僕以外の外国人旅行者は、全員下車した。

     僕が稲城へ行こうと決めたのは、ただ単に、思いつき。なんとなくである。
    僕が持っているガイドブック(地球の歩き方、雲南・四川・貴州)には、稲城なんて載っていませんし、どういう所なのかも分かりません。地図で見ると、道が書いてあったし、中甸からのバスもあったので、中甸からは、このルートを通ってみようと思った。

     郷城を出発したバスは、しばらく舗装された道を走っていた。
    この調子だと、予定よりも早くに、稲城へ着きそうだ。
    稲城(ダッパ)とは、どんな所なんだろう?ここもメッチャ、チベットなんかなぁー。
    と期待を膨らませていました。
    しかし、そんな楽しい期待は、少しずつ消えていき、やがて大きな不安へと変わっていった。

     まず最初に、バスが、舗装された道路の真ん中で、突然停車した。
    「どうしたんだ?」と前方を見てみると、どうやら道路工事中のようだ。
    僕は「おいおい!」なんて思い、10分もすれば通れるだろうと、思っていたのですが、バスは10分経っても、20分経っても、30分経っても、全く動きません。
    そして40分後に、ようやくバスは動いた。これで時間の貯金は無くなってしまった。

     そして次は、崖の上から、今にも岩が落ちてきそうな、山道を走っていると、またバスが突然の停車。
    「今度は何や。」どうやらエンジンの熱を冷ます、水が不足しているらしく、運転手がエンジンに水を掛けている。水を掛けられたエンジンは、一瞬にして、水を蒸気に換えている。
    「このバス、大丈夫なんかいな?」と僕も他の乗客と同じように、気楽に構えていた。
    運転手が、この作業を20分ほど続け、バスは再び発車。

     バスは、この時から、頻繁に止まるようになり、僕はちょっと、いや、かなり不安になってきた。
    大丈夫かな、このバス。日があるまでに無事に稲城まで着けるだろうか?と。
    外は、標高が上がったためか、かなり寒くなってきており、車内もそのため寒くなってきた。
    山を越えれば、また山と言う、この雄大なチベット高原も、今の僕にとっては、ただの殺風景な風景にしか写らない。

     そしてバスは、この雄大なチベット高原のど真ん中で、とうとう完全に停車。
    日も暮れかかってきて、気温が下がったため、今は雪が降ってきております。
    運転手は、小さなバケツを持って、急いでバスから降り、近くに流れている小川へと走って行き、水を汲み上げて、また走ってバスに戻って、エンジンに水を掛けている。


    運転手一人では、どうやら間に合わないらしく、運転手は乗客二人に、バケツを渡し、水を汲んできてくれるように頼み、二人の乗客は、急いで水を汲みに小川へと走り、交互に運転手にバケツを渡していった。
    この作業をやっている間に、さらに雪は激しさを増し、吹雪へと変わった。

    ただ見守るしかできない、僕や他の乗客の表情も不安を隠しきれないほどの表情で、そんな表情を見た僕は、もしかして、こんな所でみんなで遭難?ということも脳裏に浮かぶほどの不安な表情だったと思う。
    たくさんのイヤな想像が頭を駆けめぐり、僕の不安は最高潮に達した。

     運転手と他の二人が一生懸命にやってくれたおかげで、バスは再び息を吹き返した。
    そしてバスは、日が暮れて、夜に近い吹雪の中、稲城へ向けて、再出発!
    時刻は現在、午後6時半。順調に走っていれば、到着している時間だった。
    外は、もう暗くなってきて、気温がさらに下がり、車内も、凍えるほどに寒い。
    「やっぱモモヒキだけじゃ、あかん。膝掛け毛布が欲しい。」

     バスは、快調とまではいかないが、ゆっくりと走り、山をいくつか越え、下り坂を走り、数少ない村を通り過ぎ“最後的香格里拉、稲城”と書かれたゲートをくぐった。
    その瞬間、乗客から歓声が響き渡り、誰かが歌を歌い出した。
    「そんなにヤバかったのか?このバス。」
    もし、僕に言葉が分かっていれば、不安は更にエスカレートしていたであろう。

     そしてバスは、午後8時半にようやく、稲城(ダッパ)に到着した。
    後部座席に置かれていた、僕のリュックは何故か?水浸し。
    そんなリュックを背負い、僕はバスターミナルに併設されている宿にチェック・インした。

     その後、宿の下の食堂で、僕らをここまで運んだ、バスの運チャンと会い、一緒にメシを食ったときに、あのバス、停車してばっかりやったり、寒かったし、ヤバかったんちゃうん?など筆談で会話をしたところ
    「事故」「危険」などと、あのバスは、やっぱり、かなりヤバかったようだ。
    最後に運チャンは、到着して俺も安心したよ。と安堵の表情を浮かべ、俺にそう説明してくれた。