アムドのサンチュ(夏河)

     西寧に5泊した僕は、アムド地方のサンチュ(夏河)へと向かった。
    旅を始めた当初は、アムドは素通りし、ゴルムドへ向かうつもりでいたが、せっかくアムド地方の近くにいるのだから、少しだけ見てみようと思い、向かった先が、チベット仏教、ゲルク派の六大寺の一つ、ラプラン寺がある、サンチュ(夏河)だった。

     西寧から甘粛省甘南チベット族自治州のサンチュ(夏河)までは、バスで約7時間半の道中だった。
    途中、イスラム文化圏の村で昼休憩をしたときに食べた、平べったい麺の上に、ミートソースのようなものがかかった食べ物が、とても美味しかったし、初めて見た、イスラム文化圏の村は、乾いた大地に緑が生い茂り、まるでテレビで見たことのあるような、オアシスのような風景で、中国的でもなく、チベット的でもない、青く澄んだ空に、日干しレンガの家と、木々の緑がとても似合う美しい風景に、とても新鮮な気分になった。

    やがてバスは、再びチベット文化圏へと入る。
    チベット文化圏の入口には、必ずチョルテンが建てられており、バスが再びチベット文化圏へ入ったことを僕は知ることができた。そして、サンチュの街に着いた。

    (左)橋の近くのお土産屋。(右)回族の少年

     サンチュ(夏河)の街は、とても小さく、メインロードが1本あり、その両端に商店、宿屋、食堂などが建ち並んでいるだけの、標高2,900mのほんと小さな街。
    食堂は、チベット風もありますが、何故だか回族(イスラム系)の食堂が多いが、通りを歩いているのは、チベット人がほとんどのように思える。

    僧侶は、小豆色の袈裟の上から、ピンク色の布を羽織っている人が多いが、今まで、こんな色の身につけた僧侶は見たことはなく、これは、ラプラン寺の僧侶の特徴なのだろうか?
    そして、このメインロードを歩き続けると、小さな川があり、その上に小さな橋が架かっている。
    この橋を渡ると、一気にチベットの世界へと入ってゆく。


     橋のたもとには、マニ車の回廊と白い大きなチョルテンが建っていて、朝夕コルラをしている人達が絶えない。ラプラン寺が望める砂利道の上には、いくつかの平らな石が置かれていて、ラプラン寺に向かって、五体投地をする人達。
    その先には、僧侶の住居なのだろうか、袈裟を着ている僧侶がしゃがんでいる光景を目にした。
    しかも、一人、二人ではなく、何回も目撃した。
    この臭いからして、みなさん、小便、大便をしているに違いない。
    そんなかなり臭い通りを抜けると、ラプラン寺前へとやってきた。

    ラプラン寺

    本堂近くの広場には、行く手を遮るかのようにバスや車が止まっている。
    通路の先には、多くの人垣が出来ていて、周囲には、公安や警備員が配備されている。
    「今日は、何かのイベントの日なのだろうか?」と僕は、人垣の中に入っていった。

    人垣の先には、ロープが張ってあり中へ入ることが出来ない。
    ロープの先には、たくさんのチベット人がいて、数人の欧米人の姿もある。
    そして、でっかいビデオカメラにレフ板。
    これは、チベットの宗教的なイベントではなく、映画の撮影だった。
    カメラを首からぶら下げていた僕は、公安に何か言われ、更には、数人の映画のスタッフからは、写真を撮るなと何度も言われたが、映画の撮影風景の写真なんて、もともと撮る気はなく、アホらしい気分でその場をサッサト後にした。

     僕は、入場料も払わずに一人勝手に、いろんな建物を見たりしながらブラブラと見学している。
    それにしても、いつもゴンパ(寺院)に来て、思うのだが、チベット人は、ほんとみんな熱心に参拝しに来ている。日本で、ほとんど宗教に依存、または関わりがない生活をしている僕から見れば、チベット人の信仰心は、異常で異様にさえ思うときがある。

    (左)マニ車を回す巡礼者(右)マニ車の回廊とチョルテン

    108つの珠の数珠を左手に持ち、建物の周りを歩き、マニ車を回し、五体投地をする。
    さらには、タール寺の時のように、遠方からも巡礼に来るという、意気込みというか信仰心の厚さ。
    21世紀の現在、これほどまでに、生活が宗教に密着している国、地域は、あまりないように思う。
    ミャンマーを訪れたとき以上に、ゴンパをコルラするチベット人の姿に、すでに旅を始めて1ヶ月経ったが、未だに、不思議だと思うし、驚いてしまっている。

     扉が閉ざされた、お堂の前にやって来た僕は、中に入れないものかと、数人のチベタンと待っていた。
    扉の両側の壁には、仏画が描かれていて、どれもが色鮮やかな色使いでしたが、仏画の前は、荷物置き場になっていたりと、明らかに丁寧に扱われてはいない様子。
    やがて僧侶がやって来て、扉が開かれた。
    僕は僧侶に「票(チケット)」を見せろと言われたが、切符売り場が解らずに、勝手に入ってきたので、票なんか持っていません。僕は、僧侶に「没有(ない)」と言うと、
    「何処から来た?何人だ?」と聞かれたので、「日本人だ。」と言うと、中に入れてくれた。
    もし中国人(漢族)だったら、絶対に金をとっていただろう。

