聖都、ラサ

     ラサ(拉薩)到着から、一夜が明けた。
    ラサの中心、ジョカン近くにある、スノーランド・ホテルの前の通りは、道路工事中のため、土や石がむき出しとなった、デコボコ道が続いている。
    そんな通りに面した、店なのか、誰かの家なのか、分からないが、数台の人力三輪車が無造作に停めてある。
    僕が泊まっている宿を含め、周囲には、白い石壁に窓枠が黒く塗られた、3階建てのチベット様式の建物が建ち並んでいる。

     ここ、ラサ(拉薩)は、言わずとしれたチベット自治区の区都であり、かつてはチベットの首都でした。
    そしてラサは、海抜、3658m。日本では、考えられない所に、街がある。
    ラサは、チベット語で「神の土地」の意味であり、チベット人にとっては、聖なる都でもあり、歴代ダライラマの住居でもあり、政治の中心であった、ポタラ宮。そして、聖地としてのジョカン。その周囲のバルコルなど、その神々しさを醸し出した雰囲気に、聖都ラサに来たことを実感した。

     そして、この目の前の通り、丹杰林路が、朝靄のかかる内から人の往来が激しいのは、近くに聖地、ジョカンがあるからだ。俺も人の波に流されるかのように付いて行き、ジョカン(大昭寺)へ。

    ジョカン前をコルラする人達

     ジョカンは、ラサの中心にある、最も聖なる寺院で、ラサを目指す巡礼者は、皆、ジョカンを詣でる。
    そして、ジョカンの門前では、熱心な巡礼者達が、何回も何回も五体投地をくり出し、まるでここに来られた事を喜ぶように、体全体を使い、五体投地を繰り返している。

    ジョカン前の石畳が敷かれてある広場には、たくさんの土産屋や仏教関係の店などがあり、どこも準備に忙しい。まだ朝の8時過ぎなので、観光客の姿は少なく、多くのチベット人が、ジョカンの周りのバルコルを時計回りに歩いている。
    そして、一見、焼却炉のようにも思える、窯のような所からは、モウモウと煙が吹き上がり、聖地ジョカンを演出し、過去の遺物、『唐蕃会盟碑』が保存されている建物やバターランプが灯された建物もある。

     俺は、そんなジョカンの写真を撮りながら、バルコルをチベタンと同じように、時計回りに歩いた。
    巡礼者のチベタンは、マニ車を片手に持ち、もう一方の手には、数珠を持ち、「オム・マニ・ペメ・フム」と呟きながら、歩いている人もいるし、五体投地をしながら、コルラしている人もいる。
    そんな人達は、服が汚れないように、前掛けを着け、五体投地をしている。

    通りの両側には、土産屋というか、仏具屋、タンカ屋、服屋、アクセサリー屋などが、所狭しと連なり、白い石壁のチベット様式の建物がバルコルの周囲を囲んでいる。
    「すごい!、これがラサか!」チベットの街は、カム地方で、たくさん見て、歩いたが、雰囲気が全然違う。
    チベット式の都会のとでも言うのでしょうか。

    左:ジョカンをコルラする人 右:ジョカン前で五体投地をする人達

     俺は、バルコルで一つ、アクセサリーを買った。
    確か、14元だったと思うが、後から、ポタラ宮近くにいた、お土産屋少女が同じ物を持っていて、値段を聞くと、10元だと言っていた。

     バルコルを一周し、ジョカンへ入ろうとしたら、ここからは入れないから、チベット人達に付いていくように言われ、再びバルコルを歩くことに。
    黒いダシェーは、デルゲか?赤いダシェーは、カンゼか?
    ジョカンには、カム地方を含め、チベット全域から、人々が集まっている。

     ジョカンの入口には、すでにチベット人達が、列をなしている。
    俺は、薄暗い入口を人を避けるように歩き、奥へと入っていった。
    ここで、外国人、中国人は、チケットを買わなければならず、なんと70元(約1,000円)もした。
    中は、さらに暗く、いくつものバターのロウソクの明かりと、その独特な臭いが充満している。
    回廊の奥には、いくつものお堂があり、そこには数体の仏像が祭られている。
    チベット人達は、これらの仏像を見るために、列をなしている。

    そして仏像に近づけば、手を合わせ、頭を垂れ、賽銭を置いていたし、バターロウソクの大きな器に、バターを入れている人もいて、その大きな塊のバターは、僧侶によって、整えられていた。
    俺は、あまりの人の多さに疲れてしまい、ここに長居したくなくなったが、それでもいくつかのお堂に入り、手を合わせ、見てまわった。

