帰国への道〜列車内にて〜

     僕は今、成都から上海へ向かう列車の中にいる。
    成都から上海へは、列車で約37時間、日数にして2泊3日の道中だった。

     上海へ行くと決めたのは、重慶から成都へと戻る、バスの道中のことであった。
    重慶では、非典型肺炎(SARS)の警戒がかなり強く、バスターミナルでは、自己申告の健康チェックがあり、必要事項を書いた用紙を提出しなければ、チケットが買えなかったり、ターミナル内には、一致団結して非典減少に取り組もう。と言う、スローガンが高々と掲げられていたりと、重々しい雰囲気があった。
    そんな中、僕達外国人も、例外ではなかった。

    車内では、成都の旅行会社に勤めている女性が、隣に座っていたので、話しをするようになり、僕は今後、広州、香港のどちらから帰国する予定だと言うことを話したら、「SARSの影響で、広州、香港は、ダメだ。とても危険である。」と強く言う。
    上海は?と聞くと、「上海は今のところ大丈夫。」と言う。

    僕は、ここ数日、帰国のルートをずっと考えていた。
    僕が考えていたルートは、3つ。以前にも書いたが、広州、香港から日本へ。
    このルートは、最初に成都に到着したときは、かなり有力だった。
    3つ目は、上海から、船もしくは飛行機で日本へ。
    そして、もう一つは、成都からバンコクへ飛行機で行き、そこから日本へ。

    この3つの道を考えていたが、バンコクへは戻りたくはなかった。
    出発地点に、戻ると言うのが、とてもイヤだった。
    成都へ着いたら、とりあえず各交通機関の金額を調べるつもりだったが、そうすることはなく、成都へ着くまでに、次の行き先は決まった。---列車で上海へ行く。

    成都駅のホームにて

     成都に到着後、僕は市バスに乗って、成都駅へ行き、上海行きの切符をすぐに手配した。
    普段は、なかなか切符は買えないようだが、今回は、あっさりと切符を買うことが出来た。
    そして、2日後に僕は、上海へ行くことにした。

     中国の列車には、前回の旅で乗ったことがあったが、とてもヒマなのが苦痛だったのを思い出し、僕は、今回はミニゲーム(テトリスなど)を買い、水筒も買って準備に備えたが、どれも、あまり使うことはなく、窓からの景色を眺めたり、連結部へ行き、タバコを吸ったりと、列車内では、予想通り時間を持て余していた。

    この列車は、かなりの車両が連結してあったが、乗客が乗っている車両は、そのうちの何両かで、僕が乗っている車両も含め、乗客は少なく、全く人が乗っていない車両もあった。
    これもやはり、SARSの影響なのでしょう。

    車窓からは、場所はどこだか分からないが、春真っ盛りの中国の田舎の風景が見えた。
    僕は、そんな景色を、昼間っからビールを飲みながら、眺めていた。
    列車は、あと15時間ほどで、上海へ着く。

     上海へ着いたら、帰国の日を決めなければ。
    飛行機で帰ろうか、それとも船でかえろうか、など考えていましたが、どっちでも良かった。
    これで、今回の旅は終わりかと思うと、少しだが寂しくなった。
    3段ベッドの中段のベッドで浅い眠りにつきながら・・・

     日付は、すでに翌日となり、数時間が経過したところで、車内は慌ただしくなった。
    どうやら、上海に近づいてきたようだ。僕も他の乗客と同じように、荷物をまとめた。
    そして列車は、まだわずかに暗い、午前5時、
    今回の旅の本当のゴール地点、上海に到着した。


    早朝の上海駅




    最後の地での出会い

     「こんな、朝早くに上海に着いて、どうしろっちゅうねん!」
    時間は、まだ午前5時過ぎのため、地下鉄のゲートは開いておらず、駅前には、タクシーの客引きが、上海へ着いたばかりの旅行者に声をかけ、客を呼び込んでいる。

    成都で、たくさんのお土産を買い、カバンが一つ増えた僕は、地下鉄のゲートが開くまで、駅前に座って、周りを眺めながら、時間が経つのを待っていた。
    上海へは、ちょうど昨年の今頃、初の中国旅行で来ていたな。
    まさか今回のゴールが上海になるなんて。
    まぁ、地理がだいたいですが、分かっているので、楽なんですが。

    駅前では、さっそくSARSの影響を見ることが出来た。
    マスクをしている人が、成都や重慶に比べれば、非常に多い。
    すごいな、本当にSARSは中国全土を巻き込んでいるのだな。
    そんな僕も、この手が着けられない病気、SARSが渦巻く地にいるわけなんですが。

     午前5時30分頃に地下鉄へのシャッターが開き、僕は始発に乗って、南京路がある河南中路站で下車。
    僕が、最初に行くところは決まっている。僕は、徒歩で福州路を歩き、人に道を尋ねながら、
    上海でのバックパッカー御用達の宿、船長酒店へ。
    旅の最後の地なので、リッチにシングル・ルームに泊まりたかったのですが、いくら貧乏旅行が嫌いな僕でも、270元は払えません。
    しかたがなく僕は、55元のドミトリー・ルームへ。

    (左)福州路 (右)道行く人達

     荷物を部屋のロッカーに入れた僕は、すぐに外へ。
    上海は、旅の最後の地なのですが、いつまでもブラブラする気は、ありません。
    しかし船は、2日後に出発し、その後はドッグ入りするらしく、当分船はないらしい。
    いくらなんでも2日後に出発って言うのは、あまりにも急やし、また2泊3日の移動を経験するのも気が引けたので、僕は飛行機で日本へ帰ることにした。帰国日は、5月8日。4日後に帰国が決定。
    金額も、船よりも1万円高いだけだった。
    これで僕の上海での大きな用事は済んだ。

     宿へ戻り、シャワーを浴びて、部屋に入ろうとした時、一人の青年と目が合い「こんにちは。」と挨拶をすると、すると青年も日本語で「こんにちは。」と返した。僕は思わず、日本人なんですか?と聞き、
    そこから僕達は、長話。
    船長酒店のドミトリー・ルームがあるロビーには、世界各国からの旅行者がたむろしている。

     青年の名はkei君。
    kei君は、ここ上海が旅のスタート地点で、これから東南アジア、インドへと行く予定だが、SARSの影響のため、今後の予定は、かなり狂いそうだ。と話していた。
    実際、中国から第三国へ入国するのが、困難になってきているのを、僕はネットの情報などで知っていた。

    僕達は、ロビーのベンチに座りながら、話をしていたが、お互いの旅の話は尽きることなく、僕達は、一緒に昼ご飯を食べに行き、
    ここでも旅の話や上海の話などをしていた。
    そのまま僕達は、南京路などをブラブラと。なんかいろんな所に付き合わせてしまって・・・

    外灘(バンド)の夜景

     夜には、二人で外灘(バンド)へ行き、船に乗って対岸へ。
    都会で船に乗って、夜景を見ていると、僕は、香港の夜景を思い出した。
    外灘、浦東の両岸では、夜景をバックに、上海カップルが、こんな所で、そんなことまで、あんなところに、と言う感じで、イチャついていて、見てしまったこっちが恥ずかしいくらい、二人の世界を確立させている。
    僕とkei君は、「上海はデートで来なあかんなぁー。」なんて言いながら、
    とてもキレイな外灘の夜景を眺めていた。

     上海ゴールは、僕にとっては思ってもみなかったゴールだが、
    出会いがあり、キレイな夜景を見ていると、これも悪くないかな。と思った。