    ダライラマ14世の写真の前で、線香を持たされ、それに火を点けて、日本と同じように線香を立てて置こうとしたら、横に置くようにと指示された。
    チベットって、線香は横に置くものなのか?それともここだけなのか?
    一連の儀式のようなことをさせられ、最後に賽銭を置いていけと、強制され、しぶしぶ1元札を置いて、僕はお堂を後にした。

    丘から見たラプラン寺

     次は、ラプラン寺が見渡せる丘に登り、壮大な敷地のラプラン寺を見渡した。
    黄金色のチョルテン(グンタン・チョルテン)を前方に、左右、後方へと寺院は広がっている。
    いくつものお堂が建ち並び、左右の端には、白いチョルテンが建っている。
    そして、背後には、枯れた草のような色をした、山が壁のようにそびえていた。

    丘を降りて、金色のチョルテンに近づいた。
    門を潜り中へはいると、チョルテンの周りには、マニ車が並び、足早に回す人や、五体投地をしながら進んでいる人達など、さまざまだ。
    僕も、マニ車を回し、そして、ラプラン寺のコルラ道を歩いた。
    壁に文字が刻まれている所では、そこに額を当てたりと、チベタン巡礼者と同じように僕も歩いた。
    そして、昨日も行った、橋の近くの白いチョルテンにたどり着き、僕はコルラを止めた。
    あんだけ、多くのマニ車を回したのだから、きっとラサへ行けるさ。
    なんて思いながら、僕は帰路に就いた。

     夕方、再び橋の近くへ行くと、なんか見覚えのある人達が座っている。
    僕が、彼等の顔を覗き込んだ瞬間、「アッッー!」とお互い叫んだ。
    僕が出会った人達は、タール寺で出会ったチベット人巡礼一団だった。
    彼等一団は、先ほどサンチュに到着したようで、明日、ラプラン寺に行くと言い、これから彼等が宿泊している宿で、お茶でも飲まないかと、誘われたので、彼等の宿へと向かった。

    ラプラン寺が見える通りで、五体投地する女性

    彼等の宿泊している宿は、1ベッド=5元(約70円)で一部屋には、3つ、または4つの簡易ベッドが置かれており、明かりは、裸電球が一つ、それに炭ストーブという、とても簡素な部屋だった。
    ベッドに腰掛けた僕に、予想通り、バター茶が振る舞われた。
    「やばっ、飲めない。」と思ったが、これは彼等の好意でもあるので、しっかりと受け入れなければ。
    コップ一杯のバター茶を飲むのに、どれくらいの時間がかかっただろうか。
    チビチビと飲むが、いっこうに減らない。たまに、ゴクリと飲むと、吐きそうでたまらない。
    僕は、チベットは好きだが、バター茶だけは、どうしても飲めない。

    これから飯を食べるが、一緒に食べないか?と誘われたが、日は暮れかかり、町外れのこの辺りは、夜になると野良チベット犬が出没するらしく、僕にとっては、それは高山病よりも恐ろしいことなので、少しでも日がある内に、宿に戻りたかったので、食事を断り、残ったバター茶を飲み干して、ここを後にした。

     まさか、サンチュでみんなに再会するなんて、とても嬉しい出来事だった。
    次は、ギャンツェで会いましょう。
    と僕は、宿に近い、串焼き屋台で、一人で串焼きを食べながら、そう思った。




    誤算だらけのリンシア(臨夏)

     ラプラン寺をコルラした翌日、サンチュ(夏河)を後にした僕が、向かったのは、臨夏(リンシア)と言う、イスラム文化圏の街だ。
    こらから先、西寧へ戻り、ゴルムドへ行き、ラサを目指すとなると、中国のイスラム文化圏の街に訪れる機会がなくなってしまうので、西寧へ戻る前に、少しだけ、チベット文化圏を離れ、イスラム文化圏へ行ってみたくなった。

     サンチュ(夏河)から、リンシア(臨夏)までは、バスで約3時間。
    標高が下がり、車窓の風景も、菜の花畑や色とりどりの花、そして緑の大地などと、チベット文化圏では、あまり見ることがない、春らしい風景が目に飛び込んできた。
    さらに気温も上がり、ジャンパーを着ている僕は、ちょっと暑い。
    「暑い。」という言葉を使うのも、なんだか久しぶりのような気がする。
    バスの乗客は、白い帽子を被った男達やスカーフを頭に巻いた女性が、出発したときと比べ、多くなってきた。

    ちょうどお昼頃にバスは、標高1,880mの臨夏回族自治州の臨夏(リンシア)に到着。
    僕は、すぐに明日の西寧行きのバスの時間を調べるが、なんと午前6時発のバスが1本あるのみだった。
    西寧で調べたときには、臨夏行きのバスがたくさんあったので、臨夏からも西寧行きのバスが、たくさんあると思っていたが、これは、大誤算である。
    朝の6時は、いくらなんでも早すぎる。起きられるか不安だ。