    バルコルとチベット風オシャレで歩く女性

     薄暗い建物の中を出ると、マニ車が連なる回廊を歩いた。
    壁には、黒ずんでいるが、立派な壁画が描かれていて、俺は、マニ車を回すことなく、壁画を見て歩いた。
    そして次は、工事現場用の簡易階段を使い、屋上へ。
    屋上からの眺めは、ジョカン前広場で、五体投地をしている人達や整然と並んだ露店、チベット住宅街、そして俺が、心底惚れたポタラ宮も望め、聖都ラサを見渡すことが出来た。
    「ラサって、いいな。」まだ着いて、2日目だが、待ち望んで、やっと来ることが出来た、ラサに来られたことが本当に嬉しい。
    俺は、しばらくの間、ここからの景色を見続けていた。

     ジョカンを後にした俺は、ポタラ宮を目指し、歩き出した。
    ジョカン周辺のチベット旧市街、チベット住宅街を抜け出すと、あっと言う間に、中国の地方都市の景観が目に飛び込んで来て、中国のラサを否応なく感じずにはいられなかったが、街には、やっぱりチベット人が多く、歩いていても楽しい。

     郵便局(China Post)を越えると、ポタラ宮が見えてきた。
    ポタラ宮は、チベットを象徴するような建物で、17世紀に建てられ、世界文化遺産にも登録されている。
    「これが、ポタラ宮か!」俺は、信号が設置されている道路を渡り、一歩、一歩、ポタラ宮に近づいた。
    今まで、写真や映像でしか見たことがない、ポタラ宮を間近で見て、この感動を押さえることが出来ずに、2、3歩、歩くごとに、シャッターを切っていった。
    青い空に、赤く、そして白い、垂直にそびえ立つポタラ宮は、一生忘れることのない風景だ。

    ポタラ宮の前の歩道では、五体投地をして、祈りを捧げている人達もいて、主が帰ってくるのを待っているようにも見えた。

    ジョカンの屋上からの眺め

    俺は、ポタラ宮には、明日行こうと思っているので、歩道をブラブラと歩いていると、数人の土産屋少女が近寄ってきて、あれ買わないか、これ買わないかと言ってくる。
    その中の一人と、何でか一緒に歩いていると、小さなお土産屋少女が一人、近寄ってきて、俺達は3人で、ポタラ宮の前のチョルテンが建っている丘へ行き、俺は少女達から、土産のアクセサリーを買い、写真を撮らせてもらった。そして、3人でアイスキャンディーを食べながら、ポタラ宮を眺めている。

    少女達と別れた後、ポタラ宮前の広場へ行くと、中国国旗が高々と掲げられていた。




    小さな友達のオンム

     少女と出会ったのは、昨日。ラサに来て2日目のことだった。
    この少女は、俺がポタラ宮前の歩道を歩いているとき、先に出会った、お土産屋少女と歩いていると、後から付いてきていた、小さな、お土産屋少女だった。
    年齢は、聞いてないので知らないが、見た感じ、7、8歳くらいだろうか?幼い少女だ。

     そして、今日の少女は、お土産のアクセサリー類を抱えておらず、ポタラ宮前の歩道に座り込んでいた。
    俺は、昨日の少女かな?と思い、声をかけた。
    やっぱり、昨日の少女だった。
    少女は、何をしているのか、よく分からないが、ただ座っているだけのように思えたので、俺は「これからポタラ宮へ行くけど、一緒に行く?」と言うと、少女は頷いた。
    少女の入場料は、俺が払うつもりでいた。

    こうして、俺と小さな少女は、一緒にポタラ宮へ行くことになった。
    少女が先を歩き、俺が後を付いていく。
    チケット売り場に着き、俺は、100元(約1,400円)払って、チケットを買ったが、チベット人の少女は無料だった。

    ポタラ宮

     少女は、軽快な足取りで、ポタラ宮の白い坂道を歩いている。
    俺はと言うと、ゼイゼイと息を切らしながら、やっとの思いで、歩いている。
    こんな坂道を平然と歩いているなんて、さすがチベット人だ。低地出身の俺には、相当キツイ。
    少女は、そんな俺に気を遣っていてくれて、適当に足を止めて、ホラッって感じで、眼下に広がるラサの街を誇らしげに見せてくれる。
    俺は少女に追いつき、少女の名前を聞いた。
    少女の名前は、オンムと言った。

     白い坂道を上りきった所、紅宮に入る所で、チケットを提示した。
    数人の中国人が、俺とオンムを見て、何か喋っている。
    確かに、外国人の大人とチベット人の少女が、一緒にいることが、不思議だし、違和感がある。
    しかし、俺達二人は、そんな雰囲気にも、お構いなく、紅宮へ。

     ポタラ宮は、赤褐色に塗られた、紅宮と、白く塗られた白宮とに分かれている。
    紅宮は、歴代ダライ・ラマの霊廟やお堂がある建物で、白宮は、政治を司る建物だと、ガイドブックに書いてあった。

