クラウディー・チョンチン
昨日、重慶市大足から、重慶市の市都、重慶へやって来た。
重慶は、北京、天津、上海、と同様に、政府の直轄市である。
直轄地だけあって、高層建築などが立ち並ぶ、大都市なのですが、重慶は「山城」と異名を持つだけあって、小高い山々に造られている要塞のようだ。そして坂が、多すぎる。
平野にある都会を見慣れている僕にとっては、この街の圧倒的な圧迫感が異様に思えた。
僕は、大足にいる間に、今後のルートを考え、そして重慶へ来た。
ここからだと、貴州省へ入り南下し、広西壮族自治区を通り、広東省へ入り、そして広州もしくは香港から帰国する。と言う、ルートを考えていたが、2003年5月の広州、香港はSARS(伝染性非典型肺炎)の猛威に曝され、大騒ぎであります。
SARSの脅威は、成都あたりから、人々が警戒している光景などを見ていましたが、それまでは、中国の遠くで流行っている、やっかいな風邪だと、全くの無防備でいました。しかし、ここへ来て、ついに僕も、SARSに対して、人々がどれほど脅威に感じているかを知った。
このことを知った僕は、重慶に着いたときに考えていたルートを見直そうと考えざる得なくなった。
治安が悪いのと、病気が蔓延しているのでは、わけが違う。
とりあえず重慶に滞在している間に、今後のことを考えようと思っている。
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重慶の下町にて
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宿探しはとても大変だった。
売店で地図を購入し、どのあたりで宿を取ろうか?と悩み、解放碑(時計塔)がある、繁華街へ行くことにした。初めて訪れた大都会を僕が、いとも簡単に歩くことは出来ず、タクシーを使い、解放碑近くの高級ホテル前で降りた。
ここから宿探しをスタートさせようと、1軒目は目の前の高級ホテルへ。
こういう所でも、たまに安かったりするので、見るだけ見てみようと中へ。
しかし、やっぱり高級ホテル。見るだけ無駄でした。いくら安くなっていても、300元は払えません。
繁華街を重いリュックを背負い、歩き、宿を見つけ「一天、多少銭。(1泊いくら)」と2軒のホテルへ行くが、どちらも150元(約2,170円)は、高い。
成都、大足と宿代が高かったので、出来る限り出費は抑えたい。
僕は繁華街から離れた、ボロイ宿へ行った。そこは1泊=80元と、重慶では手頃な値段。
部屋を見せてもらい、汚いがここにチェック・インすることを告げ、1階の受付へ行き、パスポートを提示すると、受付の人が「あらっ、あなた日本人だったの。ごめんなさい、ここは外国人は宿泊できないの。」なんて言われれてしまい、再び宿探しに奔走するが、重いリュックを背負って、もう1時間半も歩き回っている。
安い宿は、どこも外国人不要ばかりで、僕はもう仕方なく、1泊=140元のホテルへ。
「成都から、金を使いすぎていたので、僕の旅費は尽きてきた。早く、次の行き先を決めなければ。」
そんなことを考えながら、僕は、重慶の街をブラブラと散策。
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(左)街の黒板に書かれた、SARS予防方法 (右)人民大礼堂夜景
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この街は、大変ゴチャゴチャしていて、何もかもが入り組んでいる。
さらに工事中の場所が多く、迂回したりしていると、自分が一体、何処を歩いているのかなんて、ほとんど分からなくなった。
山あり谷ありの重慶の街は、日当たりが悪そうな家が多い。
坂を下れば、下町的な所へと出たが、高層建築群に囲まれた、下町はさらに日当たりが悪そうである。
今まで中国の街を見てきた経験からすると、この下町も、そのうち無くなるだろう。
翌日は雨。
重慶は曇りの日が多いとガイドブックには書いてあったが、
ほんと、ドンヨリとした重たい空気が漂っている。さらに重厚な高層建築群が+α加算されている。
僕は、ネット屋を探し、香港の情報を見てみた。
死亡している人もいるようで、感染するらしく、香港からは日本入国拒否なんて情報もあった。
手が着けられない香港に、特に行きたい訳でもないので、諦めよう。去年、行ったし。
僕は、明日は成都に戻ることに決めた。
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重慶にて
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夕方、雨が降りしきる中、僕はデパートの地下でやっている、恐竜展へ出かけた。
重慶周辺は、恐竜の化石の産地なので、せっかくここまで来たのだから、見てみようと、10元払い中へ。
中には、数体の恐竜の骨格が、ズラリと並んでいて、圧巻でした。
恐竜って、みんな4本指だと思っていましたが、3本、5本とある恐竜もいたのですね。
夕食は、別のデパートの地下食堂で、小龍包と担担麺。
旅行に来てまで、デパ地下の食堂で食べるなんて、何やってんねん!とお思いの方、
中国のデパ地下を侮ってはいけません。種類が豊富で安いし、中国各地のいいとこ取りをしているので
おいしい物だらけでございます。明日もここで、ご飯食べたいなぁー。
翌日、僕は成都へと向かった。
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