    宿は、2軒見て、2軒目の『華僑飯店』に決めた。1泊=40元で、ホットシャワーでトイレ付き。
    さらに部屋は、とってもキレイ。これで、4日ぶりのシャワーにありつける。

    リンシアの街のモスク


     少しの間、部屋を堪能した後、僕は街を歩いてみた。
    白い帽子を被った男や、スカーフを頭に巻いた女性が多く、街のいたるところには、タマネギの形をした屋根を持ち、なんとなく中華風にテイストされたモスクが建っている。
    そして街には、コーランが鳴り響く。
    このような風景を見ていると、異国情緒を感じるが、街並みは、中国のありふれたセンスのない建物が建ち並び、折角の異国情緒も半減してしまう。
    そして、暑さのせいだろうか?なんとなく乾いた感じがする、街だと感じた。

    それにしても暑い!
    四川省の成都以来の標高2,000m以下の街は、暑すぎて、高地のチベットに慣れてしまった体には、暑さがキツク、もうバテバテでございます。
    モスクも見学したし、礼拝堂の張りつめた緊張感も味わえたので、疲れた体をいたわるために宿に戻り、思いっ切り、シャワーを浴びた。

     回族の街に着いた時は、異国情緒を感じていた僕だが、街を歩き、人や物を見ていると、チベット文化と比べると、何となく物足りなさを感じていた。
    でも、久しぶりのきれいな部屋と熱いシャワーのおかげで、かなりリラックス出来たことは、とても嬉しかった。

     翌日、僕は6時のバスに乗るために、5時に起きたが、そもそもこんな時間に起きなければならないことが、誤算である。
    5時半を少し過ぎた頃に、部屋を出て、宿の前に待機していた、西寧行きのバスに乗り込んだ。
    しかし、バスは出発時間の6時になっても、いっこうに出発する様子はなく、切符係の兄ちゃんが、大きな声で「シーニン!シーニン!」と叫んでいる。
    乗客達は、出発しないバスに苛立つどころか、VCDを見ながら、ヘラヘラと笑っている。
    僕から見れば、この人達は呑気と言うか、気楽と言うか、この国の文字と同じように、何かが足りないような気がしてならない。
    それとも僕が、気が短いのか?

    左:リンシアの街の帽子屋 右:臨夏の街


    運転手の遅刻のため、やっとバスが出発したのは、7時。
    バスは時間の遅れを取り戻すかのように、走っていたが、道が悪く、結局はのんびりと走ることを選んだようだ。そして湖の手前で、このバスは止まった。

     僕は、バスを降り、湖の近くへ行くと、これは湖ではなく、ダム(水庫)ということがわかった。
    それにしても、このダムは、広すぎる。対岸は見えるが、左右の岸は、霞がかっていることもあり見えない。
    水面には、以前は高かったであろう木々が、まるで顔を出して、呼吸をしているように見える。
    そして、バスと乗客は、大きな貨物船のような船に乗って、対岸へ。

    再びバスに乗って、さぁ!西寧へレッツゴー!と思いきや、このバスはチンタラと走っては、人を乗せ、または降ろしてゆく、庶民の強い見方、超ローカルバスだった。
    太陽の日差しは、とても強く、バスは砂埃を巻き上げ、走り続ける。
    窓を閉めると、車内は暑く、サウナ状態。窓を開けると、砂埃をかぶり、顔と腕が、ジリジリと焼けてゆく。
    そして、いつになったら西寧に着くねん!と苛立っているのは、僕だけだ。

    やっと西寧に着いたのが、午後4時。10時間もかかったわけだ。
    行きは確か、3時間だったはずなのに。
    これは、大誤算であったため、宿は、明日のゴルムド行きのことも考えて、西寧駅近くの1泊=80元の青海龍源賓館にチェック・イン。
    そして、すぐに西寧駅(火車站)へと向かい、明日のゴルムド(格尓木)行きの切符を買った。
    これで一応、ゴルムドまでは行けることが決まった。
    そこから先は、ゴルムドに着いてから考えることにして、僕は夕食を食べに行った。

    臨夏(リンシア)にて

     今晩の夕食は、ケンタッキーです。
    旅を始めてから、僕の唇は中国4,000年の歴史を覆す、調味料アレをしています。
    屋台、食堂の飯は、味が濃く、塩分も多く、しかも辛い。
    いつも家では、自炊をして、自分好みの味付けをしている僕にとっては、刺激が強すぎるのです。
    その刺激に絶えられず、僕の唇には口内炎というか、アレています。
    そして、西寧を出ると、これでしばらくファーストフードを味わえないと思い、今夜は、ちょっと贅沢にケンタッキーなのであります。

    さて旅は、前半のハイライト、ラサへ闇ルートで行くという、手前までやって来た。
    ついに来たか、この時が。
    今日は、移動でかなり疲れたので、白酒(中国焼酎)を飲んで、寝よう。