    左にある門から入った。ポタラ宮から見たラサの街。

     建物内は薄暗く、オンムは小さな歩幅を素早く回転させ、足早に歩く。
    もっとゆっくりと見学したい俺は、「オンム、等一下(ちょっと待って。)」と言って、彼女の足を止める。
    そして俺が、オンムに追いつくと、またオンムは、足早に歩き出し、部屋に置かれている仏像に手を合わせ、次々と部屋から部屋へと見てまわっていた。
    俺も、オンムの後ろを歩き、仏像に手を合わせ、同じように部屋から部屋へと、足早に見てまわった。
    もう、どこをどう歩いているかなんて、わかりません。
    玉座らしき所には、たくさんのカタ(チベットの白いスカーフ)が投げ入れられていて、主の帰還を待ち望んでいるようにも感じられた。
     
    次は、紅宮の屋上へと行った。
    オンムは、屋上には、興味を示さなかったが、俺が行きたかったので、10元のチケットを買った。
    チベット人のオンムは、またしても無料だった。
    屋上からは、近代的なラサの街並みや、ジョカンを中心とした、旧市街が見えた。
    「俺の泊まってる宿は、あの辺やねん。オンムの家はどの辺なん?」って感じで話しをしながら、俺達は眼下に広がる景色を眺めていた。

    屋上からの帰りに、俺はポタラ宮の写真集を買った。
    100元もする本をあっさりと買ってしまう俺を見て、オンムは、まだ澄んでいる、小さな瞳を丸くして驚いていた。
    屋上を後にして、紅宮を下り、ポタラ宮正面の白い階段を下りて、下へと戻ってきて、ポタラ宮を後にした。

    左:ポタラ宮の屋上にて。右:ジョカンにて

     俺は、オンムに「今日は、付き合ってくれてありがとう」と思いで、アイスクリームを買いに行った。
    アイスクリームを手にして、「カツレェ(いくら)」と言ったのは、オンムだった。
    オンムが、俺の好意に甘えたのは、この1回だけで、他にジュース飲む?何か食べる?と聞いても、返ってくる返事は、全てノーだった。

     アイスクリームを食べ終わると、オンムは俺に、こっちこっちって感じで手招きしながら、歩き出した。
    車が往来する、大きな道路をヒョイヒョイと足早に歩き、ジョカン前の大通りを歩き。
    着いた先は、昨日、一人で行った、ジョカンだった。

    偶然にも、昨日買ったチケットがあったので、それを見せると、何事もなく入ることが出来た。
    オンムは、当然、無料。
    俺達は、マニ車を回しながら歩き、そして、屋上へと向かった。
    やっぱり、ここからのラサのの風景が、一番好きだ。

     ジョカンを出た、俺は、すっかり、少女のオンムにリードされる形で、バルコルを歩いていた。
    きっとオンムは、彼女なりに、俺にラサを見せてあげようと案内してくれているのだろう。
    気持ちは、とても嬉しいが、俺はお腹が減りました。
    オンムにジェスチャーを交えながら、お腹が空いたことを伝え、オンムは、バルコルの通りを逸れた、脇道へと入ったところの食堂へ連れて行ってくれた。

    俺は、ご飯とおかず数品が入った盆飯を食べながら、ガイドブックを見ながら、色々と話してくれる、オンムの話しを聞いていたが、言葉が、ほとんど通じないため、理解できない。
    俺は、たまに相づちを打ち、ときには、微笑んだりもしていた。
    この間も、オンムは何も食べずに、俺にずっと話しをしていてくれた。

    ジョカンの屋上

     ご飯を食べ終わると、オンムは、俺に「家でお茶を飲もう。」と言って、俺を家に連れて行ってくれた。
    オンムの家は、ここバルコルの住宅街の中にあった。
    家の中には、母親と4人の子供がいた。オンムを含めると、5人姉弟なのか。
    家は、ラサの強い日差しを遮るように、薄いカーテンが掛けられている。
    そのため、室内は、薄暗い。
    古いテレビの画像は、青味が強すぎるため、色の区別がつかないくらいだ。

    オンムは、母親に、今日の出来事を話している。
    ポタラ宮へ行ったことや、ジョカンへ行ったことを。
    俺は、コップに注がれたバター茶を飲みながら、嬉しそうに話すオンムを見ていた。
    オンムの両親は、甘孜チベット族自治州のデルゲ(徳格)出身で、7人の子供がいるらしい。
    まだ他に2人も子供がいるのか。

    テーブルの上には、揚げたパンとヤクの干し肉が置かれていて、「どうぞ」と言われたので、バター茶を飲みながら、少しずついただいた。
    やっとなくなりかけたバター茶だったが、再び、注がれてしまい。それも少しずつ飲んだ。
    しばらく子供達とも遊んでいたが、俺の体は、まだ疲れているらしく、体がだるいし、眠たくなってきたので、母親に帰ることを告げて、そして、オンムに「今日は、ありがとう。バイバイ。」と行って、家を後にして、宿に帰った。

    ラサに来て、3日目。俺に小さな友達が出来た。